13 父を知る人 (1)
翌朝、再び父の姿を借りたライナスとともに、最果ての村を出発した。
もう馬に道草を食われないよう、ライナス師匠の監修のもと、適切な手綱の持ち方を練習しながら進む。草を口にしてから叱るのではなく、その前に察して草に向かわないよう誘導してやるのが乗り手の役割なのだそうだ。
そして私の手綱の引き方は弱すぎて、馬にはきちんと伝わっていなかった。声の小さすぎる人が何を言っているのかわからないのと同じらしい。「引くの? 引かないの? どっちなの? はっきりして!」と馬がイライラしてしまうから、引くときはわかりやすくしっかり引くように、と教えてくれた。
そう説明されると、わかりやすい。私は馬に気を遣っているつもりだったけれども、意味がないばかりか、まったくの逆効果だったわけだ。
魔王城を出発して二日ほどの間は、荒れ野が続いた。
三日目くらいから、次第に田舎の風景へと移り変わっていく。
練習を重ねるにつれ、馬は私の指示に従ってくれるようになった。でも私が上達したというよりは、馬のほうが私の気持ちを察するのがうまくなっただけのような気がしてならない。一生懸命指導してくれるライナス師匠に申し訳なくて、とてもそんなことは口にはできないけど。
乗馬の腕はさておき、馬とはだいぶ仲良くなれたと思う。
馬から見た私という人間は、「乗り手としてはアレだけど、おいしい焼き菓子をくれる人」という感じの認識じゃないかと思う。下手くそだけどおやつくれるし悪いやつじゃないから、指示が意味不明でも何とかしてやろう、とか思ってそう。
私たちの村は、魔王城から見ると王都のさらに向こうにある。王都から馬で二十日ほどの距離だ。
魔王城から王都までは、一か月ちょっとくらい。そんな距離を一年近くかけてのんびり移動するのに付き合わされたら、うんざりもしそうだ。二か月の旅だって、ずいぶん長く感じるのに。
とにかくそんなわけで、私たちは帰路の途中で王都を通過することになった。
最果ての村でライナスの正体がバレたのを除けば、それ以降は王都までずっと順調だった。誰に怪しまれることもない。
ただし出発前は「長い新婚旅行だ」なんて浮かれたことを言っていたのに、残念なことに全然そんな感じではなかった。だって見た目が親子だし。一応、設定も親子だし。その上、ずっと乗馬の練習だし。でも楽しかった。
ライナスの読みどおり、一か月と少しで王都に到着した。
王都に来るのが初めての私は、その規模に圧倒された。通りに並ぶ建物は大きいし、人通りは多いし、通りに面している店の構えも全然違う。つい田舎者丸出しで、きょろきょろしてしまった。その様子をライナスが笑いをかみ殺しながら見ているのに気づいてはいたけど、見なかったことにする。
王都にはご領主さまのお屋敷もあるそうだが、今回は宿を取ることにした。偽ライナスがいるかもしれないような場所に、うかつに近寄るべきではない。
馬を引いて宿屋を探しながら通りを歩いていると、後ろから声をかけられた。
「ウィル! ウィルだろう? おい、ウィル! ウィリアム!」
最初は声をかけられていることにも気づかなかった。何しろ名前に聞き覚えがない。
後ろからライナスの肩がつかまれて、彼に声をかけていたらしいことに初めて気がついた。ライナスはいぶかしげに振り向き、「人違いですよ」と返事をした。
「ウィル、隠さなくてもいい。大丈夫だから。ああ、この子がジュリアの子か。そっくりだな」
ライナスの肩をつかんだのは、身なりのよい初老の紳士だった。その紳士は新しい名前を口にしながら私のほうへ視線を向けたので、こわくなった私はライナスの背中に隠れるようにして後ずさった。
父の名前はウィリアムではないし、母の名前もジュリアではない。
ライナスと私は、お互い首をかしげながら顔を見合わせた。私がライナスに向かって首を横に振ってみせると、彼は紳士に向かって礼儀正しく尋ねた。
「失礼ですが、どちらさまですか?」
「まさか、私が誰だかわからないと言うのかい?」
「はい。申し訳ありませんが、お会いした記憶がありません。そもそも俺はウィリアムという名前じゃないし、人違いです」
ライナスは、用心深く自分たちの名前を明かさずに返事をしていた。
勇者として故郷を旅立った後の彼の苦労がこんなところに垣間見えてしまい、やるせない気持ちになる。きっとこんな用心深さが身に染みつくほど、いろいろなことに苦労してきたのだ。勇者に選ばれる前のライナスなら、相手の誤解を解こうとして自分たちの名前を正直に名乗っていたに違いないのに。
警戒を隠さないライナスに、紳士は言葉を失ったように声もなく口を開きかけてから閉じた。少しの間そんなふうに何かを言いあぐねている様子を見せていたが、ややあってから話しかけてきた。
「きみたちは旅の途中と見受けた」
「はい」
「宿がまだ決まっていないなら、うちに招待したいがどうだろうか」
「え」
いやだ、行きたくない。
あまり悪い人には見えないとはいえ、人なんて見かけによらないものだ。だいたい名乗りもしないような相手なんて、信用ならない。思わずライナスの袖をぎゅっと握りしめたら、馬が警戒心から耳をピンと立てたまま顔をすり寄せてきた。まるで私の緊張を感じ取って、慰めてくれているみたいに。賢い子だ。
ライナスは安心させるように後ろ手で私の身体に手を回してから、老紳士に向かって口を開いた。
「せっかくのお誘いですが、先を急いでおりますし、明日は早く出たいのでご遠慮します。では失礼します」
ライナスは有無を言わさぬ口調できっぱりと告げると、私の背中に手を回して馬に乗るのを手伝う振りをしながら身を寄せてきた。そしてさりげなく耳もとに口を寄せて、ささやき声で指示を出す。
「道なりに行くと左手に大神殿があるから、裏手に回って井戸のところで待ってて」
こわばった表情のまま私が馬上で小さくうなずくと、ライナスは「行け」と声をかけて馬の尻を叩いた。馬は彼の指示を正確に汲んで、即座に走り出した。
たくさん練習しておいて、よかった。




