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駆け出し魔法学生はスタート時点を目指す  作者: 石狩なべ
第五章:優秀な青の魔法使い
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第6話 限度を知ろう


 猛練習とはどういうことか。

 あたしがこれまでやった猛練習とは、やはり、ミランダ様から頂いた最初のテストの時にやったひたすら繰り返す行為だろう。


(ただ、あの頃のあたしとは違う)


 イメージを膨らませるだけではいけない。発音は間違えていないか。『花火』のアクセントは頭高。しかし、これに大会がついたら『花火大会。』中高。単語がついたりつかなかったりでアクセントは変化する。アクセントに間違いはないか。無声音、有声音は出来てるか。敬語のです。ます。の『す』は無声音。ひそひそ話する時の発音。舌の位置は変な方向に動いてないか。舌は固定。なるべく下に収める。下顎引いて、背筋伸ばして、腹式呼吸を意識して、杖を構えて、イメージを膨らませて、滑舌明瞭に。連母音に気をつけて。『ああ、いい、うう、ええ、おお』が続く言葉は難しい。2音目意識。アクセントも意識して。


 こんなに一辺に出来ないよ。だってあたしはADHDだもん。


 そう。あたしは発達障害者。皆はエレベーターで上がれるけど、あたしにエレベーターは存在しない。階段しか存在しない。ならばやることは? 一段一段上るしかない。つまり? 人よりも何倍も何十倍も何百倍も数と時間を費やして繰り返すしかない。体に覚えさせるしかない。


 よし、飽きるから付箋を貼ってやった数を数えよう。そうして達成感を味わえるならやればいい。けれど25回目くらいからわかってくる。数を数えるの飽きたなって。50回目からわかってくる。もう書くところないじゃん。付箋を剥がすと喉が渇いてることに気づく。もうこんな時間だ。あー。トゥイッターどんな感じかなー。アンジェの記事を見つけてアプリを閉じる。こんなことしてる暇はないんだよ。繰り返すしかないんだよ。気がついたら寝落ちしてる。朝と夜が逆になる。小説サイトを確認する。いいねが押されてる。優越感に浸る。トゥイッターを確認する。アンジェの記事が流れてる。アプリ自体一時的にスマホから消すことにする。スマホの画面にあったら絶対弄って時間を無駄にする。移動中の電車では花火の動画を見ることに専念した。


 昼は学校。夕方はアルバイト。帰ってきたら真夜中。ミランダ様は最近朝昼晩問わず毎日仕事に出かけてる。そんなにあたしと顔見せたくないですか。ああ、そうですか。はいはい。電話番だけ任されて、あたしは小さく細かく魔法を練習する。


 駄目だ。時間が足りない。この土日が終わった後の水曜日が本番だ。このままじゃいけない。ならば早起きをしよう。


(眠い……。くそ……。これが終わったら10時間くらい寝てやるから……。小説もいっぱい書いてやるから……。動画も……めっちゃ面白く編集してやるから……)


 普段ならば六時起き。ミランダ様とセーレムと自分の分のご飯作り。では一時間早く起きよう。五時起き。試してみた日の授業中に寝てしまいそうになって慌ててトイレに行って冷たい水を頭から被ってガムを噛む。


(明日は土日……明日は土日……明日は土日……)


 バイト先に向かう途中目眩が起きる。頭が重くなる。ああ、雨が降るんだろうな。スマホを開くと、二日後は雨模様。


(……最悪。日曜雨かよ……)


