〈閑話〉凌久、SOS!(2)
「あら、珍しい。航さん、いらっしゃい」
暖簾を潜ると、おばさんが声をかけてくる。
「千代さん、お忙しいところ、すみません。円華と少し話せますか?」
「え? それは構わないけど。――あら、そちら、確か譲くんのお友達じゃない?」
王子が軽く会釈した。
父さんがまた、ピクリとして王子を睨む。
「譲……!? あいつか……! 君、あいつの友達なのか!?」
久遠さんのこと、あいつ呼ばわり!?
父さん、お世話になってるのはこっちだよ!?
父さんは久遠さんのことを姉ちゃんの彼氏か何かだと思って敵視してるらしい。
まあ、当たらずといえども遠からず、って感じだとは思うけど……。
「同級生です。生徒会では一緒に活動しています」
「生徒会……、そうか。確か、円華も生徒会に入ったと言っていたが……」
「はい」
そこで、おばさんが呼んでくれた姉ちゃんが出てきた。
「父さん……!? それに、北大路様も。ど、どうされたんですか?」
姉ちゃんがわけがわからない、と困惑した表情になっている。
訊きたいのはこっちだよ!?
「円華ちゃん、座敷空いてるから使っていいよ」
おばさんが、おしぼりとお冷やを四つ持ってきてくれて、客がいなかった座敷へ案内してくれた。
「り、凌久。なんなの、これ……? なぜ父さんと王子が一緒なのよ!?」
座敷に入った二人を見ながら、姉ちゃんが俺を捕まえて、抑えた声の早口で訊いてくる。
「知るかよ……!? 姉ちゃんこそ、何やらかしたんだ……!?」
すると、ぎくりとして姉ちゃんはあらぬ方を見る。明らかに何かあった、と白状する仕草だ。
「べ、別に……」
別に、じゃないよ! やっぱ姉ちゃんのせいじゃないか!
「と、とにかく入りましょう……!」
揃って席についた俺たちを見回して、父さんが重々しく口を開く。
「彼が詫びたいと言っているが、何があったか話そうとしない。彼に謝られなければならないようなことが何かあったのか?」
姉ちゃんの方から一瞬、「うっ」とでも言うような声が聞こえた。
「うっ」じゃないよ、なんだよ!?
でも次の瞬間、姉ちゃんはびっくりするような綺麗な微笑みを浮かべて首を振った。
ヴァイオレット様、怖いよ! 何、その「なんでもありません」みたいな顔! 話す気ゼロだな!?
「いいえ。何もありません。――そうですわね、北大路様? なぜ、こんな事態になっているのです?」
「いや。迷惑をかけたのは事実だから。詫びはさせてもらう」
「まあ。あなたが悪いわけではないのに?」
「俺のせい、もある」
「――その話は終わりましたよね? 私が気にしない、と言っているのですから、詫びる必要はありません。そもそもあなたが謝るのはおかしいでしょう? 詫びというなら、犯人を捕まえて、その方に詫びさせたらいかが? こうして、仕事中に頼みもしないのに押しかけられることの方が迷惑ですわよ」
「――ちょっと、待て。『犯人』?」
割り込んだ父さんの声にはっとしたように姉ちゃんが動きを止めた。
恐る恐る、とでも言うように父さんを振り返る。
「――ちゃんと、話しなさい、円華。何があったんだ?」
姉ちゃんの詰めの甘さは誰似なんだろう。
久遠さんも言ってたけど、ヴァイオレットってやっぱり結構うっかり者なんだろうか。
自分から白状する形になって、姉ちゃんはしぶしぶ何があったのか話し出した。
「ゆ、誘拐!?」
父さんと俺は、びっくりして思わず声を上げた。
なんと、宿泊研修で姉ちゃんはこの王子と誘拐にあったらしい。
「あ、あの、でも、本当になんでもなかったの。ちょっとしたいたずらみたいなものだったのよ? 怪我もしてないし、そもそも私が道に迷ったりしなければ攫われるようなことも……」
しどろもどろで言い訳する姉ちゃんに、父さんが一喝した。
「そういう問題じゃない!」
父さんは鉄板を挟んで向かいにいた姉ちゃんににじり寄って、その両頬を挟んだ。
「怪我は!? 何もされなかったか!? 体は大丈夫なのか、円華!」
「え、ええ、それはもちろん。こうしてアルバイトもしてるし、なんともないわよ?」
父さんはぎゅっと姉ちゃんを抱きしめた。
「と、父さん? 痛いわよ……?」
「うん……。無事なんだな、円華」
「だから、そう何度も言ってるじゃない?」
