そのなな。
★
「結構値が張るもんね」
新田さんは、山ほどのパンフレットを眺めて言う。私たちは、式場近くのレストランに来ていた。結婚とは、かくも手間とお金がかかるものなのだ。私は、1050円のパスタを眺めてつぶやく。
「私、貯金200万あります」
「微妙ね。つーか、誰もアンタに出せとは言ってないわよ」
「750円のパスタにすれば良かった……」
しょんぼりしている私をみて、新田さんはふ、と笑った。
「ねえ、どこか行きたいとこある?」
「どこか?」
「新婚旅行」
「お金かかりますよ」
「金、金って言わないの。若い娘が」
「私、新田さんといられればいいんです」
「……」
新田さんが黙って私の頭を撫でた。
私は、新田さんをじっと見る。
「あの……」
「なに」
「純也さんって、本当にただの同級生なんですか」
撫でる手が止まる。
「……鋭いわね、意外と」
「新田さんの口が悪かったので」
「なるほどね」
新田さんはため息をついて、卓上の花を見つめた。
「付き合ってたの」
やっぱり。わかっていても、私はちょっと動揺した。
「アタシ、とにかく北海道から出たくて、東京の大学に入ったの。そのまま就職して……たまたま、純也と同じ職場に入った」
大学時代は口をきいたこともなかった。新田さんはそう言った。
「大学の時、純也はテニスのサークルに入ってて、アタシはよく、それを眺めてた」
それだけだったんだけど。新田さんはつぶやいた。
「純也がお仲間だとは全然思わなかったの。女の子といるところをよく見かけたし。だけど……実際話してみて感じたの。アタシと同じじゃないかって」
つまりは、同性愛者だと。
「わかるものなんですか?」
「なんとなくよ。デリケートな問題だから、聞くわけにもいかないしね」
それで、と新田さんは言った。
「飲みに行った帰りに、酔ったふりして抱きついてみたの。そしたら純也がキスしてきて……まあ、そんな感じ」
「どんな感じですか」
「だから……ってアンタ、顔怖いわよ」
いつの間にか新田さんをにらんでいたようだ。
「で、付き合って一年半経ったころ、純也が別れたいって言ってきたの」
「どうして……」
「純也はずっと、店を持ちたがってた。会社勤めは向いてないって言って、よく経営法の勉強をしてたわ。でも金がない」
つまりはね、と新田さんは言った。
「手っ取り早く、金持ちの女と結婚したのよ」
私は息を飲んだ。
「でも、純也さんは新田さんのこと好きだったんですよね?」
「多分ね。でも別なのよ。親の期待がどうの、世間の目がどうのって言ってたけど、結局あいつは、自分の利益を優先したの。アタシは金に負けたのよ」
「ひどいです」
私はフォークを握りしめた。ガタン、と音を立てて立ち上がる。
「問いただしてきます」
出入り口へ向かおうとしたら、新田さんに襟首を掴まれた。
「落ち着け!」
彼は私を座らせて、
「ったくアンタは。フォークを持ってくんじゃないわよ、怖いわね」
「……すいません」
ついカッとなった。
「とにかく、昔純也と何があろうが、今はもう関係ないし、アンタがキレる必要もないから。わかった?」
「はい……」
私は、手にしたフォークを見下ろした。
★
その夜、私は髪を拭きながら、新田さんがお風呂から出るのを待っていた。ふと、新田さんの布団へ目を向ける。ちらりと戸口を見た後、彼の枕をぎゅっと抱きしめる。くん、と匂いをかいだ。
「新田さんの匂いがする」
……なんだか、変態くさい。恥ずかしくなって、枕を離す。かわりに、枕元に置かれた藤沢周平の本を手に取った。
「蝉しぐれかあ……泣けるんだよなあ」
私は本を手にし、パラパラめくった。何かが挟まっているのに気づく。取り出してみて、はっとする。
