第8話 貴女はあたしの光
この12年、光魔法使いになることだけを夢見ていた。光魔法使いになって、光に包まれて、絵を描いて、小説を書いて、光魔法使いなのに魔法以外にも色んなことが出来る。そんな、クリエイター気質な魔法使いになれたらいいなって思ってた。周りからはチヤホヤされて、あたし、こんなつもりなかったんだけどな。てへへ。なんて、余裕の笑みを見せるような、そんな魔法使いになることを夢見てた。
夢を見ていただけだった。
実際のあたしは、ただぼーっと人生を過ごしただけ。
10年経って、ようやく一つだけレベルの高いクラスに上がれた。今年こそはと思って参加した魔法披露会では散々な目に遭った。胸が痛かった。傷付いた。原因を作ったのはあたしだ。トラブルに発展させたのはベリーだ。自分のこだわりを求めて、チームの協調性を乱してまで結果を出そうとしたあの子が、協調性を大事にするイベントの選抜メンバーに選ばれた。
協調性を守ろうとしたあたしはどうだ。選ばれなかった。
やってきたことはどうだった? いいや、あたしは頑張ったと思う。今回、本当に頑張ったと思う。体力のないあたしだけど、発達障害を持って鈍感で鈍くてぼんやりしているあたしだけど、今回は今までにないほど、それこそ、ミランダ様の最初の試験よりも、何倍も何倍も頑張ったと思う。
小説を書くのも我慢した。漫画を読むのも我慢した。絵を描くのも我慢した。早起きした。寝るぎりぎりまで今日の事を考えた。眠かった。でもガムを噛んで踏ん張った。珈琲を浴びるほど飲んだ。カフェイン中毒になって倒れそうになった。でも絶対負けたくなくて、絶対選ばれたくて、ただ、綺麗に魔法を見せることだけを考えた。
呪文を唱える滑舌は確かに甘かった。でも滑舌練習も数をこなした。魔法は? もちろん数をこなした。やはり月曜日に練習できなかったのが痛かったか? ……いいや、関係ない。だって魔法は完璧だった。自分でも予想以上の出来だった。あたしは頑張ったと思う。ただ、しなければいけない意識をしてなかっただけ。あたしはこのオーディションに選ばれることだけを考えていた。あたしはミランダ様の弟子だからすごいんだと見せたかった。これに選ばれてアーニーとアンジェの手伝い役としてパフォーマンスに参加すれば、自信にもなる。実績にもなる。経験にもなる。ミランダ様から自慢の弟子だと褒めて頂ける。あたしはミランダ様の弟子。アンジェに胸を張って言いたかった。あたしはADHDを持っている。発達障害を持っている。吃音症を持っている。このせいで色んな人から悪口を言われた。嫌な思いをしてきた。魔法使いにはなれないと遠回しに言われてきた。向いてないと言われてきた。
けれど、ミランダ様はあたしを見捨てなかった。
こんなあたしを弟子だと認めてくださり、こんなあたしに魔法使いに必要な知識を教えてくださっている。それ以外の時間は自分の魔法の研究に費やす。憧れの魔法使い。ミランダ・ドロレス。あたしの師匠。あたしの先生。憧れの人。尊敬している人。敬愛している人。
彼女の悪口を言う人がいれば、あたしが黙らせたかった。
あたしで証明してみせたかった。
ミランダ様の凄さを。偉大さを。
見せたかった。知らしめたかった。
あたしの魔法で、黙らせてやりたかった。
でも、
やっぱり、
あたしには無理だった。
(これを……繰り返すのかな……)
命を削る程努力しても、自分は選ばれない。選ばれるのはいつだって自分以外。
自分以外がスポットを浴びて、光り輝く。まるで主人公のように。
あたしは?
脇役だ。
だって、漫画であれば、こういう時、発達障害の天才的な部分を見せつけて、先生たちをも圧倒させて、選ばれて、あたしは今頃笑っていた事だろう。
最近の小説なんかやたらと多いではないか。実はすごいものを持ってたパターン。発達障害は天才だ。個性だ。強みだ。
あたしはどうだ? 鼻で笑ってしまう。現実は違う。発達障害は天才なんかじゃない。個性? いいや? ただの馬鹿だ。皆に出来る事が出来なくて、興味のある事にだけ過剰集中が起きて、とんでもなく面倒臭い種族ってだけ。
あたしは馬鹿だ。
ただの馬鹿だ。
ただの間抜けだ。
無力な人間だ。
ミランダ様を見ていて、調子に乗ったんだ。
思い出せよ。ルーチェ。
自分を思い出せよ。
あたしだよ?
