07 旅路と仔猫
仔猫はアンバーと名付けた。毛並みが琥珀色だから。
アンバーは仔猫の割には、あまり手のかからない子だ。食べ物の好き嫌いはなく、肉でも魚でも何でも食べる。トイレは、外に出て勝手に済ませてくる。外に出たくなるとドアの前でうろちょろして鳴き声を上げるので、わかりやすい。外に出しても、用が済めばすぐに戻ってくるから安心だ。
そればかりか驚いたことに、いつの間にか人間用のトイレの使い方を覚えていた。見ていて非常に危なっかしいものの、便座のふちに腰掛けて用を足している。なんと終わると便座の上から身を乗り出して、壁にあるボタンを押して流すところまでする。
そうして、水の流れる音に気づいた私かライナスが様子を見に行くと、便座の上にちょこんと座って、ものすごく得意そうな顔でキラキラした目を向けてくるのだ。
これは、褒められ待ち。「よくできたね」とか「えらいね」とか褒めて、なでてやれば満足する。面倒でも毎回褒めてやらないといけない。でないと、便座の上にお座りしたまま、こちらが根負けするまで「ミャーウ」と鳴いて催促する。いつかは飽きてやらなくなりそうだけど、今のところ、やめる気配はない。
いちいち褒められ待ちするところさえ目をつむれば、このトイレ習慣はとても助かった。泊まりがけで船に乗っても、人間のトイレを使ってくれるから手間がない。
仔猫だから、寝ている時間は長い。寝る時間が長いというより、むしろ食べるときと遊ぶときだけ起きている感じ。遊び疲れると、すぐ寝てしまう。だいたいはソファーやベッドの上なんだけど、寝姿が豪快だ。
仰向けに寝転がり、全身をビローンと弛緩させている。猫って、丸まって寝るものじゃなかったの? ときどき寝ぼけているのか、空をかくようにチョイチョイと足を動かすこともある。
初めて見たときには、笑ってしまった。我が物顔でソファーの中央に陣取るアンバーに、ライナスも苦笑い。
「アンバー。お前、初めての場所なのに、くつろぎすぎだろ」
「野生の猫って、みんなこんな感じなのかな?」
「それは絶対にない」
ライナスが真顔で力強く言い切るから、また笑ってしまった。
警戒心の強い猫と聞いていたのに、この無防備さはどうしたことだろう。とても野生の生き物とは思えない。たまたまナガグツネコと模様が似ているだけで、実は飼い猫だったりして────などと考えてから、私は首を横に振る。
「でも、あのとき顔を見せたのは、親猫よね?」
「見捨ててったけどな」
親が見捨てたというより、アンバーがちっとも親のほうへ行こうとしなかっただけなんだけど。まあ、どちらにしても、結果は一緒か。
アンバー用のベッドにしようと、バスケットにクッションを敷いたものを用意してみたものの、アンバーには見向きもされていない。疲れたらどこでも寝ちゃうからか、だいたいがソファーの上かベッドカバーの上でビローンと全身を伸ばしきり、仰向けに四肢を広げて寝転がっている。
そのくせ私とライナスがベッドに入ると、なぜか毛布に頭を突っ込んでくる。うかつに寝返りを打ったら、つぶしそうでこわい。そのままカバーの上で寝ててほしいんだけど。不幸中の幸いは、奥まで潜り込みはしないこと。文字どおり、毛布に頭を突っ込むだけなのだ。
目が覚めるとだいたい、顔の横あたりにフワフワのお尻がある。
夜中に目が覚めたときには、そっとアンバーをベッドカバーの上に移動しておく。でも朝になるとやっぱり、枕の上に乗っかり、毛布に頭を突っ込んでいる。このときだけは仰向けではなく、行き倒れスタイル。うつ伏せで、前足と後足を前後にペタッと投げ出している。
こうしてことあるごとに、静かな攻防を繰り返しているのだった。
でも、敵はなかなかしぶとい。しかも困ったことに、どうしようもなくかわいい。だからこちらとしては、非情になりきれないのだ。そのうち根負けしそう。
アンバーは賢いので、芸や指示もちょこちょこ覚えた。お手、お座り、ハウス、待て、来い。バスケットはベッドとしては見向きもされていないけれども、「ハウス」を指示したときの目的地と認識されている。動かしたり隠したりしても、ちゃんとバスケットまで行く。
遊びがてら、私がいろいろな指示を教え込んでいるのを見て、ライナスが笑った。
「もはや犬だな」
「こんなに賢くて素直な子は、犬にだってなかなかいないわよ」
お手なんかは、アンバーにとって完全に遊びのつもりだと思う。それが証拠に「お手」と言って前足を乗せてきたとき、スッと手を引き抜いて前足の上に重ねると、すかさずテシッっと手の上に前足を置く。
スッ。テシッ! スッ。テシッ! スッ。テシッ! これが何回でも、エンドレス。しかも妙に真剣な目で、私の手をじっと見つめている。絶対に自分の前足の上に手を置かせない構えなのだ。
加えて「お手」のポーズは、アンバーが遊んでほしいときの合図にもなってしまった。遊んでほしくなると、寄ってきてお座りし、「お手」のポーズをしてつぶらな瞳をじっとこちらに向ける。これはたまらない。遊ばないわけにいかないじゃないの。
私が気づかないでいるときには、「ミャーウ」と鳴いて気を引きながら、「お手」のポーズを繰り返す。それがかわいいものだから、つい横目で見ながら知らんぷりをしてからかったことがある。
するとアンバーは、必死に「ミャーウ、ミャーウ!」と鳴きながら、次第に「お手」が高速回転になっていった。あれは笑った。思わず吹き出した私に、アンバーはどうしたわけかキリッとした顔を向け、おもむろに「ミャーウ」と「お手」をした。息が苦しくなるほど笑い転げてしまったのは、言うまでもない。
こんなふうに、野性味のかけらも感じられないアンバーだけど、飼い猫とは違うと思わされる部分もある。一番わかりやすいのは、水を嫌がらないところ。
嫌がらないどころか、水遊びが大好きだ。お風呂に入っていると、水遊びをしていると思うのか、寄って来て「遊ぼう」とばかりに「お手」のポーズをする。バスタブに入れてやれば、チャプチャプとお風呂の中で犬かきをしたりして、ご機嫌だ。
バスタブにお湯を張らないときでも、シャワーで遊びたがる。シャワーからしたたり落ちる水滴が楽しいらしい。バスタブに入れてやれば、足もとで飽きることなく水滴にじゃれついている。
毎日のようにお風呂に入っているから、たぶん普通の飼い猫と比べても清潔だと思う。
こうして旅を続ける間に、アンバーはすっかり私たちの生活の中に溶け込んでいった。なお、馬は最初の宿泊地を出るときに、こっそり転移で王都の自宅に戻してきた。
この旅行中も、魔王城への調査隊派遣時と同じように、時間を決めて伯父さまのところに転移している。調査のときと違って報告がないから、おやすみの挨拶をする程度のゆるさだけど。おかげで、こうして馬を家に帰すのも簡単にできる。




