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恋の始まり

作者: はんはん
掲載日:2023/06/17

 夫が死んだ。

 十年連れ添った相手が死んだのに、心は少しも揺れなかった。

 お互い三十手前出会い、そのまま結婚。

 そして私だけが四十歳を超えた。


 近所の公園で、ベンチに座る。

 ただ、ぼっとする。

 周りからは、夫を亡くしたショックで少し呆けたとでも思われているだろうか。

 子供もいない夫婦は、夫が消えれば当然私だけになる。

 この半年の間、夫を恋しいと思ったことは無いが、寂しさはそれなりに感じた。


 いつものように夫のスマホを覗き込む。

 契約はとうに切れていて、連絡などには使えない。

 ただ、夫の残した言葉だけが、無機質な記録として残っている。


『彼女が電車から降りた時、僕は世界の時間が止まってしまったのかと思いました』


 夫はどうやら作家を気取っていたらしい。

 その物語は、すこし世の中を単純に見ている男性が主人公。

 善と悪だとか、努力なんて言葉が恥ずかしげもなく羅列している。

 でも、わかりやすくて私は好きかも。


『ホームで君を見た僕は、どうしても君を見失いたくなくて、後を付けました』


 それにしても、夫の文才は残念ながら大したものではなかったと思う。

 リアリティがなく、かと言って幻想的でもない。

 ただ、お人好しで夢見がちな主人公がバタバタしているだけ。


『彼女は振り返るなり僕を睨みつけ、変態と叫びました』


 主人公が女をこっそりと追いかけて、彼女に見つかるシーン。

 どこかで見たことがあるかも。

 いかにもありそうな話だし、この単調な物語には必要な要素かもしれない。


『僕が彼女の美しさを必死に語ると、彼女は何故か泣き出してしまい……』


 目の前がぼやける。

 涙の膜が、視界を遮る。

 私は、あの時と同じように嗚咽を耐えて、でも涙の粒は流れるままに任せた。


 これは、私達の物語だ。


 何一つ自信の持てない無個性な私を、一人の男がどれだけ美しいか語ったのだ。

 きっと、見逃して欲しいから嘘をついたのだろうと思っていた。

 それなのに泣いてしまった自分が恥ずかしくて、男の顔もろくに見ず走り帰った。


 それから一年後、夫に出会った。

 電車の中で痴漢に遭っていた時、偶然近くにいた夫が助けてくれたのだ。


 夫は私に一目ぼれですと言った。

 冗談だと思った。

 おもしろい人だと思った。

 それに少し、うれしかった。


 夫のスマホには、驚いたことに十年分の日記が保存されていた。

 毎日、日付と題まで入って。

 最終日は、夫の命日、明け方。

 題は、彼女が僕の幸せでした。


 私は、十年かけて、ハッピーエンドが待つ夫の物語を読もうと思う。


 私の恋が……いま始まった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素敵な作品ですね。 心温まる作品でした。
[良い点] ∀・)感動しました。誰だって名作を書く事はできるし出会うことだってできる。僕の座右の銘だけど、それを物語を通じて教えて貰った感じです。 [気になる点] ∀・)長編にしてもいい題材だと思いま…
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