今まで、何かに取り組んで、成功したことあったか?
ないだろ?
そういうことなんだよ。
あたしの人生、生まれた時から決まってるんだよ。
この脳を持って生まれてしまった時点で決まってたんだよ。
選ばれるのはあたしじゃない。
いつだって周りだった。
あたしは変人。
不思議ちゃん。
そう呼ばれてきたじゃない。
思い出せよ。
無理なんだよ。あたしには。
無理なんだよ。
向いてないんだよ。
わかってるじゃない。
魔法使いになりたい。
無理なものは無理なんだよ。
辛いなら諦めろ。
全てを辞めてしまえば楽になれる。
辞める事も勇気。
勇気を出して辞めてしまえばいい。
だって、こんなにも辛いんだもん。
努力しても報われない。
必死になった分辛くなる。
頑張っても認められない。
器用な人が勝つ。
不器用な人は負ける。
美人が勝つ。
ブスが負ける。
綺麗な人が勝つ。
汚い人が負ける。
わかってるじゃない。
わかってたじゃない。
もう無理だ。
しんどい。
もう、あたしには無理だ。
限界だ。
(辞めよう)
決めた。
(もう……辞めよう……)
生活保護貰って……住める場所探して……勉強する施設に行って……ITエンジニア目指そう。ITエンジニアって、あんまり喋らなくていい仕事らしいから、きっとあたしに向いてる。パソコン好きだし。キーボード好きだし、きっと楽しいよ。お金も沢山もらえて生活も安定する。
(楽しそう)
生活が楽になる。
(いいね。美味しいもの食べれて、着たい服も着れて、20代を謳歌出来そう)
それで、
――あたしの光はどうなるの?
(……駄目だ)
もう何も考えたくない。
(消えたい)
消えてなくなりたい。
(もう)
しんどくて、辛くて、胸が痛くて、張り裂けそうで、どうしようもない。
(闇に包まれる)
暗い部屋にあたしが一人。
(闇は落ち着く)
気持ちいい。
(闇はあたしを守ってくれる)
光は認められない。選ばれない。
だったら闇は?
(ジュリアさんも言ってた。あたしには闇が合ってるって)
(闇か)
(あはは)
(闇の打ち上げ花火なら、選ばれたのかな)
(あはは)
(闇か)
あはは。
(闇)
アハハハ。
(闇)
アハハハハハ。
(暗がり)
ヘヘヘヘ!
「へへ……」
闇に包まれる。
「へへへへへへ」
痛い事も悲しい事も闇で隠してしまえ。
「へへへへへへへへへへへ」
全部、隠してくれる。全部、真っ黒になる。
全部が、闇になる。
エへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへえへへ、へへへへへへへへへへへへへ! エへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへ! フヘヘヘヘ! ヒヒヒヒヒヒヒ、いひひひひひひひひ! アハハハハハハ、ハハ、あはははははははははははははははははははははははは! きゃははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははあっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。
「ルーチェ」
再び、部屋に静けさが訪れた。
「夜ご飯も作らずにいつまで引きこもってんだい」
あたしは何も言わない。
「出ておいで」
あたしは動かない。
「……」
ドアが叩かれた。あたしは動かない。力が出ない。もうどうでもいい。
「……」
取っ手ががちゃがちゃ鳴った。
「……お前いつ鍵なんて作ったんだい」
呆れた声が聞こえた後、ドアから光が漏れたのが見えた。
「オープン・ザ・ドア」
ドアが光った。開かれた。その瞬間、闇が去っていく。光が部屋に入ってきて、暗かった部屋が少しだけ明るくなった。
「……ルーチェ」
あたしはベッドから動かない。動く気力が無い。
「……セーレムが腹空いたって泣いてるよ」
あたしは黙ったまま動かない。
「……。リュックをこんなところに置くんじゃないよ」
投げてそのままだったリュックをミランダ様が魔法で風を呼び出し、椅子の上に置いた。
