33 勇者の婚礼 (3)
ローデン家の屋敷で控えている私たちが王宮に移動するタイミングは、王宮で花火を打ち上げて知らせることになっていた。慶事に花火は付き物だから、勇者の婚礼の日に花火を打ち上げてもまったく不自然ではない。
私たちの転移先は、王宮内のホール中央だ。
ここで「勇者と聖女の婚姻」を祝う宴席が設けられている。一応は昼餐会ということになっているが、立食形式なので雰囲気としては夜会に近い。
私たちが姿を現すと、ホール内はざわざわと小声で話す人々の声がかすかに聞こえる以外は静かだった。
この本の転移スキルのすてきなところは、転移先に出現するときにまるで天使が天から舞い降りたかのような演出があるところだ。事情を知らずに初めて見た人が畏敬の念に打たれたであろうことは、予想にかたくない。
ただし婚礼衣装を身にまとって手にするには、立派な革表紙のこの本は少々武骨だった。
「勇者ライナスさま、聖女フィミアさまのご入場です」
私たちの入場を知らせる侍従長のよく通る声が響き渡ると、会場内のざわめきが大きくなった。
私たちが現れる場所にいたはずの伯父さまは、いつの間にか周囲の出席者たちの中にまぎれ込んでいる。
お姫さまは偽ライナスの腕に手をかけて、私たちから数歩離れた場所に立っていた。記憶にあるとおり、きれいなかただ。
濃い藍色の衣装を身につけているライナスと対照的に、偽ライナスの衣装は乳白色だった。
お姫さまはライナスの顔を見ると目を見開き、隣にいる偽ライナスへ振り向いて顔を見上げた。そして眉をひそめて不安そうに、ライナスと偽ライナスの二人へ交互に視線を向けていた。偽ライナスは私の隣にいるライナスを見て眉を上げたものの、それ以上の反応は示さない。
私たちの派手な登場から受けた衝撃が収まってくると、次は同じ顔をした勇者が二人いることに注目が集まった。ざわめきが大きくなり、「どういうことだ。聖女は王女殿下ではなかったのか」などと疑問を口にする声がそこかしこから聞こえてくる。
偽ライナスは落ち着き払った顔でお姫さまを見下ろし、しれっとこんなことを要請した。
「姫。ニセモノを封印してください」
お姫さまは「無理よ。もう水晶がないもの」と悲痛な声で返す。
私は手にしていた本をライナスに預け、ポケットから封印水晶を取り出した。周りからもよく見えるように、目の前にかざして見せる。
「ライナスを封印してしまっていた水晶なら、ここにあります。今度はもう逃さない」
「フィミア、騙されないで。きみの隣にいるのはニセモノで、中身は魔王なんだ」
相変わらず、偽ライナスは私のことをフィミアと呼ぶ。魔王から愛称なんかで呼ばれたくないから、別にそれでいいんだけど。でもライナスの顔でフィミアと呼ばれると、何とも言えずおかしな感じがする。
「本物がどちらかは『解除』を使えばすぐわかるでしょう。呪いだけでなくスキルや魔法も解除されますからね。ほら」
そう言いながら、私はライナスに「解除」をかけた。淡く白い光の柱がライナスを包み込んでから消えていく。もちろんライナスの姿に変化はない。
「次は、あなた」
偽ライナスが「やめろ!」と叫んで私に向かって飛びかかってこようとしたが、その前にライナスが目にもとまらない速さで偽ライナスの背後をとって動きを封じた。
その隙に、私は偽ライナスに向かって解除スキルを使う。
淡く白い光の柱が偽ライナスを包んだけれども、なぜか輪郭に変化がなかった。
しかしその次の瞬間、周囲からは押し殺したような悲鳴が聞こえてくる。
偽ライナスは輪郭はそのままに紫色になり、そしてどろりと溶けた。まるで火に近づけられたロウソクのように。この色には見覚えがある。魔王城で見た、あの半透明の柱と同じ色だ。
お姫さまはこれ以上ないほど目を見開いて、偽ライナスの腕だった場所から勢いよく手を引き抜いた。しかし身がすくんでいるのか、その場から動こうとはしない。お姫さまは両手を頬に当てると、絹を裂くような悲鳴を上げてからふらりと倒れ込み、後ろに控えていた衛兵に支えられた。
悲鳴を上げる気持ちはよくわかる。私だって気持ち悪い。
動かれたらいやなので、とっさに麻痺の魔法を使った。魔法が効くのか自信がなかったけれども、どうやら効いたようでほっとした。
「大丈夫ですよ。すぐ封印しますから」
私はお姫さまに安心させるように声をかけてから、封印水晶に浄化の上級魔法を込め、紫色のドロドロとなり果てた魔王に押しつけた。本当は放り投げたかったけど、間違っても別の人にぶつけてはいけない。自分で自分を叱咤激励しながら、無我夢中だった。気持ち悪さのあまり、情けなく顔を歪ませていた自覚はある。
封印水晶が偽ライナスだったドロドロに触れた瞬間、目のくらむような真っ白い光を発して水晶が膨らんだ。本当ならまぶしくて見ていられないような光の中、封印水晶が魔王を取り込む様子がはっきりと見えた。
そして魔王とともにお姫さまが一緒に水晶の中に引きずり込まれていく様子も、一瞬のことのはずなのに妙にゆっくりとした光景として目に映った。その瞬間は、まるで世界から音が消えてしまったかのようだった。
魔王とお姫さまが水晶の中に消えてしまうと、まばゆいばかりの白い光が徐々に弱まって消えていく。光が消えた後には、私の足もとには黒みがかった紫色をした、高さが腰くらいまである大きな水晶だけが残されていた。
私は安堵の息を大きく吐き出した。
窓際にいる人々からは、歓声が聞こえてくる。何だろうと思って振り向いてみれば、窓の外にきらきらと光のつぶが空から降り注いでいた。誰かが窓を開け、次いで別の誰かがテラスへ続く扉を大きく開け放つ。屋外では光のつぶが絶え間なく降り注ぎ、上空からは虹色の光が差し込んでゆらゆらと揺れていた。
勇者が覚醒したときと似ていて、でもそれより数段きらびやかさが増した空だった。
招待客が屋外の幻想的な風景に気を取られている間に、ジムさんは如才なく衛兵を指揮して水晶をホールから運び出してしまった。




