09 最初の宿泊地 (4)
私の転移した先は、王都のローデン公爵邸にある伯父さまの書斎だ。
毎日、この時間には伯父さまに書斎に居ていただくことになっている。連絡のためだ。時間と場所を決めてあるのは、緊急事態でもないのに好き勝手に転移して、周りを驚かせたり、お互いに気まずい思いをしたりしないため。
この「裁きの書」で転移できることは、身内以外には明かしていない。制限事項が多いとは言っても、とても強力なスキルであることは間違いないからだ。スキルの存在を伏せておくなら、転移している場面も目撃などされないほうがいい。
「伯父さま、ただいま」
「おかえり」
「これ、ジムさんから王さまへのお手紙です。渡してくださいますか」
「うん、まかせなさい」
伯父さまに手紙を託してから、私は今日の出来事をなるべく簡潔に説明した。
「そういうわけなので、今後、上級回復ポーションの需要が増える可能性があります。そのうち国からも要請があると思いますけど、すぐに増産できるよう準備をしておいてくださいますか」
「わかった。今のうち多めに材料を確保しておくよう、ギルドに通達しておこう」
「お願いします」
ひととおり連絡が終わると、伯父さまは「お疲れさま」と、ねぎらいの言葉とともに微苦笑した。
「初日からいろいろ大変そうだね。まあ、調査に出た意味があったということなのだろうが。何か補充の必要なものはあるかい?」
「今のところは、まだ大丈夫そうです」
「そうか。必要になったら、いつでも言っておくれ。では、遅くなる前に戻りなさい。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
伯父さまにあいさつを返し、私は結婚指輪を使ってライナスのもとに転移した。
「ただいま」
「おかえり」
部屋の中は明日の出発に備えて、すでにライナスがきれいに片づけを終えていた。「片づけをありがとう」とお礼を言いながら、ライナスに抱きつく。キスしようとした瞬間、なぜか彼は体を強ばらせ、すっと不機嫌そうに目を細めて、私の体を少しだけ引き離した。
あれ、何か怒ってる? なんで?
しょんぼりと悲しい気持ちになったその瞬間、部屋の扉を叩く音がした。
ライナスが舌打ちし、「やっぱりか……」と低い声でつぶやく。
扉の向こうから聞こえてきたのは、ジムさんの声だった。
「もう戻ってきた?」
「たった今、戻りました」
扉に向かいながら、返事をする。チラッとライナスの表情をうかがうと、あからさまにムスッとむくれていた。そうか、そういうことか。ジムさんの部屋の扉が開く音に続いて、廊下から足音が聞こえちゃってたんだな。耳がいいから。そしてキスしたらその瞬間に扉が叩かれ、びっくりして飛び上がるであろうところまで、予想がついちゃったんだろう。
おかげで今回は珍しく、不意打ちを食らわずに済んだわけなのだけど。
そう思ってもう一度ライナスのほうを横目で見ると、視線がぶつかる。彼のそのすねた目を見たら、我慢できずに吹き出してしまった。扉を開けながら笑い出した私に、ジムさんは不思議そうに首をかしげる。
「どうしたの?」
「何でもありませんよ」
「そう?」
なおも納得いかない顔で、ジムさんは首をひねる。でもこの件に関しては、私からジムさんに話すことは何もない。だから彼の怪訝そうな表情を黙殺して、単刀直入に聞き返した。
「で、ご用は何ですか?」
「あ、うん。ローデン公は、何かおっしゃってた?」
「今のうちに材料を多めに確保しておくよう、ギルドに通達しておきますって」
「そうか。ありがとう」
私がジムさんに返事をしている間、ライナスは私の後ろに立ち、のっしりと覆い被さるようにして後ろから抱きついてきた。ちょっと。体重かけたら、重たいじゃないの。文句を言うために後ろを振り返ろうとしたところ、ジムさんがあわてたように口を開いた。
「あー、邪魔してごめん。それじゃ、二人ともゆっくり休んでください。おやすみ」
「おやすみなさい」
ジムさんとあいさつを交わして、扉を閉める。それと同時に、ライナスからも解放された。
「ライ、ジムさんに何かした?」
「何もしてない」
「じゃあ、どうしてジムさんは、急に話を切り上げて帰って行ったのよ」
疑わしげにライナスを見やると、彼は「知らない」と言いながら、ふいっと視線をそらした。どう見ても、知らないはずのない顔だ。黙ってそのままライナスの顔を見つめていると、やがて渋々と「ただ見てただけだよ」と白状した。
見てただけって言うけど、本当はにらんでたんじゃないの?
あの不機嫌顔で、じっと見つめていたんだろう。それはジムさんだって、居心地が悪くなろうというものだ。何だか少しジムさんが気の毒になって、それと同時にライナスが恨めしげににらむ様子が容易に想像できておかしくなり、再び私は吹き出した。
「明日からは、戻ったらすぐ報告しに行くことにしましょうか」
「うん」
ライナスはいくらかきまりが悪そうに、上目遣いに私のほうを見る。その表情さえもおかしくて、笑いがとまらない。私がくすくすと笑い続けていると、ライナスが「何がそんなにおかしいの」と尋ねてきた。私はすまし顔で「別に」と答える。
すると、ライナスはわずかに口もとをムッと引き結んだ。
「教えてくれないの?」
まずい、すねてしまいそうだ。でも思い出すと、また笑いがこみ上げてくる。私はライナスがへそを曲げることのないよう、少しだけ真実をねじまげて答えた。
「だって。ライの予想したとおりのタイミングで扉が叩かれたんだもの。すごくない?」
言いながらも、つい笑ってしまうと、今度はライナスも一緒になって笑った。
「ここは廊下にじゅうたんが敷き詰められてないから、足音が響くんだよ」
なるほど。でも、私は大して気にもしてなかった。気づいて、その上で用心までしたライは、さすが勇者ということなんだろう。
私はライナスに抱きつき、今度こそ誰にも邪魔されずにキスをした。
そのまま二人して笑いながら寝支度をする。しばらくベッドの中でもくすくす笑い続けていたけれども、そのうち気がついたら眠りに落ちていた。