「居候のくせに生意気に鍵を作ったね? 全く」
ミランダ様があたしの鍵魔法を壊し、ドアを閉めた。再び部屋に闇が訪れる。いつものヒールの音が聞こえる。上からあたしを見下ろす視線を感じる。けれどあたしは振り向かず、壁を見つめたまま動かない。ミランダ様がベッドに座った。あたしの背中とミランダ様の腰がくっついた。
「今日はお前の言ってたオーディションだったかね」
あたしの指がぴくりと動いた。
「どうだった?」
あたしは枕に顔を隠した。
「……ルーチェ、私がどうだったか訊いてるんだよ。答えなさい」
あたしは黙りこくる。とても――この人に顔向けできない。
「……」
黙りこんだミランダ様が親指と人差し指を触れさせない程度に合わせ、空気中をなぞるように沿わせた。すると、そこからいつも使ってる煙管が現れて、ミランダ様の手に乗っかった。ミランダ様が煙管に火をつけた。吸った。足を組み直した。煙を吐く。焼けた花の匂いがする。あたしは瞼を閉じた。このまま寝てしまおう。そしたら口を利かずに済む。疲れた。体が動かない。この人の顔を見たくない。いや、こんなあたしの顔など見せられない。
影が動いた。
何かが近付く気配がした。
ミランダ様の手があたしの頭に乗った。
ビクッ! と肩が揺れた。
ミランダ様の手があたしの頭をぽんぽん触れてきた。あたしは黙る。ミランダ様が煙管を楽しむ。あたしは肩を震わせた。ミランダ様の手があたしの頭を撫でた。あたしは声を押し殺して枕を再び濡らし始めた。ミランダ様が優しくあたしの頭を撫でた。あたしは鼻をすすらせ、枕にしがみついた。ミランダ様があたしの頭を撫でた。あたしは嗚咽を漏らしてうずくまった。ミランダ様の手が優しく優しくあたしを撫でる。髪の毛をなぞるように、くすぐるように、あたしの頭を撫でる。ミランダ様は何も言わない。黙って煙管を吸って吐いて、あたしの頭を撫でるだけ。呼吸が乱れる。鼻水と涙で枕がとんでもないことになってる。洗濯しなきゃ。でも、とても恥ずかしくて顔を向けられない。枕から顔を外せない。胸がざわつく。悲しさで溢れてくる、悔しくて涙が溢れてくる。感情に呑まれて気が触れてしまいそう。
それを抑えるように、ミランダ様の手があたしの頭を撫でて、なだめる。お前が言うまで待ってるよって言ってくれているようにベッドから動かない。ミランダ様が組んだ足を戻した。あたしの涙が止まってきた。鼻をすする。ミランダ様の指があたしの頭で踊り始めた。あたしはぼんやりする。ミランダ様の指があたしの頭で遊び始めた。あたしは息を吸った。
「……。……。……駄目でした」
「……そうかい。そいつは残念だったね」
「……」
「……来ないのかい?」
「……あなたに……か、か、顔向け……できません……」
「今更お前のブサイクな顔見たって何も変わりゃしないよ」
「……」
「嫌なら顔隠したまま来ればいいだろう? クソガキ」
「……」
あたしは俯き、ぐちゃぐちゃに乱れた前髪で顔を隠してミランダ様の腰に抱き着いて、そのまま腿に顔を埋めると――ミランダ様の匂いがして――また涙が出てきて、体を震わせてすすり泣いた。ミランダ様の手がまた優しくあたしの頭を撫で始める。
「ルーチェ、……魔法はどうだった?」
「……出来は、じょ、じょう、上出来、でした……。ほん、とうに、……一番……綺麗に……見せられたと、思ってます……」
「そうかい」
「ただ、こうちょ、こう、校長先生、が、それだけじゃ、駄目だって。ぐすっ、一生懸命、頑張る人は、っ、いらないって……。ぐすっ。学校祭に、来た人、を、喜ばせる、ぐすっ、喜ばせることに、ぐすっ、一生懸命に、なって、くれる、人が、ぐす、人に、っ、頑張ってもらいたいって……」
「……ま、そうだろうね」
「そんなの……ぐすっ、あたし、知らないですもん……ぐす、聞いたこと、ないですもん……」
「ルーチェ、お前の悪いところだね。そしてこれから対策していかなければならないところだよ。聞いてないから知らない、っていうのはね、大人の世界ではどこも通用しないよ。それは魔法使いだけじゃない。一般社会人としてだって通用しない。発達障害を持ってたって関係ないよ。知らないなら下調べをしなければいけない。去年参加した誰か知り合いにあの校長がどういうことを求めてくるのか、そういったことは訊いたかい?」
