08 ダーケイア王都
リース王国を出発してから約二か月後、私たちはダーケイアの王都に来ていた。
ダーケイア内のほかの場所は、すでにすべて見て回っている。ここが五か所目、ダーケイアでは最後の場所だ。
これまで見て回った四か所は、どこも似たり寄ったりだった。要するに、収穫なし。山の中だったり、巨大な湖のほとりだったり、岸壁の近くだったりという地形的な違いはあれど、それ以外はほとんど一緒なのだ。
いずれも、以前は大型魔獣の出現したことのない地域だった。だから目撃者は、初級の魔獣ハンター、または通りすがりの民間人。どちらにしても、大型魔獣など手も足も出ない。想定外の事態に動転し、命からがら逃げ出しているので、正確な地点はわからなかった。
そんなありさまなので、調査の面からは決してはかばかしいとは言えない。それでも旅行そのものは、これまでになくのんびりとしたものとなっていた。何といっても今回の旅は、前回と違って基本が船旅だ。それも一等船室。野営上等だったこれまでの旅とは、比較にならないほど優雅なのだった。
旅行期間の大半が船上だけど、アンバーがいるおかげで退屈することもない。
アンバーはあの後、「取ってこい」もできるようになった。もっとも、「取ってこい」と言うよりは、アンバーにとっては「投げられたものを追いかける」という遊びでしかないみたいではある。拾ったものを持ってくるのは「もっとやりたい。また投げて」という意味であり、「はい、どうぞ」ではないのだ。
アンバーと言えば、ちょっと気になっていることがある。
このくらいの大きさの仔猫は、普通ならあっという間に成長して大きくなるものだ。なのにアンバーは、ちっとも成長している気配がない。いつまで経っても、小さな仔猫のまま。食欲はあるのに。
ナガグツネコは、小型の猫だそうだ。大人になっても、普通の飼い猫よりやや小型らしい。だから仔猫が小さくても、それほど不思議ではないのかもしれない。気にはなるものの、起きているときには元気いっぱいだから、それほど心配しなくてもいいかな、とは思っている。
話をダーケイアの王都に戻すと、ここは大きな湾の奥にある。王都港から市街地までは、馬車で三十分ほど。王都港には、宿屋から迎えの馬車が寄こされていた。貴族や富裕層向けの宿なので、迎えの馬車も立派だ。ピカピカに磨き込まれた黒塗りの馬車だった。
船を降りる私たちを、黒い厚手のコートを身につけた御者が迎えた。
「私はグランドホテルの者です。ライナス・ローデンさまと、フィミア・ローデンさまご夫妻のお迎えに上がりました」
「ありがとう。荷物はそこにあるだけです」
「かしこまりました」
アンバーの寝ているバスケットは、私が抱えている。アンバーはバスケットの中でも相変わらずだ。豪快に四肢を投げ出して、ビローンと体を伸ばしきって仰向けで寝ていた。最初はチラリと横目で見ただけの御者は、見事に二度見する。そして、声を出さずに吹き出した気配がした。笑っちゃう気持ちは、とてもよくわかる。
ダーケイアの王都に滞在するにあたり、伯父さまからは宿泊先に二択が示された。大使館のお世話になるか、自分で宿を手配するか。個人的な旅行なのに、大使館のお世話になるのも気が引ける。だから宿を取るほうを選択した。
すると今度は、大使館のほうから宿の選択肢が示された。警護の都合があるので、その中から選んでほしいそうだ。違いがわからないので、一番上に挙げられていたものを選んでおいた。それがこのグランドホテルだ。
馬車が走り出して間もなく、アンバーは目を覚ました。
窓から外を見たがるので、バスケットから抱き上げて、窓の近くに寄せてやる。アンバーは窓枠に前足をついて、ゆっくりと流れていく風景をじっと眺めていた。
やがてホテルの前に馬車が停まり、御者がドアを開ける。
「お待たせいたしました。到着でございます」
ライナスが先に降り、私からバスケットを受け取ってベルボーイに渡した。さすがに大使館から一番に推薦されるだけあって、入り口の構えからして非常に立派な宿だ。
次にライナスは、私に向かって手を差し出す。ライナスは生まれたときから貴族の子として教育を受けているおかげで、こういうマナーはきっちり身についていてそつがない。
私は貴婦人を気取ってその手をとった。身分の上では間違いなく貴婦人のはずなのに、いまだに片田舎の小娘気分が抜けない。だって、育った家には馬車なんてなかったし。両親とも礼儀作法には口うるさかったけど、持っていないものは教えようがない。
だからこんなふうに貴婦人のような顔をしてライナスの手をとるとき、どうしたってままごとみたいに感じてしまうのだ。ついくすくすと笑いをこぼす私に、ライナスも笑みを浮かべた。
ところがこのとき、少し離れた場所から言い争うような声が聞こえた。
「これ以上はお控えください」
「ハドリー子爵の遣いだと言っただろう。邪魔をしないでくれないか」
おやおや。身分を笠に着て、無茶を通そうとしているらしい。ハドリー子爵の遣いを名乗ったのは、口ひげをたくわえ、恰幅のよい壮年の男だった。服装や態度から判断するに、執事だろうか。
呆れて見ていたら、遣いの男と目が合ってしまった。男はパッと顔を輝かす。
「ローデン家の聖女さまでございますね! 主人から『ぜひにハドリー子爵家で賓客としてもてなしたい』との言づてを預かってまいりまして、よろしければ────」
よろしいわけがない。だって面倒ごとの予感しかしないもの。
私はアンバーに頬ずりをするような振りをして、「ハウス!」とささやきかけた。次の瞬間、アンバーは私の腕の中から弾けるように飛び出していた。脱兎のごとく、一直線にホテルのドアに向かう。ほんの少し開いた隙間から、ホテルの中へと姿を消した。
さっきベルボーイにバスケットを渡したところを見ているから、賢いアンバーは行き先に迷いがないのだ。
私はしらじらしく「まあ!」と悲鳴のような声を上げて頬に手を当て、ライナスを振り向く。
「ライ、つかまえて!」
「まかせて」
ライナスは取りつくろった真顔でうなずき、即座にアンバーを追って走って行った。私は遣いの男を振り返り、軽く会釈する。
「ごめんなさい。取り込んでいるので、お話はまたの機会に伺いますね」
そうしてすました顔で男の前を素通りし、足早にホテルの中に入ったのだった。