「うん……」
それから、父さんは王子を振り返ってその腕を掴んだ。
「君は? なんともないのか? 怪我は?」
「いえ、ありません。巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」
「君も被害者だろう。娘はたまたま一緒にいただけだ。――警察には?」
王子が首を振る。
「なぜ? 君のご両親は知っているのか? なぜ、警察に届けない? 学院側は? なぜ僕らが何も知らされていないんだ?」
王子は一瞬、迷うように視線を下げた。
「学院側には伝えていません。その――父は、体面を気にして、警察に届けるようなことはしないと思います。学院側へも同様です。こうして僕らが怪我なく戻ってきたので問題ないという考えでしょう。ただの、身内のいざこざだと思っているのではないかと」
「身内? ――犯人がわかっている、ということかい? ……待て。君、北大路、と言ったか? まさか、あの大企業の創業家の『北大路』か?」
「あの、というのが僕の認識と同じかはわかりませんが、おそらく、想像されている企業と一致すると思います」
父さんが少し考え込むように、手を額に当てた。
「犯人は君の親戚か何かか?」
「――恥ずかしながら。確証はありませんが、手口から、おそらくは。ですから、公表されるとこちらがいくら被害者であっても、経営にも評判にも関わります」
「『お家騒動』とか『お騒がせ』、なんて週刊誌の記事が目に浮かぶな……。だからって、親が来ないで、被害者で子どもの君がひとりきりで謝罪に来るなんて、どう考えてもおかしいだろう!」
吐き捨てるように父さんが行って言って、そのまま王子をがばりと抱きしめた。
抱き……、え? 抱きしめた?
なんで?
抱きしめられた王子の方も、想像していなかった行動なんだろう、明らかに目を見開いている。
呆然としているらしい王子の両腕を掴んで、父さんはその顔を真剣にのぞき込むと忌々しそうに言った。
「金の亡者が考えそうなことだ。――君は、それが正常の親の姿ではないことを自覚した方がいい。そういう家にいることは普通ではない、とまず気づくべきだ。……いいかい? 何か困ったことがあったら相談しなさい。助けられるかどうかはわからないが、できる限りのことはする」
王子は、なぜそんなことを言われるのかわからない、という顔をしているが、何か考えているのか、父さんの提案には何も答えなかった。
――当然だ。父さん、何言ってるんだ?
でも……、父さんの言うことも少しはわかった。
確かにこの状況はなんかおかしい、と俺も思う。
「円華も円華だ。そんなことがあったらなぜ言わないんだ!? 知らされないこちらの身にもなってくれ!」
「は、はい……。ごめんなさい……」
それから父さんは改めて姉ちゃんをぎゅうっと抱きしめた。
そして、姉ちゃんの頭を撫でると、その顔を改めて覗き込んだ。
「どうする? 円華。僕はやっぱり、警察に届けるべきだと思うけど」
「その必要はないわ、父さん。もう終わったことよ。なんともなかったのだから、私はこれで構わないわ」
「また、繰り返されるかもしれないぞ?」
ちらり、と姉ちゃんが王子を見た。そして、やはり首を振る。
「巻き込まれないように気をつけます」
「しかし……」
なおも迷うような素振りをする父さんに対して、王子が考え込むようにした。
「――同じようなことが起こらないよう、僕も考えます。それに……、たぶん、犯人の家は父になんらかの制裁を受けると思いますし。今回のようなことは二度とできない、と思います」
父さんは厳しい表情で、首を振った。
「甘いよ。ああいう人種は何度でもやる、と思っておいた方がいい。もし制裁を受けるなら、逆恨みの報復もあり得る」
「それも含めて、予測し、対処します」
「予測と対処、ね……」
父さんは大きく息を吐いた。頭を抱えるように考え込んでいたが、諦めたのか、自分の髪をくしゃくしゃとかき混ぜて、もう一度だけふう、と息を吐いた。
「二人がそう言うなら、今回は見送る。ただし、今後もこんなことがあるようなら僕にも考えがある。なんなら北大路の家に乗り込んで暴れるぞ」
「と、父さん!?」
驚いて、俺と姉ちゃんは同時に声を上げてしまった。
暴れるって、何!?
