父、新たな目的地を目指す
「そーれ、とってこぉぉぉい!」
「ワオーン!」
人の頭より更に二回りほど大きな木の球を、ニックが高く遠くへと放り投げる。するとその場からかき消えるような勢いで高速移動したサビシがジャンプ、空中にある木の球をガッシリとくわえ込んだ。
「おお、流石だな! だがまだまだ行くぞ! ほれほれほれ!」
「ワン! ワフン! ウォォォン!」
続けて放たれた大小様々な大きさの木の球を、サビシは空中にいながらあるいは前足で、あるいは尻尾で叩き落とす。そうして全てを撃墜すると、落下している木の球も全部まとめてその大きな口にくわえ込み、くるりと空中で一回転してから地面へと降り立った。
『どうだ息子よ! 父の勇姿は!』
『凄いです! 凄いです父上!』
ファサファサと尻尾を振りながら戻ってきたサビシの姿を、風切り音がするほどの勢いで尻尾を振るワンコが出迎える。
『フッフッフ。そうだろうそうだろう。しかし丸いな。丸くて臭い。何だこの……丸い! 丸いぞこの野郎!』
そのまま口から木の球を地面に落としたサビシが、前足でペシペシと木の球を転がし始める。それを見たワンコは、すぐ側に立っていたギセーシャ……ミコミコムーンの足下へと駆け寄っていく。
『ギセーシャ! 我も! 我も丸いのが欲しいのだ!』
「はいはい。でも私じゃニックさんみたいに遠くには投げられませんよ?」
『それでいいのだ! 早く早く!』
「ふふっ、わかりました。じゃあ……そーれ!」
「わおーん!」
ミコミコムーンが木の球を放ると、すぐにワンコがパクッと口でくわえ込む。そのまま地面に降り立てば、父と同じように前足で叩いたり鼻でつついたりしながら遊び始めた。
『わふん! 丸いのだ! 臭いのだ!』
『そうだな。丸くて臭いな。何でこの丸いのは俺を引きつけてやまないのだろうか? くそっ、何もかもコイツが丸いのが悪いんだ! このっ! こいつめ!』
そんな親子の姿に、ニックとミコミコムーンは共に目を細めてしばし見入る。遠くからコーンコーンと木を切る音が聞こえるなか、しばしまったりとした時間が流れ行く。
「こうしてみると凶悪な魔物だとはとても思えんな。ところでミコミコムーンよ」
「……………………」
「ミコミコムーン?」
「……あっ!? はい、私のことですよね? すいません、どうしても慣れなくて……」
名を呼ばれたことに気づかなかったミコミコムーンが、ニックに対して慌てて頭を下げる。
「ふーむ。ワンコの奴も前の名前で呼んでいたし、慣れるのはまだまだかかりそうだな」
「はい。今更新しい名前と言われても、どうしても馴染めなくて……あの、やっぱり前の名前のままじゃ駄目なんでしょうか?」
「うむん? そうだな……一応あの村の者達には別人として名乗ってあるから、最低限村人の前で以前の名を名乗らなければ大丈夫だとは思うが……」
「あ、じゃあ元の名前でお願いします!」
ニックの言葉に、ミコミコムーンが即答する。その食い気味ですらある勢いにニックは少しだけ寂しげな顔をする。
「むぅ、そんなに気に入らんか? 可愛い名前だと思うのだが……」
「いえ!? あの、違います! 決して新しい名前が気に入らないとかじゃなくて! でもその、やっぱり元の名前に愛着があるっていうか……」
「まあ、その気持ちはわかるが。儂とて娘に『フレイなんて名前は嫌だ』と言われたら割と本気で泣き崩れる気がするしな」
親として、自分たちが必死で考えた名前を簡単に否定されたりどうでもいいと扱われたりしてしまうのは当然寂しい。であればミコミコムーンの考え方を歓迎こそすれ強く否定するのはニックとしても本意では無い。
「ならまあ、好きにせよ。何を名乗るも名乗らぬも、お主の自由だ。ただ……元の名を名乗れば、余計に未練が強くなるのではないか?」
気遣わしげなニックの言葉に、ミコミコムーンが苦笑する。
「かも知れません。でも、そういう思いも大切にしたいんです。名前も姿も変わっても、私がオババ様の孫娘であることは変わらないみたいですし」
「そうか。ならばそれもお主の選択だ」
言って、ニックは大きな手でギセーシャの頭を撫でる。かくて生贄の少女は蘇ることはなく、されどその名は二つで一つとなる。具体的には魔狼少女になっているときはミコミコムーンで、それ以外ではギセーシャだ。はにかむ少女の笑顔を見てから、ニックは改めて話題を切り出す。
「さて、ではギセーシャよ。改めてだが……儂はそろそろまた旅に出ようと思っている」
「そう、ですか……できれば完成した社を見ていただきたかったですけど。ニックさんがお金を出してくれたわけですし」
社の建設費用として、ニックは件の場所に金貨を一枚置いてきていた。初めて見た金貨にギセーシャのみならずそれを受けとった村人達も大興奮していたが、今はきちんと回収され、既に森では伐採作業が始まっている。
「あの、お金はきちんとお返ししますから! どれだけかかるかわかりませんけど……」
「構わん構わん! 気にするな。新たな生活を始めるお主とワンコに対する、儂からの餞別のようなものだからな」
「でも、あんな大金……!」
「はっは。大金と言うがな、ワンコの抜け毛や今後生え替わるであろう牙などを持って行くだけでも普通に金貨が手に入るぞ? まあもっと大きな町の冒険者ギルドでなければ換金はできぬであろうが」
「ええっ!? じゃあいただいた手袋とかも!?」
