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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

絶望した少女は悪魔の手を取る

作者: ワイ

「はいお嬢様、ご飯ですよ」


 鼻で笑ったような蔑んだ口調でメイドが言った。

 ホコリにまみれた床に雑に置かれたトレイから食材がいくらかこぼれて落ちたがメイドは気にする様子もなく、乱暴にドアを閉めた。


「……」


 床に置かれたそれを虚ろな目で眺めるのはメリル・リスターシャという名の少女、この部屋――物置の住人だ。

 トレイに乗っていたのは食いかけの肉や果物、いわゆる食べ残し、残飯と分類されるもの。


 メリルはそのゴミを口に運ぶことに何の感慨も抱いていないのか無表情で、言葉の一つも発することもなく機械的に胃に収めた。

 事を済ませた彼女はトレイをドアの向こうに置き、物置に戻って硬い床に寝そべる。

 ボサボサの髪にやせ細った体、哀れな少女を憐れむ者はもうこの屋敷にはいない。






 メリルは侯爵家で生まれた貴族だった。

 思慮深さを感じさせる美しい顔立ちと黄金が色あせるほどに輝く金色の髪を持つ彼女は両親から大層愛され、幸せに暮らしていた。


 しかし、その幸せは突然終わる。

 父と母が事故で死んだ、そこまでならば彼女もまだ立ち直ることができたのだろう。

 だが現実は非常に意地悪で残忍だった。


 当主が亡くなった侯爵家を継いだのは父の弟、メリルの叔父だった。

 メリルは叔父とはあまり親交がないがそれでも彼が既婚者で娘が一人いることは知っていた。


 仲良くできればと思っていたメリルだったがその期待は裏切られる。

 叔父たちのメリルに対する態度は苛烈なものだった。


 彼は誰が侯爵家の切り盛りをしているのかをメリルに恩着せがましく語り、自分のことはもちろん妻子を徹底的に贔屓してメリルを冷遇したのだ。


 そんな彼の態度に使用人たちも影響を受け、メリルをぞんざいに扱い始める始末。

 それでもいくらかの使用人は苦言を呈したがその態度が当主の反感を買い、彼らは次々と屋敷を追い出されていった。


 そして新たに雇われた使用人は当主に気に入られようと率先してメリルをいじめるのだ、最初こそ良心が咎める者もいたが周りに流され一度でもタガが外れれば後戻りはできず、そういうものこそ嬉々としてメリルをいじめた。


 弱いものを寄ってたかっていじめるという邪悪な快楽に魅入られた者たちに囲まれたメリルはただただ泥水をすするような苦痛の日々を送った。


 彼女は部屋を追い出され、汚い物置に押し込められた。

 彼女は段々と食事を減らされ、ついには残飯しか与えられなくなっていた。

 彼女は自分の持っていた思い出の品、可愛らしい服を根こそぎ取られそれは処分されたか当主の娘の私物にされた。


 何もかも失った、叔父夫妻はされるがままのメリルを嘲り、彼らの娘も美しいメリルが落ちぶれる様を見てクスクスと笑う、使用人たちはメリルに嫌がらせをすることで日々の鬱憤を晴らす。


 メリルという不運な奴隷を犠牲にして皆が笑っていた。



 



 そして最後までメリルの味方でいてくれた侍女が屋敷から消えた時、彼女の心は死んだ。

 絶望し生きることも死ぬことも諦めた彼女は死にかけた動物のようにぐったりと床に伏せ、食事の時以外は呼吸と瞬きしかしない人形になったのだ。


「……」


 お腹が減った。

 メリルは何かが食べたいわけではない、ただの事実として彼女の胃が空っぽなだけである。

 空腹、栄養失調、ここ最近は残飯すら届けられない日が続いた。


 このまま死ぬのだろうか――それでもいいと彼女は空っぽの心で思った。

 今のメリルはまさしく空っぽだった。

 喜びも悲しみも……怒りや絶望、憎しみすら存在せず、ただ生きているだけ。


 食わずに死ぬのならこのまま死のう、それが彼女の答え、疲れ果てたメリルはあるがままの自然の流れに命を任せた。






「おやおや、かわいそうに。こんなに痩せてしまって、飢えた狼でもまだ今の君よりは立派に見えるだろうね」


「……?」


 メリルは視線だけ動かして自分を見下ろしている人物を見た。

 知的だが裏のありそうな笑みを浮かべた中年の男だ。


 汚らしい物置のなかにおいて清潔感のある洒落た黒いコートとシャツでキメている。

 一体どこから入ったのかわからないが、男はとても親しみのある親切な笑みでメリルに話しかけた。


「おっと驚かせたかねお嬢さん。安心したまえ私は君の味方だよ。私はヘルマン、少し私とお話をしてくれないかね? お嬢さん」


「……」


 話をすると言われてもこんな怪しい存在とどう話せばいいのか、メリルには皆目見当もつかない。

 そもそもここにどうやって入り込んだのか、扉も窓も開いた様子はないが――


「あぁ言わなくてもいい、言わなくてもわかる私には。確かに私がいつ、どうやってここにやって来たのか気になるのはわかるとも……だが君がそんなことを知ってどうなる? 何の得もないだろう? 私は君の得になることを話しに来たんだ、まあ聞きたまえよ」


