14 父を知る人 (2)
しばらく馬を走らせると、ライナスに言われたとおり左手に大神殿が見えてきた。
正面の入り口を通り過ぎ、建物の角で馬をとめて降りる。そこから馬を引いて裏手に回ると、少し奥まったところに井戸があった。ここがライナスに言われた場所だろう。
木桶が放置されていたので、水を汲んで馬に飲ませてやる。
なるべく表から見えない位置で、隠れるようにして馬と一緒に休憩した。でも、ライナスはなかなか来ない。不安な気持ちでじりじりしながら待っているうち、遠くから馬が駆けてくる音が聞こえてきた。ライナスだろうか。息をひそめて建物の陰から覗いていると、人を乗せた馬が一頭、神殿の前を駆け抜けて行った。ライナスではなかった。
追っ手がかかったということなのだろうか、と思ったらぞっとした。
追われる理由がわからない。
何が何だかさっぱりわからないけど、とにかく見つからないようにしないと。
神殿の表のほうに全神経を集中させて静かにしていたら、背後から小枝の折れる音が聞こえてきた。心臓が止まるかと思うほど驚いて勢いよく振り向くと、そこには馬を引きながら唇の前に人差し指を立てているライナスの姿があった。ほっとするあまり力が抜けて、へたり込みそうになった。
ライナスはすまなそうな顔をして、小声で謝った。
「ごめん、驚かしちゃった?」
「うん。びっくりした」
ライナスに合わせて、私も小声で返事をする。聞かれたことに答えてから、馬で神殿の前を駆けて行った人がいたことを話した。それを聞くと、ライナスは眉間にしわを寄せて難しい顔をした。
「王都に泊まるつもりでいたけど、すぐ出よう。ごめん、今日は野宿になる」
「うん、わかった」
神殿の裏手から続く、茂みの間を縫うようにして作られた小道を抜けて、王都から出た。ライナスはあの後、老紳士から再び声をかけられたが無視して馬に乗り、追っ手がかかったのをまいてから集合場所へやってきたのだった。
あんなふうに追っ手をかけるほどだから、王都内の宿屋をしらみつぶしに当たるくらいはするだろう。だから今日は王都には泊まらず、野宿にすべき、というのがライナスの判断だった。私もそれに賛成だ。
ライナスが私の馬を走らせたのは、故郷へ向かう道とはまったく別方向への道だった。それも攪乱のためだったらしい。あの状況で、よくぞそこまで冷静に計算したものだ。さすが勇者。
王都を出てから外側を大回りして、本来行くはずだった道へ入る。
あの後はもう、追っ手の姿を見ることはなかった。ほっとした。
できるだけ王都から離れて、野営をした。
夕食の後、たき火の前でライナスがぽつりと言った。
「いったい何だったんだろうな」
「お父さんの顔に反応してたわよね」
「フィーの顔にも反応してた」
「そうね……」
でもウィリアムなんて名前は知らない。ジュリアも聞いたことがない。
ライナスはたき火を見つめて考え込んでいたが、しばらくすると顔を上げて私に質問した。
「おじさんたちって、駆け落ちしたんだよね?」
「うん。そう聞いてる」
「理由は?」
「聞いてない」
理由も知らないし、どんな家族と縁を切って駆け落ちをしたのかも知らない。聞いたらいけないことのように感じていたから、両親に尋ねてみたこともなかった。
ライナスはそれを聞くと、また少し考えてから口を開いた。
「駆け落ちってさ、もとの家族と縁を切って逃げ出さないと結婚できないからするものだよな」
「うん」
「逃げるために、名前も捨てたかもしれない」
そう言われると、あり得る気がした。
もし貴族だったなら、名前を知る人も多かっただろう。過去を捨てて平民として暮らしていくためには、名前がそのままでは不都合があったに違いない。変えようと思ったとしても不思議ではない。
両親はどちらも、平民によくある短くて平凡な名前だった。
でも実際どうだったのか、両親に聞いてみることがもうできない以上、わかりようがない。
「あり得るけど、確かめる方法がないわね」
「そうなんだよな」
いったいあの老紳士は、誰だったのだろう。
どうして屋敷に招待しようなどと言ったのだろう。
あんなふうに追っ手をかけてまで捕まえたかった理由は何だろう。
もしライナスの推測が当たっているなら、あの老紳士は父と何らかの形での知り合いなのかもしれない。でも彼がどんな人で、父とどんな関係にあるのかわからない以上、逃げるしかなかった。それに、これはライナスであって父ではない。あの人の招待したいのが父なのだとしたら、私たちが招待を受けても意味がない。
ライナスと私はため息をついて、この話はいったん忘れることにした。
それよりも、村に戻るにあたって考えておかないといけないことがある。
「ねえ、このまま村に戻ったらまずいわよね」
「ああ。そうだな……」
このまま村に戻ったら、死人が生き返ったことになってしまう。
ライナスは少し考えてから、案を出した。
「おじさんの弟ってことにでもしとくか」
「うん、それが無難かな」
父に本当に弟がいたかどうかは知らないけど。
いずれにしても、村に入ったらあまり人目に触れないのが一番だ。
人目に触れずに移動するなら馬車が一番手軽だけど、馬車に乗ると、今乗っている馬は置いて行かなくてはならなくなる。
ライナスと私はしばらく悩んだ末、ひとつ手前の村で待機することにした。
そこからご領主さまに手紙を出して、指示を仰ぐのだ。
そうと決まれば、隣村までまっすぐ向かった。王都でこわい思いをした後だけに、旅をしながらの乗馬の練習は自然と以前よりも熱が入る。ライナスの腕前には遠く及ばないものの、ひとりで馬を走らせることくらいは自由にできるようになった。逃げ足は大事だ。
隣村に着いて手紙を出した後は、久しぶりにのんびりした。
手紙を出した二日後、なんとライナスのお兄さまが自ら馬車で出迎えに来てくださった。