 あたしはアルバイトで生活費を稼いでくる。あ、忘れるところだった。その日のうちに衣装を購入。帰る途中で花火のイメージを頭に思い描く。あたしは不思議の国のアリスに出てくる白ウサギ。白ウサギは遅刻してはいけない。だから花火を打ち上げる。あたし、遅刻してません! 今ここにいます! 美しい花火を上げて不思議の国の皆に伝える。あたし、遅刻してません! 今走ってます! イメージは出来てる。イメージだけなら完璧だ。問題はそれが出来るか出来ないかだ。頑張れ。あたし。踏ん張りどころだ。頑張れ。これで頑張ったら自然と結果はついてくる。あたしは選ばれる。選抜メンバーに絶対選ばれる。選ばれたら自信に繋がる。経験値になる。ミランダ様に褒めてもらえる。アンジェに胸を張ってミランダ様の弟子だと言える。あたしはミランダ様の弟子。ミランダ様の恥にはならない。あたしは恥ずかしい人間じゃない。頑張れ。ADHDだからなんだ。他より劣ってるからなんだ。頑張れ。頑張るんだよ! やっては繰り返して、やっては繰り返して、こんなもんかな、は駄目なんだよ! あたしのこんなもんかな、は、健常者が五分で作り上げられるものなんだよ! やれ! とにかくやれ! アクセントはどうなんだよ! 無声音有声音! ほら、また吃った! 吃るな! 吃ってもいいって言い聞かせたら吃り癖は治りますなんて、そんなバカで愚かな健常者の言葉になんて耳を貸すな! 吃らないようにするまで練習するんだよ!! やれ!! やるんだよ!! 繰り返すんだよ!! それしかないんだよ!! やれ! 頑張れ! あたし頑張れ! 頑張って! 踏ん張るんだ! ここで諦めちゃいけない! 嫌ならやめろ! すぐにやめちまえ! 諦めろ! この道を捨ててエンジニアでも喋る必要のない職場に就きやがれ! それが嫌なんだろ! 嫌だからやってるんだろ! 魔法使いになりたいんだろ! だからこの12年間やってきたんだろ! 覚悟を決めたんだ! やるんだ! やるしかないんだ! あたしは選ばれる! あたしは選ばれる!


 選ばれるまで繰り返すんだ!!


「……」


 予報通り、日曜の夜は雨が降った。セーレムが窓を見ている。


「ミランダいつ帰るのかな。こんな雨だから絶対びしょ濡れになって帰ってくるよ。こういう時、箒って不便だよな。今日くらいはタクシーで帰ってきそう」


 あたしは鍋にシチューの元を入れた。


「ルーチェ、今夜のご飯はぁー?」

「シチュー」

「ああ、あのどろどろしてるやつか」

「セーレム、牛乳余ったーんだけど、ホットミルク飲む?」

「お、気前がいいじゃん。ルーチェ!」

(セーレムはいっつも素直で可愛いな。癒やされるー)


 あたしは笑みを浮かべ、冷蔵庫の扉を開けた。


(あれ)


 手が震えてる。魔力を使いすぎたかな。いや、お風呂入ったら大丈夫でしょ。あたしは余った牛乳を取り出し、鍋に入れた。


「俺、窓に張り付いた水滴がすごく気になるんだよ。何なんだろうな。この水滴の形。なんかずっと見てられるんだよな。……これ舐めれないのかな。ぺろ。うわ、くそまずい! あ、なんだ。窓か。そうか。俺は窓を舐めたのか。ルーチェ、俺窓を舐めちゃったよ。早く牛乳飲みたい!」

「ふふっ、ちょっと待ってて。今温めるから」

「おう!」
















(……ん、何……? 眩しい……)


 瞼を上げると視界がぼやけている。何も見えない。


(やば……また視力悪くなったかな……眼鏡……は……部屋か……)

「ルーチェー? 大丈夫かー?」

「セーレム、向こう行ってな」

(あれ、ミランダ様の声がする……。……帰ってきたのか……。……お帰りなさい……)

「ミランダ、ルーチェ口利かないよ」

(なんか体痛い……。視界がぼやつく……。声が遠い……。耳鳴りがする……)

「ルーチェ、……わかるかい?」

(頭がぼうっとする。体に力が入らない。ここどこ……?)

「ルーチェ、俺とミランダの声聞こえる?」

(聞こえるよ。どうしたの? セーレム……)


 唇が何かに塞がれた。


「んっ」


 鼻からしか呼吸が出来なくなる。


「んっ、んん……」


 何かの液体が口の中いっぱいに流される。


(苦しい)


 何かを飲まされた。


「んっ、んぅ……!」


 液体が喉の奥に流し込まれると、口が解放された。


「げほっ! げほっ、げほっ!」

「あ、ルーチェ!」

「げほっ、げほっ! げほっ!」

「ルーチェ、俺がわかる? ああ、良かった! 急に居眠りこいた時にはどうしようかと思ったよ! 急だよ! 急! 俺のミルクを温めるって言っておきながら火もつけずにごろーん! って寝転ぶんだからびっくりしたよ! ミルクを待っていた俺はルーチェの匂いを嗅ぐことしかできなかった。ああ、猫ってなんて無力なんだ。ミルクが飲みたいのにミルクが鍋の中にあるせいでこの舌で味わうこともできないなんて! だけどもう大丈夫。ミランダが帰ってきたんだ! ルーチェ、起きたのなら早く俺のホットミルクを作るんだ! さ、やりたまえ」