「……」
「ルーチェ、いつも言ってるだろう? 下調べをするんだよ。初めてのことや、わからないことがあったら知ってる誰かに訊くんだよ。気づく力ってやつかね。お前は気づく力が不足しているからとにかく情報収集しないと駄目さ。勉強を教えてもらうのと一緒。一から百まで自分でどうにかするっていうのは、あまりにも無謀すぎる。負けに行くようなもんさ。だから今度から情報収集を怠らずに徹底的にやること。いいね?」
あたしはこくこくと頷いた。
「あのジジイは昔からそうなんだよ。にこにこしながら痛いところを突いてくるんだ」
「……ミランダ様も……何か……い、い、言われたこと、ありますか……?」
「当時は今より酷かったと思うよ。遠慮ってもんを知らないんだよ。あのジジイは。だがね、正論過ぎてこっちも何も言えなくなるんだよ。反論できなかった自分が悔しくて寮の部屋の壁を壊して、マリア先生にこってり叱られたもんさ」
「……ミランダ様らしいですね」
「ルーチェ、……私はどうしていつも魔法の研究をしているんだい?」
「……ミランダ様にお金を払ってくださる依頼人に見せるためです。より美しくて綺麗な魔法を」
「そうだよ。私は依頼人の期待に応えるために魔法を磨いている。毎回違うものを出す為に色んなイメージを膨らませている。お前は何の為にこのオーディションを受けたんだい? オーディションに受かって、自分の魔法を誰に見せたかったんだい?」
「……」
「ルーチェ、昔はそれでよかったんだよ。やりたいからやるで通じたんだ。でもね、それは30年前、40年前の話さ。今じゃ枠の奪い合い。仕事の奪い合い。自分の為だけでは通用しない。誰かの為。依頼人の為。客の為。家族の為。友達の為。誰でもいい。人を喜ばせたい為。その為に自分を磨く。自分の魔法を磨く。そうしてようやく自分がなりたかった魔法使いになれる。今の時代、どの職業でもそうだろう? 他人を喜ばせてなんぼ。自分の魔力は商品。価値のある魔法を見せる。そうして人を喜ばせる。対価として金を貰う。それを繰り返す。それこそがプロの魔法使い」
「……」
「お前、あの夜から変だったね。わかるかい? お前が花火を鳴らしながら帰って来た日だよ。妙にイライラして、不機嫌だった。私にまで八つ当たりしてくる始末。あれ以降、お前の気が触れたのかと思ったよ。狂ったように魔法の練習をするものだから」
「……」
「何かあったのかい?」
「……」
「ルーチェ、言える時に言っておきなさい。私はね、仕事帰りに美しい月を見たものだから、すこぶる機嫌がいいんだ。今この時にお前のしでかした不始末の原因を言っておいた方が後々のお前の為だよ」
「……」
「はあ。今夜は長くなりそうだね」
「……。……。……アンジェちゃんと会ったんです。学校で」
「……」
「……とても……良い子でした。……礼儀、正しくて……っ、発達障害の、ことも、っ、すごく、理解してくれて、っ、大変だねって、自分のことのように、言葉を、かけてくれて、すごく……優しい子でした……」
「……ヤミー魔術学校にいるのかい。あいつ」
「……もう、……魔法使いとして……デビューしてます……。友達も……今、……デビューしてて……っ、時期が重なっただかで……コンビで、やってて……」
「……そうかい」
「……」
「まあ、……アンジェの実力なら当然だろうね。……それで?」
「……あたし、……今からすごく……醜い事を言います」
「ああ。好きなだけ言いな」
「……アンジェちゃんが……ミランダ様の悪口を……言ってました。……のくせに、……テレビで、堂々と……ミランダ様の、弟子だったって、特集されてて……」
「……はーん……?」
