そのご。
新田家を出て、カボチャへの風評被害をしてしまったことを後悔する。
そういえば、幕別町のホームページには、「花嫁募集」ってリンクが貼られていたっけ。
その辺にいる独身っぽい人に、ひたすらプロポーズしていけばいいんじゃないか。
好きです、結婚してください。
そう言うだけでいい。カボチャ農家のお嫁さんになって、たくさん赤ちゃんを産んで、幸せになればいい。新田さんなんか、ずっとひとりで年をとって、孤独死するに決まってる。想像したら、なぜか涙が滲んだ。
私はひたすら、北海道のまっすぐな道を歩いた。最寄り駅まで歩くのはきつい。勢いで家を飛び出したりしないで、タクシー呼んでもらえばよかった。大体、歩く用の靴で来ていない。
カボチャ畑の前でへたりこむ。
目の前には、おっきいカボチャが、ぼこぼこと植わっている。でもシンデレラが乗れるような、巨大なカボチャはない。カボチャの馬車なんて、実際にはないのだ。城まで歩くしかない。この場合は駅だけど。なんにせよ足がだるい。
「トラクターでもいいから乗りたい」
そうつぶやく。いや、きっと、トラクターは野菜以外は載せてくれない。北海道の野菜は、日本の宝だ。みんな飢え死にしてしまう。私なんか乗せてる場合じゃないのだ。
さあ、行かないと。帰るのに三時間以上かかるんだから。残りの連休は、ふて寝して過ごすのだ。
立ち上がった私に、青年が声をかけてきた。
「あの、なんか落ちましたよ」
差し出されたのは、婚姻届けだ。
「ああ、すいません」
私は慌てて、婚姻届けを受け取る。危ない危ない、うっかりしていた。片方だけ名前を書いた婚姻届け。こんなものを回覧されたら、末代までの恥だ。
と、傍に車が止まった。ドアが開き、新田さんが降りてくる。
「あ」
新田さんは婚姻届けをひったくり、私をじろっと睨んだ。
「アンタ馬鹿なの? ヤケになって、見知らぬ男に求婚してんじゃないわよ」
「な、そんなことしてません!」
若干その考えが、頭をよぎったのは否めない。
「いいからさっさと来なさい」
「離してください!」
私は新田さんの腕を振り払い、だっと駆け出した。そうして、カボチャ畑を疾走する。ライ麦畑ならまだかっこいい感じがするのに、カボチャっていうのがなんか間抜けだ。カボチャに失礼かもしれないけど。
しかも、この畑ときたら、広すぎて終わりがない。北海道の畑は、ヘクタールという単位で表現される。なんせ、愛知の30倍広いのだから。
必死こいて走っていたら、でかいカボチャに蹴躓いた。倒れそうになった瞬間、伸びてきた腕に引き寄せられた。新田さんが一喝。
「畑を荒らすなッ!」
「す、すいません」
新田さんは無言で私の手を引く。私はドナドナされる子牛のように、俯いて歩いた。
「すいません、畑に勝手に入って」
新田さんは、青年にぺこりと頭を下げた。青年は、いえいえと答えている。
乗りなさい。冷たい声でそう言われ、私は助手席に乗った。無言は、車に乗せられてからも続く。ものすごく気まずい。
カーステレオから流れているのは、「穀物の雨が降る」という曲だった。初めて聴いたが、不思議な歌だ。私が歌に聞き入っていたら、スマホが鳴り響いた。私はびくりとして、着信を見る。
「あ」
神崎くんだ。新田さんが、ちらりとこちらを見る。
「出れば?」
「あ、は、い」
応答すると、神崎くんの声が聞こえてきた。
「ああ、小城さん」
穏やかだけど、ちょっと怒ってる声。
「ドタキャンだけならともかく、替え玉はひどくないですか?」
「ごめん」
私は小さな声で言った。神崎くんは、すこし黙ったあと、
「俺のこと、嫌いですか」
「神崎くんは、私のこと好きですか」
新田さんが、ぴくりと肩を揺らした。
「好きです。俺のこと、全然興味ないだろうけど」
「……私、神崎くんのこと、カボチャにしか思えない」
電話の向こうで、神崎くんが笑った。
「ひどいな」
私、とつぶやく。歌は佳境に入っている。人間嫌いの少年が、穀物の雨を降らせて地球が滅びる。そういう歌だ。
「地球が止まっても、新田さんが好き」
私がそう言ったら、新田さんがブレーキを踏んだ。私からスマホを奪い取る。
「あっ」
「あ、神崎くん? 久しぶりい。元気だったあ?」
新田さんは、普段よりワントーン高い声で話す。
