20 総督対策
ヒュー博士の家は、独り暮らしとは思えない大きなものだった。馬車も、貸し馬車かと思っていたら、自家所有だと言う。
使用人も四人いるそうだ。執事、馬丁を兼任した御者、メイドが二人。立派に富裕層である。
「小さい家で悪いけど、まあ、ゆっくりして行ってよ」
「どこが小さいんですか……」
私の生まれ育った家の、優に四倍は広さがある。そもそも泊まり客のための客室を三人分も用意できる時点で、全然小さくない。
でも考えてみたら、ヒュー博士の生まれ育った家とはローデン公爵家なのだった。あれと比較しちゃったら、たいていの家は小さく見えそう。というか、広いと感じるのは王宮くらいなのでは。
その日の夕食は、ヒュー博士の家でとった。二人いるメイドのうちひとりが、料理人だそうだ。食事にはアレックスもやって来た。
食事の席で、アレックスはいたずらっぽく質問をした。
「博士、いつからコーウェン総督と『年来の知友』だったの?」
「さあ」
いかにも気のない声で、博士は答える。
「研究費の支援をお願いすると、けんもほろろに断られる程度の関係だったはずなんだが」
「え、断られたの?」
「『くだらない研究に出す金はない』って、毎回言われてたよ」
「よくそれで、友人づらできるよね……」
呆れ顔のアレックスに、私たちも完全に同意する。しかも「毎回」と言うからには、一度や二度ではなかったはずだ。
「君たちが来ると知ったらこうなるだろうと、わかってたんだよ。だから知らせたくなかったんだけどなあ」
博士が隠したとしても、ジムさんから各国に協力を要請してしまっている。そんな中でボイクートにだけ連絡しなかったら、角が立つこと請け合いだ。政治的な立場からは、問題のある相手とわかっていても無視するわけにいかない事情があったと、見当がつく。
それにしても、不思議だ。これまで邪険にしてきた博士にすり寄るほどの価値が、私たちにあるというのか。
「強引に私たちを招きたい理由って、何なのかしら」
「人気取りだよ」
「人気取り?」
「うん。もうじき総督選があるからね。人気取りのためなら、なりふり構わなくなってるんだ」
私は首をかしげた。
「私たちを招けば、人気がとれるんですか?」
「今や勇者と聖女を知らない者はいない。それを『家に招くほど懇意にしている』と言えるわけだからね」
思わず私は、ライナスと顔を見合わせた。彼も私と同じくらいげんなりした顔をしていた。人気取りのために私たちの名前を利用するだなんて、まごうかたなき政治的な接触じゃないの。
現在の総督ドナルド・コーウェンは、総督に選出されて六年目。任期は六年で、満了は約半年後だ。本人は再選を狙っている。しかし実際には、非常に厳しい見込みだと言う。なぜならばこの六年で、コーウェン総督は着実に人気を落とし続けてきたから。
彼はボイクート国内でも五指に入るほどの富豪で、財政的手腕を期待されて総督に選任された。ところが、いざ総督として任期を務め始めたところ、これがとんでもない期待外れだった。その財政的手腕は、彼の個人的資産を増やすためにしか発揮されなかったのだ。つまり、身分と権力の乱用しかしていない。
腰ぎんちゃくとしてこびへつらう者には甘い汁を吸わせるが、それ以外はすべて搾取対象である。そんなことを露骨に六年も続けていたら、支持する者だっていなくなる。取り巻きはいるが、それだけで再選できるほどボイクートの政治制度は甘くなかった。
かくしてコーウェン総督は、手っ取り早く人気取りをするために、ライナスと私の名前を利用しようとしているのだろう────というのが、ヒュー博士の推測だ。アレックスも同意していた。
聞けば聞くほど、ため息が出る。
そしてここまでの話から、確実に予測できることがある。今日はイカサマ銅貨を使って難を逃れたけれど、これで終わりにはならないだろう。この後もコーウェン総督は、あの手この手で接触しようとしてくるはずだ。
その懸念を口にすれば、全員が同意した。ヒュー博士は頭痛をこらえるように額を押さえ、深くため息をついた。
「ここに泊まるって、バレてるのが痛い。疑う余地なく、明日から狙ってくるよ」
「だったらさ、僕に案があるんだけど」
口をはさんだのは、アレックスだった。いったい、どんな案だろう。期待を込めて、彼をじっと見つめる。アレックスはニッと笑って、意外な提案をした。
「僕んちに泊まらない?」
「ありがたいけど、大丈夫なの? こんな急に、迷惑じゃない?」
「大丈夫。急な来客なんて珍しくもないし、親には事後承諾で十分だよ」
なるほど、親元で暮らしているのか。だったら大丈夫なのかな。私には判断がつかず、ライナスも自信なさげな表情だ。
途方に暮れた私は、ヒュー博士の様子をうかがった。すると博士は、あごに手を当てて思案げな顔をしている。少しの間、首をひねりながら考え込んでいたが、やがてゆっくりとうなずいた。
「いい案かもしれない」
「でしょ?」
博士としては、大使館の世話になる案も考えたそうだ。けれども大使館に移ったとしても、早々に居場所が割れることは避けられない。その点、アレックスのところならノーマーク。探りを入れづらい相手でもあるし、現状で考え得る最適解だと博士は言う。
博士はアレックスに尋ねた。
「頼んでもいいかな?」
「うん。まかせて!」
そうと決まれば、動くのは早いほうがよい。
食事が終わり、夜がふけた頃、アレックスと玄関先で別れの挨拶をした。
「今日は楽しかった」
「来てくれて、ありがとう」
アレックスも「またね」と手を振り、送りの馬車に乗る。馬車が走り出すのを見送りながら、ライナスが私に耳打ちした。
「右前方の角に、監視役っぽいのがひとりいる」
ヒュー博士とアレックスの見立てどおりであることに、ため息がこぼれる。二人によれば、きっと見張られているに違いないと言う。だからアレックスがひとりで帰宅するところを目撃させておくべきだと言うのだ。見事に当たっていた。
玄関から家の中に戻り、裏口に向かいながら、私は申し訳ない気持ちでジュードに別れの挨拶をした。
「ジュード、面倒ごとを押しつけてごめんね。後のことを、よろしく」
「これも任務のうちだから。俺にできることがあって、よかったよ。まかせて」
アレックスの家には、まずは私がひとりだけでお邪魔することになった。ライナスはジュードと一緒に博士の家に残り、攪乱作戦を実行する予定。
具体的には翌日、ライナスは馬車で大使館に向かう。それにジュードと博士、そして私に扮したメイドがひとり同行する。馬車は四人を大使館に送り届けた後、博士に扮した大使館員ひとりだけを乗せて博士の家に戻ることになっている。
ライナスと博士は、結婚指輪のスキルを使って私のところに転移。メイドは適当な頃合いを見計らってメイド姿に戻り、辻馬車を拾って博士の家に帰る。博士の家に行った大使館員も、折を見て大使館に戻る。
こうすることで、コーウェン総督に「勇者と聖女はジュードと一緒に大使館の世話になり、博士は自宅に戻った」と思わせる作戦だ。
裏口に監視の目がないことは、ライナスが探敵スキルを使って確認済み。アレックスを乗せた馬車は、大回りをしてから裏通りに迎えに来てくれた。
私はアンバーが入ったバスケットだけを手に、アレックスの家に向かったのだった。