「悪口、言うくらいなら、黙ってろって、思って、でも、っ、あたし、いえ、言えなくて、喋り方は、未だいまだいまだに、こんな、っ、こんな感じだし、嫌でも、繰り返すし、ども、どもるし、どもっていいって思っても、駄目って思っても、いつまで経ってもな、治らないし、っ、発達障害持ってるし、胸を張って、堂々と、あたしがミランダ様の弟子って言えなくて、アンジェ、っ、ちゃんに、せ、生徒なのか弟子なのか訊かれた時に、はっきりと、言えなくて、それが悔しくて、っ、だから、オーディションに受かって、選抜メンバーに入れば、ミランダ様の凄さを、証明できるかと思って」
「……」
「学校祭も、来てくださるって、言ってくださったのに、あたしの、本当に、実力のなさのせいで、ミランダ様の、恥に、なるんじゃ、っ、な、な、ないかって、それが、嫌で、あたし、本当に嫌で……」
「……」
「こんな自分が嫌です……。もっと、っ、もっと、実力があれば……自信もって、あたしがミランダ様の弟子だって、言えたのに……」
「……」
「ぐすっ、ふうぅ……ぐすん、ぐすっ、ふいぃ……! ぐすん! ぐすん!」
「……ルーチェ」
「ぐすんっ、ぐすんっ」
「そうだったね。お前は頑固な上に極度の妬み癖があった。お前の悪いところだよ。……そうかい。……問い詰めた時にセーレムが言ってたのは嘘じゃなかったんだね」
――俺知らないよ! アンジェのことなんてミランダに言われるまですっかり忘れてたしさ! ルーチェに言ってねえよ! 本当だよ! アンジェか。懐かしいな。あいつ元気かな。……だから言ってねえってば!
「……アンジェねぇ」
ミランダ様が煙管を吸って、深く吐く。
「あの子はね、器用なんだよ。頭が良くてとても利口で、その上、魔法学生にはない一般人の生き方をしてきたものだから、一般人としての視点と、魔法使いとしての視点の両方を見る事が出来て、魔法の発想力も、基礎も、全部完璧な子だった。腕もいい。センスもある。近いうちに魔法使いとしてデビューできるだろうとは思ってた。……だがね」
ミランダ様が溜め息を吐いた。
「完璧なアンジェにも欠点はある」
ミランダ様があたしの頭を撫でる。
「経験が無い」
ミランダ様があたしの髪の毛をなぞった。
「魔法使いとしての、魔法を使った生活っていうもんの経験が誰よりも少ない」
だからいざって時、対応に躊躇う。
「アンジェがいる時はね、まだあいつも子供だったし、もっと魔法使いの世界を見せてやろうと思って、よく仕事場に連れて行ってたんだけどね、……それだとあいつの為にならないと思ったんだよ。経験は自分が積み上げてなんぼさ。見せる事ならいくらでも出来る。でもそれはアンジェが自分で掴まないと、物にしないと意味がない。だから仕事場に連れて行くのを止めた。来たきゃ箒に乗ってついておいでって言ってね。そしたら怒り出した。だが私は連れて行かなかった。それがヒートアップしていった。やがてアンジェはこう言った。貴女は若い私に嫉妬しているんだと。貴女の仕事しているところが見れないと、私はどうやって魔法を学べばいい。貴女は私の師匠だ。弟子に学ばせる権利がある。だが私は折れなかった。私の魔法を見られないなら、他の魔法使いの魔法を見ればいいだけさ。弟子に気付かせるのも師の役目。それが半年くらい続いたかね。アンジェはどんどんここに来なくなった。最後の日には不満を爆発。貴女からは何も学べない。私は自分の力で魔法使いになる。お前なんて呪われて死んでしまえばいい。死ね。呪われろ。クソ魔女ババア。今でも一言一句覚えてるよ。終いには壁に飾ってた写真を……昔あいつと撮った写真だったんだけどね……あいつが魔法で壊しやがった。むかついたから、出て行く前に耳たぶつまんで引っ張ってやったよ」
(……写真が飾ってある壁に一箇所だけ空白の変な跡があった。……アンジェちゃんが壊した跡だったんだ……)
「専攻は?」
「……水魔法使いとして、活躍してます」
「ああ、読み通りだ。あの子は水魔法を使ってる時が一番楽しそうだった」
「……だから、……あまり……見学させてくれないのですね……」
「……私の魔法ばかり見たって仕方ないよ。今の時代、口から吐くほど魔法使いがいる。なら、色んな魔法を見て、盗んで、自分の物にして、それを仕事でやっていけばいいだけさ」
(……やっぱり、色んな人の魔法を見て、盗んでいくしかないんだな……)