「え? 小城が? あら、ごめんなさいねえ、この子男に免疫ないから。神崎くんみたいなイケメンとデートするの、尻込みしちゃったのよ。あ、なんならアタシが今から行きましょっか」
彼は片手を頰に当てた。
「いい? やだ、遠慮しないでよ〜」
次の瞬間、新田さんがぴたりと動きを止めた。
「……ああ、そうね。アタシはゲイよ」
冷たい声に、私は背中を震わせた。スマホを取り替えそうとする。
「新田さ」
「でも、アンタに小城はあげないわよ」
私はあっけにとられて、新田さんを見つめていた。
新田さんはハイ、と言って私にスマホを返す。私は動揺しながら、再びスマホを耳に当てた。神崎くんの、穏やかな声が聞こえてきた。
「また新田さんといるんですね」
「あ、うん……」
「応援はしませんが、お幸せに」
通話が途切れた。私はスマホを下ろし、新田さんを横目で見る。
窓の外を眺めていた新田さんが、口を開いた。
「酪農って、っていうか、自営業って大変よ。朝は四時起き、肉体労働だし、休みはほとんどないし」
「はい」
「それでもいいなら、結婚しましょう」
私は、ぎゅっと拳を握りしめた。
「いやです」
「は?」
「好きって言ってくれなきゃ、いやです」
「……」
彼が眉をしかめた。めんどくさいって思ってそう。
「好きよ」
そんなんじゃ、足りない。
「もっと、好きって感じを出してください」
「なんなのよアンタは」
「アンタじゃなくて、名前呼んでください」
新田さんが、こちらに視線をやる。色素の薄い瞳が、私を見ている。秋の光に、彼の髪がきらきら輝いていた。
「妙子」
好きよ、妙子。
下の名前、初めて呼んでくれた。それだけで、泣きそうになる。好きな人に名前を呼んでもらえるのがこんなに嬉しいなんて、知らなかった。妙子って名前でよかった。
私が顔を覆うと、新田さんが眉を寄せた。
「ちょっと、なんでまた泣いてるの」
「これは、嬉し泣きです」
「やめてよ。泣く女は嫌い」
「女自体、好きじゃないくせに」
「そうよ。好きじゃない」
だから、と新田さんは続ける。
「本来、触りたいとか思うの、あり得ないのよね」
新田さんはシートベルトを外し、私の身体に腕を回した。抱きしめられて、心臓が止まりそうになる。私も彼を、ぎゅっと抱きしめ返した。新田さんが、耳もとに囁く。
「惜しいことしたわね。神崎くん」
「惜しくないです。ブラック神崎だし」
「まあ、ただの爽やかくんじゃなかったみたいだけど」
新田さんの手が、私の頰を撫でる。彼は目を細め、
「こないだの朝、なんで神崎くんと一緒にいたの?」
「あれは、酔っ払って……む」
「アンタね、酒に弱すぎ。っていうか無防備すぎ」
鼻をつままれて、苦しくなった。私がむー、と言っていたら、新田さんが笑う。
「変な顔」
苦情を言おうとしたら、指が離れていく。息を吸おうとした瞬間、唇が合わさって、私はまつげを揺らした。
「ん」
唇を離して、新田さんが言う。
「なんもされてないでしょうね」
「してない、です」
「覚えてないだけかもしれないわよ」
意地の悪い声で言って、またキスをする。苦しくて、ドキドキして、どうにかなりそうになる。だけどもっと、キスして欲しかった。私は新田さんにすがりついて、口づけに必死で応える。唇がじんじんして、溶けちゃいそうだ。私はぼんやり新田さんを見つめて、
「お腹、むずむずします」
「発情してんじゃないわよ」
「して、ないです」
新田さんの手がお腹を撫でる。背筋がゾクゾクした。
「お腹、だめです」
「やっぱりしてんじゃない。変態」
「新田さんが触るからです」
「ふうん。神崎くんにもそういうこと言ったわけ?」
「神崎くんとはしてない、ですってば」
「すればよかったのに。こんなんじゃ物足りないんでしょ」
新田さんがちょっと爪を立てると、むずむずが強くなる。私が身体を震わせたら、新田さんが目を細めた。
「やらしい顔」
「意地悪」
新田さんはふ、と笑い、また私に口づけた。
昔、シンデレラを読みながら思っていた。かぼちゃの馬車なんかあるわけないって。実際、大人になってもカボチャの馬車はこなかったし、王子さまは口の悪いオネエだった。
絶対叶わないだろう恋は、名古屋のオフィスではじまり、サイレージで展開し、カボチャ畑の傍で着地をみせて──地球はまだ回ってる。
次話に新田さん視点の後日談があります。




