10 魔王城出発
魔王城の探索を終えた翌日、私とライナスは荷物をまとめて魔王城を後にした。
正直、図書室にだけは少しばかり未練があったのだが、なんとライナスがめぼしい本をすべて持ち帰る算段をつけてくれた。「収納」というスキルを使うと、亜空間に物をしまい込むことができるのだそうだ。亜空間にしまい込まれた物品は重量がなくなるため、旅の邪魔にならない。図書室に集められた本も、このスキルを使って運ばれたのではないか、というのがライナスの推測だ。
すごいな、スキル。
そんなスキルが使えたら、帯刀禁止の場所にだって武器を持ち込み放題だ。
つまり今のライナスは、そんなことができてしまう危険人物なのだ。
「ライがスキル使えることも、極秘事項にしないとね」
「そうだね」
私が封印解除スキルを持つことは、ライナスとご領主さまにしか話していない。
それと同じように、ライナスがスキルをまだ持っていることも秘密にしておくべきだろう。権力を持つ人には、特に知られてはいけない。面倒ごとは少ないほうがいい。
とりあえず必要最低限の荷物を残して、それ以外の荷物もポイポイと「収納」してもらった。
そうしたら、とても身軽な旅人になった。すばらしい。
中庭から魔王城の外に出るには、下層の通路を使うしかない。馬たちは、通路に入るのをかなりいやがった。手綱を引いて通路へ誘導しようとしても、耳を神経質にぱたぱた動かして、足をとめてしまう。うさんくさくて入りたくない気持ちはよくわかるのだが、ここを通らないと外へ出られない。なだめすかして、最後は焼き菓子で釣って、何とか出発した。
魔王城のまわりには、荒れ野が広がっていた。草原と呼ぶには草がまばらだが、砂漠と呼べない程度には生えている。石くれが多めであるものの地面は平らで、馬での旅に適した地形だった。
私が馬にまたがると、ライナスは驚いたように目をまたたいた。
「いつの間に馬に乗れるようになったの?」
「付け焼き刃よ」
ライナスが不思議そうに尋ねるので、笑ってしまった。
実を言うと、私は馬に乗った経験なんて片手で数えるほどしかない。それどころか、ライナスが魔王討伐に出立する前は一度もなかった。
今かろうじて何とか乗れているのは、ご領主さまが馬を用意してくださったとき、自分でも乗れたほうが便利だからと、簡単に指導してくださったおかげなのだ。だから乗り降りが何とかひとりでできるようになり、「すすめ」と「とまれ」の合図を覚えただけであって、まともに乗りこなせるようになったとはお世辞にも言えない。
そうライナスに説明すると、彼は納得したようにうなずいた。
「それだけ覚えてれば十分だよ」
たぶんご領主さまは、乗馬に不慣れな私が乗ってもうまく察して動いてくれる賢い子を選んでくださったのだと思う。私の合図があやふやでも、ライナスの乗っている馬の動きに合わせて動いてくれた。実践を積む時間はいやでもたっぷりあるから、おいおい練習していこう。
「師匠、ご指導のほどよろしくお願いいたします」
「うん、まかせて」
ライナスに向かって芝居がかったしぐさで深々と頭を下げて頼むと、彼は笑って引き受けてくれた。
ライナスは子どもの頃に運動神経が鈍かった割に、というより走るのが遅かったからこそなのかもしれないが、小さい頃から馬に乗っていた。愛馬とはとても仲がいい。あの頃の彼にとっては、人間よりも馬のほうが気持ちよく付き合える相手だったのかもしれない。
くつわを噛まされている馬が何だかかわいそうで、手綱をゆるく持っていたら、ライナスに「フィーは手綱ゆるすぎ」と笑いながら注意された。
「ほら、手綱引いて! 馬が道草食っちゃう」
「え」
鋭い声で注意されて馬の様子を見たら、さっきまでお利口に歩いていたのに、今は明らかに道端の草に気を取られてモグモグしに行きたそうにしている。あわてて手綱を引っ張ってみたが、やっぱり馬はふらふらと草のほうに首をのばす。
「もっとしっかり引いて」
「う、うん」
私の引き方では力が弱すぎて指示が馬に伝わらない、とライナスに注意されたので、一生懸命引っ張ってみた。でも言うことを聞いてくれない。泣きたい気持ちになっていたら、いつの間にかライナスの馬がぴったり横につけていて、彼は私のほうへ身を乗り出すと私の手綱をつかんでぐいっと引いた。手綱を引かれた私の馬は、草のほうに伸ばしていた首をやっと上げて前を向いた。
「こうなるから、手綱をゆるめすぎたらいけないんだよ」
「うん、わかった。ありがとう」
考えてみたら、馬にとっては道端にごちそうが置かれているようなものだろう。それは確かに気を取られてしまうのも仕方ない。でも一度許すとちっとも動こうとしなくなってしまうから、馬が草を口に入れる前にすぐ手綱を引いて注意してやるように、とライナスに指示された。
たぶん馬のそういうところは人間と一緒だ。いいにおいのするご馳走に気を取られてふらふら近寄ろうとしたときに、即座に「だめ」と言われれば素直に諦める。だけど口に入れるまで注意されなかったのに、食べ始めた途端に「だめ」と言われたりしたら、お腹が落ち着くまでは言うことを聞く気になれそうもない。
ご領主さまに乗馬を教わったのはお屋敷の馬場でのことで、もちろん草なんか生えていないから、こんなことになるなんて初めて知った。
それにしても、ライナスはすごい。
あんなふうに思いどおりの位置に馬を誘導するって、どうやるんだろう。私なんて「すすめ」と「とまれ」しか知らないから、逆立ちしたって真似ができない。あと一応「右へ」と「左へ」も教わったのだけど、今のところ実践できてない。何しろ、指示しなくても馬が勝手にライナスと方向を合わせてくれるから。たぶん、私からの指示はあまり当てにされていない。
馬は、その後はずっとお利口だった。私の手綱さばきが多少はマシになったのか、ライナスに叱られたのが効いたのか、どちらが理由かはわからない。後者の気がする。
荒れ野にも小川のようなものがあり、私たちはその流れに沿って進んだ。小川というか、せせらぎというか、私でも簡単に飛び越えられる程度の川幅しかなく、水深は一番深いところでもたぶんくるぶしに届くかどうかくらいの、非常にささやかな水の流れだ。
それでもこの荒れた地にあっては貴重な水源なのだろう。川沿いにだけ灌木がまばらに生えていた。道しるべとしてはとてもわかりやすい。
この川沿いに進むと、魔王城に一番近い村があるそうだ。
ライナスがお姫さまたちと一緒に魔王城に向かったときは、その村から魔王城まで五日の道のりだった。が、私と二人の今はたぶん日暮れ前に到着できるだろう、とライナスは予測した。
回復魔法と補助魔法は、少人数での旅にはとても重宝だ。二人きりなら余裕で常時かけ続けていられるから、馬たちはいつもより少し足取りが軽く、進みが速い。