「風よ波を作りたまえ。この馬鹿で愚かな弟子を運んでおくれ」


 風の波があたしを持ち上げ、ミランダ様があたしをそのまま抱き上げた。あたしの体は動かない。


「あ、ミランダ! どこ行くの!? ねえ、俺のホットミルクは!?」


 風があたしの部屋のドアを開けた。


「俺、ずっと待ってたのに……」


 ドアが勝手に閉まる。

 ミランダ様があたしをベッドに投げ捨てるように置くと風の波が消える。


 あたしはうなりながら体を起こそうとしたが、腕に力が入らない。暗い部屋の中、ミランダ様がマントを脱いだ。


「ルーチェ、今夜は寝な」

(……そんな時間ない……)


 あたしは起き上がろうと腕に力を入れる。


「ルーチェ」

(今週の水曜日……練習出来るのは今日を入れて三日だけ……。明日から学校も始まる……。あと何回練習出来るのかわからないし、今日は昼から……雨も降って、いいところで練習が中断になったし……もう少しだけ……)

「ルーチェ」

(もっとやらないと。あたしは、もっと、やって、もっと、頑張らないと、健康な……健常者共なんかに……負ける……から……)


 あたし魔力の量だけは自信がある。

 まだやれる。

 だって、あたしはミランダ様の弟子だから。


『学校に入学してからたった一年で魔法使いデビューした逸材、その名はアンジェ・ワイズ』

 ――そうだよ。ルーチェ!


(あたしは)


 ――アンジェはね、

『なんと、彼女は過去』

 ――だからね? 私は自分から弟子辞めたの。

『あの英雄の光魔法使い、ミランダ・ドロレスの元で修行をされていたのです!』

 ――ミランダ様のお弟子様だったんだよ!

 ――あのね、もっとすごい人いっぱいいるんだよ? 

 ――なのにあの人は、過去の栄光に乗っかって胡坐かいてる。


「同情するよ。ルーチェ。本当、可哀想」



 あたしが、ミランダ様の弟子だ。

 お前じゃない。

 ミランダ様の元で勉強していたら、こんなにもすごくなるんだぞってところ、見せてやる。

 絶対見せてやる。

 あたしが見せるんだ。

 ミランダ様の凄さを、あたしが見せるんだ。

 いいか。

 発達障害を持ってるあたしが見せるんだよ。

 ならばどうする。

 このあたしがその姿を見せるためにはどうするんだ。

 寝る?

 食べる?

 良い子で授業を受ける?

 頭で慎重に作戦を考える?

 違う。



 繰り返し練習するしかないんだよ。



「ぐぅ、う……ぐっ……」

「……」

「ま……だ……、時間……が……ある……」

「……」

「まだ……」

「っ」


 息を吸ったミランダ様があたしの頭を乱暴に鷲掴みにし、動こうとするあたしの動きを止め、枕に押し付けてきた。


(はぶっ!)


 あたしは手足をばたつかせる。やばい! 窒息する! 窒息する! 窒息するってば! 離しやがれ! このクソババア!! 重たいんだよ!!


「部屋の明かりは豆電球。部屋には小さな光のみ。その明かりも消そうじゃないか。ママが消すよ。パパも消すよ。良い子は寝るんだ。寝る時間さ。寝なさい。馬鹿弟子。お前はもう寝る時間だよ」


 睡眠魔法だ。あたしの体に本当に力が入らなくなっていく。嫌だ。あたしはまだ練習したい。練習しないといけないんだ。抗う。やだ!!!!!


「寝なさい」


 ミランダ様の魔力があたしの中に入ってくる。しかし、あたしは膝を抱えて首を振る。嫌だ!!!


「寝なさい」

 やだ!!

「寝るんだよ」

 いやだ!!

「寝ーるーんーだーよー」

 いやぁあだぁあああああああ!!!


