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魔王討伐から凱旋した幼馴染みの勇者に捨てられた私のその後の話  作者: 海野宵人
第二章 調査

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26 不慮の転移 (1)

 転移した先で最初に視界に入ったのは、トラ型の大型魔獣だった。ほんの数歩先に寝そべっている。しかも一体ではなく、三体もいる。


 そのうち一番大きな個体が、私たちが現れたのに気づいて顔をこちらに向け、のそりと立ち上がった。こちらをじっと見つめたまま、やおら口を大きく開けると、ゾッとするような重低音の咆哮をあげる。

 私はほとんど反射的に、三体の魔獣に「麻痺」をかけていた。


 私の手をにぎったままのヒュー博士が、かすれた声でつぶやく。


「ここはどこだ……?」

「わかりません」


 私も声を絞り出すようにして答えた。

 恐ろしさのあまり、のどが締められたようになっていて、声が出しづらい。歯の根も合わなくなっている。カチカチと音を立てていて、膝もガクガクと震えているような気がした。


 何とか逃げる場所を探さなくては。

 私は必死に辺りを見回した。


 トラ型の魔獣の近くには、小さな澄んだ泉がある。どこか見覚えがあるような気がした。そのまま後ろを振り向いて、私は思わず息をのむ。見間違いようなく見覚えのある扉が、三つ並んでいたのだ。

 ここは、魔王城の中庭だ。


 どうしてこんなところに──という疑問はいったん脇に置き、頭の中で逃げ道を探す。出口を探すか、避難場所を探すか。

 ライナスが一緒なら、間違いなく出口を目指すだろう。彼の頭の中には、見取り図が浮かぶらしいから。でも私にはそんな便利な能力はないし、出口までの経路なんて、まったく覚えていなかった。見分けの付かない分岐の続く迷路の中を、無事に抜けられる気はとてもしない。


 だからといって、この場にとどまれば、いずれあの魔獣たちの餌食になるだろう。

 避難場所を探すしかない。


 私はヒュー博士の手を引っ張って、下層へ続く扉へ向かって走った。


「どこへ行くんだね?」

「避難できそうな場所へ」


 ヒュー博士の質問に短く答えて、扉を抜けたらすぐに閉める。追ってこられないようにするためだ。明かりに照らされた通路のすぐ先には、見覚えのある重厚な両開きの扉があった。

 図書室だ。


 私は扉を開けて中に滑り込み、ヒュー博士を引き入れてから扉を閉めた。

 一応、部屋の中をぐるりと見回して確認してみる。よかった。ここに入り込んでいる魔獣はいないようだ。扉を開けさえしなければ、安全だ。たぶん。少なくとも中庭にいるよりは、比較にならないほど安全。


 そして、しばらくでも安全に過ごせる場所さえ確保できれば、もう助かったも同然だ。

 そう思ってホッとしたとたんに、膝から力が抜けてその場にへたり込みそうになる。でも、こんな場所でへたり込んでいる場合じゃない。さっさと戻らなくちゃ。


 私はこわばった顔に何とか笑みを貼り付けると、ヒュー博士に声をかけた。


「それじゃ、村に帰りましょうか」

「どうやって?」


 いぶかしそうに尋ねる博士に、「これですよ」と指輪を見せて指さしてみせる。


「祝福された結婚指輪です」

「ああ、なるほど」


 指輪のスキルはとても便利ではあるけれど、発動するまでにそこそこ時間がかかる。身に危険が迫ったときに、パッと瞬間的に使えるようなものではない。だから、いったん安全地帯に逃れたかったのだ。


 私はヒュー博士と手をつないでから、ライナスのもとに転移するよう指輪に願った。いつものように足もとに魔法陣が広がっていくのを、博士は興味深そうに眺めている。

 ところがここで、いつもと違うことが起きた。


 起きたというか、いつもなら起きるはずのことが、起きなかった。

 魔法陣が消えても、私たちがライナスのもとに転移することはなかったのだ。私はその場に立ち尽くし、呆然とした。


「え、なんで……?」


 前日の晩に伯父さまのところから戻ったときに、指輪に回復魔法をかけ忘れていたのだろうか。そう考えて、指輪に回復魔法をかけてから同じことを試してみたものの、結果は同じ。考えてみれば、魔法陣が現れているのだから、スキル自体は発動しているはずだ。なのに転移しない。


 こんなことは、今まで一度もなかったのに。

 いつだって、ちゃんとライナスのところに転移できていた。どうして今日に限って転移ができないのだろう。魔王城にいるからだろうか。いや、そんなはずはない。だってライナスが封印されていたときには、私はちゃんと魔王城の最奥まで転移できたではないか。


 なんで? どうして?

 私は完全に混乱状態に陥っていた。

 そのとき、ヒュー博士の声がした。


「ほら、落ち着いて」


 博士は私とつないでいた手を放し、励ますように私の背中をトントンと叩く。気持ちが落ち着いてくると、一定のリズムで続くその動作の優しさに、何だか泣きたい気持ちになってしまった。


 なぜなら、それが父を思い出させたから。

 幼い頃、熱を出してこわい夢を見ると、父は私を毛布にくるんで抱き上げ、安心して寝付けるまでこんな風に背中を叩きながらそばについていてくれたものだ。

 そしてヒュー博士の声は、今まで気づかなかったのが不思議に思えるほど、父とそっくりだった。


 私は感傷と一緒に息を深く吐き出した。今はそんなことを考えている場合じゃない。


「どうして転移ができないのかな」

「前はできたのかい?」

「しょっちゅう使ってます」


 王都へ「裁きの書」のスキルを使って毎日のように転移していることは、一応、国家機密なので、曖昧に答える。もし具体的にどう使っているのか聞かれたら、何と答えようか。あらかじめ考えておこうとしていたら、ヒュー博士が面白がっているかのように眉を上げたのが目に入った。

 博士がどう思ったのか想像がついて、少々きまりが悪くなる。


 業務で使っていると知らなければ、「指輪のスキルを使ってしょっちゅう夫のもとに転移している」という事実はどう受け取られるか。つい先ほどまで別の理由で混乱状態にあった頭の中が、再び混乱し始める。

 業務です。業務なんです。と、言いたい。けど言えない。この歯がゆさ。

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