ミコミコムーンの時に身につけていた手袋と靴は、そのままニックから贈られている。それ自体も銀貨の値がつくそれなりにいい物だが、この場合はぶかぶかの部分を埋めるように詰め込まれた抜け毛の価値が問題だ。
「売ればかなりの金になるぞ? とは言えお主が直接換金するのは絶対に辞めておけ。いらぬ疑いを向けられるどころか、殺してでも奪い取るような輩だっているだろうからな」
「う、売りません! ワンコ様の抜け毛を売ったりなんてしません!」
焦って否定するギセーシャに、ニックは笑顔で頷いてみせる。
「それがよかろう。あとは儂の最後の教えを守れば、当分はお主達がここで暮らすことに不自由はなくなるはずだ。ちゃんと覚えているか?」
「はい。全ての問題を事前に解決するのではなく、村人の目に見える形で解決する……ですよね」
真剣な顔で、だが少しだけ表情を暗くしてギセーシャが言う。
「そうだ。全てを目に見えぬ段階で解決してしまえば、村人は必ず今の状況に慣れてしまう。そうなればお主やワンコへの感謝を忘れ、場合によっては捕らえたり殺して金にしようと考える輩も出てくるかも知れんからな」
「あの村の人達が、そんなことしようとするとは思えませんけど……」
不満そうにそういうギセーシャに、ニックは腰を落としてその顔をまっすぐに見つめる。
「確かにお主を直接知る者はそうだろう。だが時が流れ、世代が変わればお主との関わり方も変わっていくのが必定。
人は慣れる。人は忘れる。山の守り神がきちんと存在し、自分たちを守ってくれていると示しておかねば、いざという時に助けてすら『貢ぎ物が欲しくて自分たちを魔物に襲わせた』などと言い出す者すらいるのだ。
人を信じる心は美徳だ。だが盲目的に信じるのは単なる愚か者だ。つかず離れずの距離を保つことこそが、お主達の生活に安寧を与えると肝に銘じるのだ」
「わかりました……」
言葉とは裏腹に視線を沈めているギセーシャの頭に、ニックはポンと手を置く。
「今は納得せずともよい。生涯わからずにすむなら、それに越したこともない。だがそれでも聞き入れてくれ。これは儂からお主への、最後の頼みだ」
「ニックさん……わかりました。お言葉、きちんと胸に止めておきます」
『何だニック。お前何処かに行くのか?』
と、そこで空気を読んで……あるいは夢中になって……遊んでいたサビシがニックに声をかけてくる。
「ああ、そうだ。元々海の方へ行くつもりで旅をしている最中だから……そうだサビシよ。お主ワンコの為に世界中を回ったというなら、その途中で古代遺跡を見つけたりはしなかったか?」
『古代遺跡? 地面に埋まっていたり、ボロボロに崩れかけた古いニンゲンの建物ってことか?』
「あー、まあそんな感じだな。どうだ?」
『それならいくつか見かけたぞ』
「おお! 場所はわかるか?」
『細かい場所までは覚えてないが、そうだな……』
大きな頭を傾げつつ、サビシがいくつかの場所をあげる。ほとんどはここから離れた場所だったが、そのうち一つは丁度海への道すがらに寄れそうな場所だった。
「よし、ではそこに行ってみることにするか。助かったぞサビシよ。何か礼に……そうだ、その木の球をお主にやろう」
『本当か!?』
ニックの提案に、サビシの尻尾がブオンと振れる。
「ああ。昔の旅の途中で、職人修行をしていた男が作っていた習作を買い取ったものだからな。あの時は『そんなものいらん』と言っておったが、今は違うのだろう?」
『ぐっ、いや、俺は……』
ニヤリと笑うニックに、サビシが言葉を詰まらせる。初めて出会った時に見せられ一瞬で心を奪われた木の球だったが、その時のサビシはまだまだ強がっている最中だった……本人以外には尻尾の動きでバレバレだったが……ため、欲しいとは言えなかったのだ。
『父上! 我は丸いのが欲しいです!』
『そ、そうだな! 我が息子の為なら、貰ってやろう! うん、そうだ。そうしよう! 息子が成長した時のために、大きいのも全部まとめて貰ってやるぞ!』
「はっはっは。わかったわかった。なら全部置いていこう。ではサビシにワンコ、それにギセーシャよ……いずれまた縁があったなら、何処かで会おう」
「はい! 私はここでワンコ様と元気に暮らしていきます! だからニックさんも、どうかお元気で!」
『またなのだニック! 今度来た時は我がギセーシャと作り上げた凄い巣に招待するのだ!』
『さらばだニンゲンの友よ!』
一人と二匹に見送られ、ニックはその場を後にした。対外的にはワンコに殺されたか、あるいはギセーシャを見捨てて逃げたということになっているため村に立ち寄ることはせず、そのまままっすぐに山を登る。
そんなニックに声をかけるのは、このところニックが常に誰かといたため、なかなか話す機会の得られなかったオーゼンだ。
『今回も随分な騒動であったな』
「そうだなぁ。だが久しぶりに懐かしい友に会えた。儂にとってはそれだけでも僥倖だ」
『友か……我の知る者達は……流石にもう生きてはおらんだろうなぁ』
「一万年はなぁ……」
仮にオーゼンのような知恵ある魔導具だったとしても、一万年もの時が流れれば朽ちているのが当然だ。ましてや人やそれに類する物が生きられるような年月ではない。
「会わせてやることは叶わんが、懐かしむことくらいならできるかも知れんぞ? 次の目的地は久しぶりに古代遺跡……らしき場所だからな」
『フッ。精々期待させて貰うとしよう』
オーゼンの言葉に、ニックはポンと鞄を叩く。そんな二人が次に向かう先では……思いもよらない試練が待ち受けていた。