 ミランダ様が静かにあたしを睨んだ。

 あたしは膝を抱えてミランダ様を睨んだ。

 ミランダ様の黒いヒールが音を鳴らした。

 あたしは膝を抱えたまま動かない。


「いい加減にしな。ルーチェ」


 あたしは何も言わず、黙ってミランダ様を睨み続ける。


「私が寝ろって言ってるんだよ」

「あたしは寝たくないって思ってます」

「人間には生きていく上で必要な三つの欲がある」

「食欲睡眠欲性欲ですよね。馬鹿にしないでください」

「そうだよ。睡眠を怠って綺麗な魔法なんか出せるわけないだろ」

「あたしの勝手じゃないですか」

「なんだい。その物言いは。お前ね、身の程を知りな」

「魔法の練習がそんなに悪いことですか? ミランダ様も数が物を言うってよく仰ってますよね? 言われた通り繰り返し練習してるじゃないですか」

「その前にお前は大事なことをやってないんだよ」

「やってます。夕飯もちゃんと作りました」

「そういうことじゃないんだよ」

「掃除だってやってます。なんですか? やることやってます。他に何が必要なんですか!?」

「ルーチェ!」

「オーディションの準備してるのにうるさいんですよ! 過保護かよ! 馬鹿が! 少しは黙って見てろよ! 鬼ババア!」


 ミランダ様の目が見開かれた。あたしを睨む。

 あたしの目が見開かれた。ミランダ様を睨む。

 しかし、あたしはすぐにはっと息を呑んだ。

 ミランダ様が震える手でトンカチを掴んでいた。

 あたしはぞっとして、慌てて後ろに下がった。


「それは反則ですよ!!」


 ミランダ様がトンカチを持ったままあたしに真っ直ぐ歩いてくる。


「ミランダ様! 物理は駄目ですってば! 物理はズルいです!! 卑怯者! こういう時は魔法でこうどかーんと……!」


 ひい!


「全力で振り下ろすなんて何考えてんだよ!? あんた!!」


 罪滅ぼし活動ミッション、ミランダ様のトンカチから逃げる。(*'ω'*)頑張れー!


「ミランダ様! トンカチは魔法使いとしてまじでどうかと思いますよ! ルール違反反対!」

「どうかと思うならさっさと寝な。クソガキ」

「……。あたしがクソガキなら、貴女は大クソババアですね」


 ミランダ様が更に大股で追いかけてきてあたしは更に走って逃げる。


「本当のことじゃないですか!!」

「寝る時間だよ! クソガキぃ!!」

「うるせえ! 大クソババア! いつもいつも偉そうに物言いやがって!」

「な ん だ っ て ?」

「いっつも濃いメイクして年齢詐称するのもいい加減にしろよ! 女の年齢なんて首の皺見たら大体わかるんだよ!! 諦めろよ!! 年増魔女が!! 男に色目使ってそんなに楽しいかよ! 貴女なんてただのいい年したババアだろうが!!」


 ミランダ様の足が止まった。


「ババアはさっさと引退して若い子の見守り役になりやがれ!! ばぁーーーっ」


 あたしの背中に何かがぶつかった。瞬きするとミランダ様がいなくなっていた。振り返ると、


 瞳をギラギラ光らせるミランダ様からの全力トンカチが振り下ろされた。


(あ、死んだ)


 脳内のあたしの頭に直撃した。脳が麻痺した。星がきらきら光る。ぴよぴよヒヨコが鳴いた。部屋が暗くなった。良い子は寝る時間。






 馬鹿で愚かな弟子はようやく眠りについた。


「……覚えてな……。お前だってね……いずれ歳を取るんだからね……」


 精神世界で思い切り弟子を殴ってやったミランダの意識が現実に戻ってきた。


「だから若いのは駄目なんだよ……。加減ってものをまるでわかっちゃいない……。特にお前はね、一つのことにのめり込んだらそのまま気が狂ったようにやり続けるからもんだからね。……ルーチェ、私達にはね、副作用ってもんがあるんだよ」


 魔法は永遠に使えるわけではない。魔法使いだって魔力がなくなればただの人間だ。


「体を壊す無理は毒なんだよ。覚えておきな。超大グソガキ」


 頭を鷲掴む手の力を緩ませる。


「いいね」





 優しい手でその頭を撫でた。


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