「あいつ今でも私の悪口言ってるのかい。暇だねえ。そんな暇があるなら魔法の一つでも磨けばいいのに。だから駄目なんだよ。あいつ」
「……でも、一年でデビューしたそうです。それは、……本当にすごいことです」
「当然だよ。学校に三年通うのと、私の元で三年やってるのとでは訳が違う。むしろ、入学した時点で魔法使いになれる素質があったはずなのに一年もかかった時点であいつの実力がわかるもんさね」
「……あたしは12年になります」
「ルーチェ、人は人。自分は自分だよ。人によって成長の速さは異なる。お前の脳と人の脳が違うように、お前にはお前の成長の速さがあるんだよ」
「こんなに違うものなんですか?」
「違うんじゃないかい? 現にそうなんだから」
「……」
「12年、成長しなかった奴が一週間そこらで猛練習して急成長すると思うかい? しかも発達障害を抱えてるお前なんかに。残念だけどね、それは漫画の中の話だよ。ルーチェ、現実を見な」
「……」
「良い機会だ。根拠もない虚無の妄想でも想像でもなくて現実の話をするよ。……私がお前とアンジェを比べた事があるかい?」
「……いいえ」
「私がお前を生徒だと言ったことはあるかい?」
「……いいえ」
「私がお前を恥だと言ったことはあるかい?」
「いいえ」
「今のミランダ・ドロレスの弟子はお前だよ」
ミランダ様の手があたしの顎を持ち上げた時に――月の光に当てられ、輝いて見えるミランダ様と目が合った。
「ルーチェ、顔を上げて胸を張りなさい。うじうじしてるんじゃないよ。私の弟子だと言うのなら、堂々と前だけを向いて歩きなさい。痛い思いをしてもくじけず、辛い思いをしてもまだまだだと強気でいなさい。そして何があっても諦めるんじゃない。お前が持ってる『魔法が好き』だという気持ちに正直でいなさい。好きだからこそぶつかって、挑戦して、喜んで、怒って、悲しんで、楽しんで、感情に振り回されながら全力で遊べばいい」
ミランダ様の顔が近付いた。近くなった唇が動く。
「好きだろう? 魔法」
あたしは頷いた。
「その中でも光魔法は最高だろう?」
あたしはまた頷いた。
「オーディションの時はどうだった? 苦しかったかい?」
「……オーディションの、時は……」
あたしだけのステージ、打ちあがる花火。無音。爆発。星。輝く光。
「……気が狂いそうなほど……楽しかった……です……」
「その気持ちを忘れちゃいけないよ」
「……」
「何の証拠もない妄想なんてしてる暇があれば、魔法で遊べばいい。遊び尽くして追及して研究して発明する。ルーチェ、お前は恥なんかじゃないよ。私の凄さを証明したいが為にここまで一人で頑張ったんだ。実に立派で、愛しくて、自慢の弟子じゃないかい」
――なんで、
(なんでそんなお優しいこと言うんですか……)
今のお言葉、絶対に忘れない。ああ、録音したかった。リピート、アフター、ミー。
「ふぇっ、ぐすん、ひっ、ぐすん! ふぅうん! ぐすん! ぐすん!」
「お前ね、泣くのはいいけど……ちゃんとこのドレスを綺麗に洗濯するんだよ」
「こくこくこく!」
「それと私も仕事帰りなものでね、夜ご飯が無くてくたばりそうなんだ」
「ごめっ、ぐすっ、ごめんな、さい、すぐに……すぐにぃ……!」
「今日はお前も疲れてるだろう。……たまには外食しないかい?」
「……外食……ですか……?」
「お気に入りの店があったんだが、どこかの誰かさんのせいでめっきり行けなくなっちまったもんでね」
「……?」
「だが、……ルーチェのお陰で行けそうだね」
ミランダ様があたしの背中を軽く叩いた。
「お前もお腹空いてるだろう? 一緒においで」
「……着替えてもいいですか?」
「私も着替えるからお前も着替えなさい。鼻水と涙で濡れたドレスで外なんか歩けないよ」
「……ごめんなさい……」
「……もう満足かい?」
「……いいんですか?」
「馬鹿だね。おいで」
「……っ、ミランダ様ぁ……!」
起き上がったあたしはミランダ様に強く強く抱き着き、ミランダ様の撫でてくる大きな手を感じて、
「ふぇえええええええん!!」
また小さな子供のように大泣きを始めた。