「……」


 そもそもメリルにはもう動いたりする体力は残っていない、明日にでも死んでいるような状態なのだ。

 今さら得になるようなことなど何の役にも立たなさそうだが、黙って聞くしかできない。


「どうもありがとう。君は悪魔というのを知っているかね?」


「……」


 知らないわけではない、人間の魂や感情を喰らう悪しき存在という程度だが。

 目の前の男――ヘルマンは悪魔なのだろうかとメリルが疑うと、彼は人懐っこい笑顔で頷いた。


「ご名答、いやはや察しの良い人間は話しが早くて助かる」


「……」


 そう言う彼を見ながらメリルは反射的に死にゆく自分の魂を喰いに来たのだろうかと疑った。

 するとヘルマンは眉をひそめて言う。


「まさか、君のすっからかんで無味無臭の魂を喰らってどうする? 私がそれで満足するとでも? ハッ、笑えるね、君はジョークが上手い人間のようだ、いいぞますます気に入った」


「……」


 ヘルマンはメリルの魂を喰うつもりはないと言い切った。

 そうなると、彼女の頭に残りの選択肢が浮かぶ。

 すると言わずともわかるという言葉の通りヘルマンが頷いた。


「その通り、私と契約しようじゃないか。君のようながらんどうな人間は入り込みやすくてね、それだけ私の力を行使しやすくなる。君は私の力で生き延び、私は君の体で魂を回収する。お互い得をするいい関係を築けるということだ。ちなみに力を貸した代償として君が死んだあと魂をいただくことになる」


 最後の方を小声で早口に言いながらヘルマンはメリルに手を伸ばす。

 この手を取れば契約成立ということなのだろう、メリルはぼんやりと昔のことを思い出す。


 悪魔と契約するのは大罪だ、もし知られれば当然処刑されることになる。

 

 それがどうしたのだろう、メリルは元々死んだような身の上である。

 別に生き延びたいわけではない、ただ自分を必要として足を運んできてくれた悪魔に応えるべきだと彼女の良心が囁いただけだ。





「契約は成立だ。では記念の食事としよう、厨房へ向かいたまえ」


「……」


 メリルが立ち上がる。

 彼女の体にはやけに力が漲っていた、これが悪魔の力なのだろう。

 心は相変わらず灰に染まっているがもうしばらくは生きていられそうだと彼女は思った。


 ドアを開け屋敷の廊下に出る。

 別に物置の外に出ていけないと言われたわけではない、ただ出歩いているところを屋敷の住人に見つかれば何かしらの嫌がらせがあるため閉じこもっていただけだ。


 幽鬼のように歩く、厨房は下の階にある。

 階段に差し掛かった辺りでヘルマンの声が聞こえる。


「おおっと、どうやら早速面白いことを企んでいる者がやってきたぞ。あぁ君は気にせず行きたまえ、君が頭をひねる必要は何もない」


 


 二人の侍女が厨房へ向かおうとするメリルを見つけた。


「ねえあれお嬢様じゃない? 相変わらずみすぼらしいわね~」


「ぷっふふ、ちょっと聞こえちゃうでしょ? ああでも聞こえても何にも反応しないか、ちょっと驚かせてやろっと」


 バカにしたような態度で侍女の一人が階段を降りようとするメリルを突き落とそうとしたが……。


「えっ? きゃっ――」


「……」


 階段から落ちる侍女とメリルの虚ろな視線がすれ違った。

 侍女は勢いよく階段から転げ落ちる。

 腕と足は歪に曲がり、廊下に転がった彼女の首は背中の方を向いており間違いなく死んでいた。


 そのあっさりとした死にざまをメリルは相も変わらず虚ろな目で無感情に見届けた。


「階段から突き落とそうとして自分が落ちる――こういうのを身から出た錆っていうんだっけな。ふーむどれどれ……彼女は自分でも何が起こったのか理解できずに死んだんだろうな、悪意とまさかこんなという驚愕が魂の芯の部分までしっかり染みている。人の不幸は蜜の味というが自分に降りかかった不幸はどんな味なのか……う~む、これは病みつきになりそうだ、なぜ人間たちが自分の不幸に酔うのかよくわかる」