純也さんと、新田さんが写った写真。どうして。そのとき、がちゃ、と部屋の戸が開く音がした。振り向くと、新田さんが立っている。
「新田さん」
新田さんは私が手に持っているものを見て、はっとする。彼は素早くこちらにきて、写真を奪った。それをぐしゃりと丸め、ゴミ箱に放る。
「勘違いしないで。あれは捨て損ねたのよ」
そんなこと、あるだろうか。あんなに大事そうに挟んであったのに。私はしばらく沈黙したあと、
「まだ、好きなんですか? 純也さんのこと」
「そんなわけないじゃない。何年前だと思ってんの」
「じゃあ、なんで」
「だから、たまたま挟まってただけよ」
「嘘です、そんなの」
私は声を震わせた。
「好きだからとってあったんでしょう?」
新田さんはため息をついて、
「何言っても無駄みたいね」
布団を畳んで持ち上げる。
「アタシ、居間で寝るわ」
そのまま部屋を出て行った。私はしばらく、布団の上に座り込んでいた。ゴミ箱の中から、写真を取り出す。
新田さんは優しい顔で笑っている。純也さんのことが好きって、全身から想いが溢れ出ている。純也さんも、新田さんのことが好きって、顔に書いてある。二人は愛し合っていた。私はきっと、彼らと同じようにはなれない。だって、女だから。
私はいま、嫉妬でものすごく嫌な顔をしてるだろう。涙がにじんできて、ごしごし拭った。
私は写真のシワを丁寧に伸ばし、新田さんの机に置いた。
翌朝、居間へ向かうと、新田さんがテレビを見ていた。また、例の映画俳優が出ている。新田さんは、テレビに目を向けたままで言う。
「おはよう」
「……おはようございます」
いつも朝刊を読んでいる耕三さんがいない。
「耕三さんは?」
「出かけたわ。親戚に会いに行くって」
私は、新田さんの隣にぺたりと座った。カチコチと時計のなる音。台所から聞こえる煮炊きの音。新田家の居間。ここが好き。新田さんの隣で、テレビを見るのが好き。新田さんが好き。新田さんは?
「新田さん」
「一馬って呼びなさいってば」
「私の、どこが好きですか」
新田さんがこちらを向いた。
「いきなり何」
「私の身体に触って、もっとしたいって、最後までしたいって思いますか」
「やめなさいよ、朝っぱらから」
「答えてください」
新田さんの、色素の薄い目がこちらを向いた。この目が好き。視線が合うとドキドキして、胸がきゅっとする。その瞳が揺れた。
「……思わない」
なんでそんなに正直なの。少しくらい、嘘をついてくれたっていいのに。純也さんの写真みたいに、言い訳してくれたらいいのに。
私は正美さんを手伝うために、台所へ向かった。
朝食を食べ終えたあと、私は新田さんと一緒に牛舎の掃除をした。つなぎ姿の彼に、新田さん、と声をかける。
「私、ちょっと名古屋に帰ります。いいですか」
新田さんが、掃除の手を止めた。
「なんのために」
「友達に会いたくて」
「何日?」
「ちょっと、わからないです」
彼はこちらを見ずに言う。
「早めに帰ってきなさいよ。うちの親、アンタがいないとため息ばっかりつくから」
新田さんは? 新田さんは、寂しくないんですか? 私、あなたのお嫁さんになるのに。新田さんはよく、うちの親が、という言い方をする。
新田さんは優しいひとだ。口は悪いけど、ご両親のことを大切に思ってる。だから会社をやめてファームに戻ってきた。一度は離れた故郷を、捨てられなかった。
私のこともそう。家のため、親のため。同じだ。純也さんがしたっていう言い訳と。新田さんがどう思っているのか、言ってくれない。掃除を終えた私は、結んでいた髪をほどいた。
「じゃあ、行きますね」
「は? 今から?」
「はい。時間かかるので」
私は、居間を出ようとした。
「妙子」
新田さんが私を呼び止める。
「アタシは……アンタが好きよ」
それは、なぜか嘘に聞こえた。




