46 天使伝説 (2)
天使伝説について耳にしたのは、マーニー海岸から帰還して二、三か月ほど経ってからのことだった。
あるとき内輪の食事会の席で、ジムさんからこんなことを言われた。
「うちの国には、天使が舞い降りることがあるそうだよ」
「へえ。目撃証言でもあるんですか?」
「うん」
ジムさんは、散々もったいぶってからこう続けた。
「ひとつは王城」
私は思わず遠くを見る目をしてしまう。それって、私がライナスと一緒に天使の振りをして王さまをだましたときの話じゃないの。
あのときには両親と弟が天からの遣いとして伯父さまの前に姿を現したそうだから、天使が舞い降りたと言っても嘘ではない。嘘じゃないけど、わざわざ今さら言うことかしら。それに「ひとつは」と言うからには、他にも目撃されているということだ。
私が「ふうん」と気のない返事をすると、ジムさんはニヤリといたずら小僧の笑みを浮かべて、さらに続けた。
「もうひとつは、マーニー海岸だって」
危うく、口に含んでいた飲み物でむせそうになった。咳払いでごまかして、ジムさんにうろんな視線を向ける。どう見ても、わかった上でからかっている顔だ。ライナスが動きをとめたのはほんの一瞬だけで、あとは顔色を変えずにやり過ごしていた。さすが勇者。反射神経が違う。
ジムさんは楽しそうに、まだ続ける。
「しかも、すごいんだよ。舞い降りただけじゃなくて、祝福まで与えたんだって」
「はい? どういうことですか?」
身に覚えのないことを言われ、私もライナスもぽかんとする。ジムさんによれば、地元ではまことしやかにこんな話が広まっていると言う。
* * *
マーニー海岸近くの村には、ばかがつくほど正直者の貸し馬車屋がいる。
ある晩、その貸し馬車屋の店に、若い男女が訪れた。とっくに日も暮れ、月が明るくこうこうと照らしているような時間だ。普通の者なら「もう店じまいしている」と断るところだろうが、この貸し馬車屋は二人が困ったような、申し訳なさそうな顔をしているのが気になって、つい尋ねてしまった。
「うちにご用ですか?」
「この馬を、河口の村の貸し馬車屋に返したい。お願いできますか」
「お代をいただけるなら、もちろん引き受けますよ」
若い男は、なんと代金として金貨を一枚渡した。ギョッとした貸し馬車屋は、あわてて「多すぎます」と返そうとした。ところが若い男は、生真面目な表情で金貨を貸し馬車屋に握らせる。
「こんな時間に親切に引き受けてくれたお礼です。取っておいてください」
恐縮した貸し馬車屋は、せめてもと二人に申し出をした。
「今からじゃ、宿を見つけるのも大変でしょう。うちでよければ、ベッドくらい貸しますよ」
「ありがとう。でも家まですぐだから、大丈夫です」
家まですぐだと言うが、この近辺にこの二人のような住人はいない。不思議には思ったものの、客の詮索をするのは礼儀知らずである。貸し馬車屋はただ「気をつけて」とだけ言って、二人を送り出した。
ところが二人が去った後、一本の青いリボンが落ちているのに貸し馬車屋の娘が気づいた。手触りがよく光沢が美しい、見るからに上等なリボンだ。
「お父さん、これどうしたの?」
「ありゃ。さっきのお客さんが落としてったんだな。走ればまだ間に合うだろう。届けてくれるかい?」
「うん!」
娘は父親に教えられた方向に全力で走った。すると、そこには今しも天に還ろうとしている天使の姿があった。娘は声を張り上げて、天使を呼び止める。
「天使さま、待って! これ、落とし物だよ!」
「それはあげるわ。お父さんによろしくね!」
そして二人の天使は、キラキラとした光のつぶをまき散らしながら空にのぼって消えてしまった。娘はリボンを持ち帰り、天使の言葉を父に伝えた。
「天使さまにいただいたんじゃ、家宝にしなきゃな」
貸し馬車屋は天使から授かった金貨とリボンを、大事に大事にしまっておくことにした。金貨とリボンには天使の祝福があったのか、それ以来、この貸し馬車屋はとても繁盛している。
馬を返却された河口の貸し馬車屋は、返却しに来た貸し馬車屋の話を聞いて、うらやましく思った。しかし妬むことはせず、「よかったな」と言って馬を受け取った。
ところがこの河口の貸し馬車屋は、じきに不思議なことに気づく。貸した馬が、若返っているのだ。貸した馬にも祝福があったのか、この貸し馬車屋も繁盛することになった。
* * *
話し終わったジムさんは、なぜか得意げだ。
「ね。すごいだろ?」
私はライナスと顔を見合わせた。話に出てくるのは、ものすごく身に覚えのあるやり取りばかり。
だけど、腑に落ちない点もあった。私は仔猫を抱いていたし、ライナスは封印水晶を載せた手押し車に手をかけていたはずなのに、どうしたわけかそこはきれいに省略されている。猫はまだしも、手押し車を押した天使じゃ格好がつかないからなのだろうか。
そもそも金貨とリボンは、ただの金貨とリボンにすぎない。大事にしまい込まないで、使ってほしい。
それに、借りた馬は若返ったわけじゃない。寄生虫の症状が出ていてかわいそうだったから、虫下しの薬を飲ませてやっただけだ。元気にはなったけど、別に若くはなっていない。
だいたい、この二つの貸し馬車屋が繁盛することになったのって、きっとこの噂のせいだと思う。縁起をかついで利用する人が増えたってだけじゃないのかな。
伝説というのは、しばしばこうして誤解と思い込みに基づいて作られていくものらしい。