「……」


 ヘルマンが死んだ侍女の足でいじりながら魂の品評をしている。

 メリルが黙って聞いていると階段の上から悲鳴が聞こえる、彼女がぼんやりと視線を送ると走り去る侍女の背中が見えた。


「あの女の魂は恐怖に染まっている。恐怖の味は結構苦いがこれが中々癖になるものでね、昔はあまり好きではなかったが今ではこれがないと落ち着かないほどにゾッコンになってしまった」


「……」


 ヘルマンが指を鳴らすと上の階から轟音が聞こえた。

 壁などに飾ってある物が倒れたのだろう、当然潰されれば人間など容易く死ぬ代物だ。


 上機嫌に笑うヘルマンを尻目にメリルは食堂に向かう。

 なんとなく彼女は自分の役目が読めてきたような気がしてきた。


 メリルは餌であり調味料なのだ。

 何かしらの感情を抱いている人間は魂がその感情で染まる――つまり味がつくということだ。

 メリルという餌で獲物を誘い、味付けをした後でヘルマンが喰らう。

 

 嫌われ者のメリルには適任というわけだ、今の彼女は屋敷の人間を容易に悪意に染め上げ行動させることが出来る。

 

 そんなことを考えていると厨房に着いた。

 中ではコックが一人で大釜を使って仕込みをしている、別に隠れるつもりはないがひっそり生きていたメリルはやはりひっそりと厨房の中を食べられそうなものがないのか物色する。


 だが案外近くに誰かがいれば気づくものだ、コックがメリルに気づき怒鳴る。


「おい! 薄汚ねぇガキが入ってくるんじゃねえ! ここにおめえが食っていいものなんて一つもねえよ、おめえなんて旦那さまたちの残りモノで十分だろうが!」


「……」


 顔を赤くして怒鳴るコックの隣に大釜に持たれかかったヘルマンがいる。

 メリルにしか見えないのか、コックが気づく様子はない。

 しかしさすが悪魔といったところか、ヘルマンはグツグツと煮えた釜を触っているのに熱がるどころか暇そうに体を揺らしながらコックを冷ややかな目で見ている。


「やれやれ、余裕のない男だ。少しは私のような紳士を見習ったらどうなのかね? あまり怒って顔を赤くしていると茹でダコになってしまうよ――おっと、手が滑ってしまった」


「あぎゃあああぁあああぁ!?」


「……」


 ヘルマンが寄りかかっていた大釜が倒れ、煮えた中身がコックに降り注いだ。

 白々しい表情でヘルマンが首を傾げる、コックの体は茹で上がり真っ赤に爛れた死体に変わった。

 

「ほら言わんこっちゃない。人の忠告を無視するとこうなるいい例だ」


「……」


 全くもってけしからんという様子で喋るヘルマンを無視してメリルは適当に果物を取る。

 なんの下処理もされていないものだが彼女にとってはご馳走のようなものだ、道中齧りつきながらいつもの物置に戻った。


 ヘルマンは芝居がかった仕草でメリルに拍手を送る。

 果物を頬張るので夢中のメリルはまるで聞いていないが、ヘルマンはとても上機嫌な様子で話す。


「まずは三人、実に効率的だと思わないかね? 君一人を助けるだけで良質な魂が多く手に入る。個人的に君とは末永くやっていきたいものだね、とりあえずこの屋敷中の人間を収穫しようじゃないか、ここの人間はみな最低のクズだ。きっといい魂が採れるぞ?」


「……」


「相変わらず感情がないな君は。少しは胸がすっとしないのかね? 君をいびっていじめて辱めた連中が何の意味もなく惨たらしく死ぬ、人間が生きる上でこれ以上の娯楽はないと思うのだが……ふぅ、できれば君の魂も良いものに仕上げたいのだがあまり贅沢を言っても仕方がないか。謙虚さってのは大事だからな、欲をかいて失敗することほど馬鹿らしいものはない」


「……」


 呆れたような顔のヘルマンはドアをすり抜け屋敷の探検に向かった。

 何かをするのか、それともただのウィンドウショッピングを兼ねた下見か。


 一つ確かなことは自分の生き死ににすら興味を持たないメリルは他人がどうなろうと知ったことではないということだ。

 とりあえず腹の膨れた彼女は物置の冷たい床に横になって眠りにつく。



 ドアの向こうから騒がしい声が聞こえてきた。

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