31 勇者の婚礼 (1)
封印の決行日には「勇者の婚礼」の日が選ばれた。
それなりの人数の目撃者がいて、必要に応じて情報統制が可能で、偽ライナスの逃走を防ぐために十分な警備を配置しても不自然でない、という条件をすべて満たすのが、婚礼の後の披露宴だったのだ。
偽ライナスとお姫さまは昼前に大神殿で婚姻の誓いを交わし、昼過ぎから王宮で披露宴を行う予定になっていた。
招待状は伯父さま宛てに届いていて、伯父さまだけでなく私とライナスも招待されている。と言っても、当然のことだが私とライナスは名指しでの招待ではない。伯父さまの同伴者として「後継者とその伴侶」と指定されていた。当日までは名前を出さずにおくために、ジムさんたちがうまく差配してくれたようだった。
この日のために、ライナスと私には絢爛華麗なる婚礼衣装が用意されていた。
王宮での宴席用の正装というわけではなく、正真正銘の婚礼衣装だ。
これは伯父さまとご領主さまが用意してくださった。
お二人が「断じてあの姫に比べて見劣りするわけにはいかない」と謎の対抗心を発揮したおかげで、費用を聞くのもこわいほど豪華な仕上がりとなった。
花嫁衣装を見立ててくださったのは、奥方さまだ。費用を持ってくださったのは伯父さまだけど、デザインや装飾品に関しては「女性の衣装のことはわからないから」とご領主さまの奥方さまに見立てを頼んでくださった。
なぜ私たちの着るのが婚礼衣装なのかというと、封印の会場となるのが「勇者の結婚披露宴」だからだ。せっかくだから封印が終わったら本物の勇者の結婚披露にしてしまえ、とジムさんが言い出した。ローデン家の後継者のお披露目にもなってちょうどいい、とも言っていた。確かに合理的ではあるのだけど、実際のところどうなんだろう。
でも披露宴の会場から主役だったはずの人物が封印されて消えてしまったら、その後どのように収拾を図ればよいのか悩ましくはある。主役を入れ替えて続行できるなら、主催者側はそのほうが楽なのは間違いないだろう。列席者の気持ちがそれについていけるかどうかは別にして。お姫さまにとっては結婚式がぶち壊しになるわけだし、続行できる雰囲気になる気がとてもしない。不安だ。
ジムさんは「その辺は王宮側でうまくやるよ」と言っていた。
今日の催しはすべて王太子さまの主催となっている。
通常なら王さまの主催となるところなのだが、退位したいと王太子さまに申し出てからというもの、王さまは公式の行事からすっかり手を引いていた。おかげでいろいろと王太子さまやジムさんたちは動きやすくなったそうだ。
今日は朝食の後からずっと、身支度にかかりきりだった。
奥さまを亡くして以来ひとり暮らしだった伯父さまの屋敷には、女性の使用人がほとんどいない。私が持っている服は自分ひとりで着られるものばかりだから、それでもこれまでは不自由していなかった。でもさすがに婚礼の身支度には誰かの手を借りる必要がある。そのため数日前から、ご領主さまが数人の侍女をこちらの屋敷に派遣してくださっていた。着付け、髪結い、化粧など、いずれもそれぞれの分野での熟練者ばかりだ。
伯父さまの用意してくださった婚礼衣装は、豪華ではあるものの、軽くて動きやすかった。
だって今日の本来の目的は、魔王の封印だから。衣装のせいで動きづらくて封印に手間取るようでは、本末転倒だ。そこは見立てる際に奥方さまが十分に配慮してくださった。
朝食は伯父さまとライナスの三人でとり、その後は伯父さまだけが大神殿での婚姻式に列席するために出かけて行った。私とライナスは披露宴まで屋敷に居残りだ。と言ってものんびりしている暇はなく、身支度で忙しかった。まあ、私は動かず座っているだけだったから、忙しいのは侍女たちだけなのだけど。
昼頃にやっと私の身支度が終わって、居間に向かった。居間では、すでに婚礼衣装に身を包んだライナスがソファーに腰を下ろして新聞を開いていた。
ライナスの衣装は、濃い藍色を基調とした上下だ。金ボタンと袖周りや肩章に施された金糸の刺繍が華やかさを演出している。軍服に似た少しいかつい雰囲気で、身体に厚みがないと貧相に見えてしまいそうな衣装なのだけど、ライナスにはよく似合っていてとても格好よかった。
私が声をかける前に、ライナスは衣ずれの音から私が部屋に入ったのに気づいたようだ。新聞を閉じてテーブルの上に置くと、私のほうを見上げて軽く目を見張った。そして立ち上がり、私に向かって歩み寄る。
「すごくきれいだ」
「ありがとう。本当にすごいわよね、これ。髪も服も芸術品みたい」
私は後ろに一歩下がって、ライナスの全身をとっくりと眺めた。
こういう服はライナスのお兄さまみたいに体格のよい人でないとなかなか見栄えがしないものだと思っていたのに、ライナスは見事に着こなしていた。私の頭からはどうしても子どもの頃のひょろひょろした印象が抜けないままだったから、何だか不思議だった。いつの間にこんなに体格がよくなっていたのだろう。
「ライも、とってもすてきよ」
「かっこいい?」
「うん、最高にかっこいい」
何か褒めるとこうしてうれしそうに念押ししてくるところは、子どもの頃と全然変わらなかった。ついうっかり笑ってしまいそうになったけど、このタイミングで笑ってはいけない。ライナスはきっと何か勘違いしてすねてしまうから。口もとにぐっと力をこめて、吹き出さないようこらえる。
ライナスは私の背中に手を回して抱き寄せ、顔を近づけてきた。そしてキスしそうになったその瞬間、部屋の入り口のほうから大きな咳払いが聞こえた。びっくりした私とライナスは飛び上がりそうになり、条件反射的にお互いから少しだけ身体を離した。
二人同時にぎこちなく振り返ってみれば、開けっ放しになっていた扉のところにご領主さまが派遣してくださった侍女が困ったような微笑みを浮かべて立っていた。
「お嬢さまは大変おきれいですから、お気持ちを抑えがたいことは十分お察しいたします。ですが披露宴が終わるまでは、どうか口づけはお控えください。せっかくの紅が取れてしまいます」
「はい……」
二人して神妙にうなずいた後、うつむいたままちらりとライナスの様子をうかがうと、同じように横目でこちらの様子をうかがっていた彼と目が合った。これではまるで、叱られた子どものようではないか。しかもこのきまりの悪さは、どこか既視感がある。
どうやらライナスも同じことを考えていたようで、どちらからともなく吹き出してしまった。
くすくす笑いながらライナスをひじでつつくと、ライナスも笑いながらつつき返してくる。しばらく二人ともそうして笑いながら、ひじでお互いをつつき合っていた。
入り口にいる侍女の表情が「困ったような微笑み」から「呆れたような微笑み」に変わったのに気づいてはいたけど、笑いの発作はとまらない。けれどもやがて、唐突にその発作は治まった。
王宮の方角から、合図の花火を打ち上げる音が聞こえてきたからだ。
ライナスと私は笑みを消して真顔になった。いよいよ封印会場へ出発だ。