父さんは渋い顔をして、重々しく頷く。
「当たり前だ。世界一可愛いうちの娘に何かあったら、どうしてくれる」
……親バカだとは常々思ってはいたけど、父さんのまた新たな一面を見てしまった気がする……。
「ということで、君。この菓子折りは受け取れない。持って帰りなさい」
えええ!?
遠州野だよ!?
きっと、美味しいのに!?
いいんじゃない? それはもらっておいても……?
「そういうわけには……」
固辞する王子だが、父さんも意地になっているのか、受け取らない。
「とにかく、僕には受け取る理由がない。それでも娘に迷惑をかけた、と君が思うなら、円華と交渉しなさい」
ぐい、と押し出された姉ちゃんは明らかに狼狽した顔をしている。
「えええ、父さん?」
「とにかく。僕の話は終わった。あとは二人で話しなさい」
「うっ……」
仕方なく、という風情で王子に向き直った姉ちゃんだが、さすがの食いしん坊も父さんがああいう態度である以上、菓子折りを受け取れないらしい。
いや、そこ。受け取っとけば!? それで収まるんでしょ!?
食べたいよ、遠州屋!
埒があかない問答が続き、諦めたように姉ちゃんが息を吐いた。
お、受け取るか!?
「……わかりました。こちらにも多少なりとも非がないとは言えないですし、あなたには助けてもいただきましたから、これは受け取れません。ですが、もし何かしたい、ということならこちらで何かお食事をなさっていってください。仕事中にお店にご迷惑をかけたのですから、それで良しとしませんか? お店の売上が上がるので、私も助かります」
王子はやっと納得したように紙袋を引き寄せた。
おう、受け取らないのか、遠州屋……。
残念がってる俺をよそに、話は終わったようだ。
恐る恐る、という風に蛍ちゃんが顔を出した。
「あの……、円華ちゃん? お話、終わった? 良かったら何か運ぼうか……?」
「蛍ちゃんごめんね。僕らはお暇するから。彼の注文聞いてあげて?」
言われた蛍ちゃんが頷いて伝票を取り出す。
立ち上がった父さんに促されて、俺も泣く泣く遠州屋に別れを告げた。
家に帰ると、俺の置いていったメモを握りしめた母さんが今にも家を出ようとするところだった。どうやら店に電話を入れて、おばさんから父さんたちのただならぬ様子を聞かされて、慌てて家を出ようとしていたらしい。
何があったか事情を話すと、母さんはわっと泣き出した。
「ど、どうして円華は何も言ってくれないの……!」
母さんを抱きしめて、父さんはそれを宥めていた。
「私、円華に会ってくる……!」
「うん、でも、もうすぐバイトも終わって帰ってくるよ。それまで待ってよう。何度も押しかけたら、『ちよ』にも迷惑だし」
「ずるい、航くん……! 航くんはもう会ってきたのに!?」
「いや、うん、ごめん。でも、円華無事だし。今日も元気に朝起きてきてたろ? バイトも問題なくやってたよ?」
「でも……!」
「はいはい、澪さん、そうだね。明日も仕事だろ? とりあえず、ご飯食べて、お風呂入っておいで?」
「うぅ……、ひどい……」
「はいはいはい。一緒に入る?」
「は、入らないわよ!」
子どもの前でイチャイチャするの、やめてほしい……。
一応、思春期の息子の前ですよ……? 親のそういうの、見たくないよ?
ねえ、少しは考慮して?
母さんがずいぶん落ち込んでいたから、姉ちゃんに帰ってきたら謝らせよう。
今回は姉ちゃんのせいばかりとは言えないが、こういうの、俺たちは消耗するんだ。春休みのこと思い出して。
心配ばかりさせるの、やめてほしいよ、本当。
ちょっと母さんが気の毒になった。
でも――まあ、無事で良かった。
後日、聞いたところによると、王子は定期的に『ちよ』でお好み焼きを食べていくようになったらしい。
なんだかんだ言って、真面目で律儀な人、という印象だ。
それとも、お好み焼きが気に入ったのかな?
お金持ちの人の考えることはよくわからない。
ただ、この一件で、姉ちゃんの王子アレルギーが少しだけよくなったらしいことはわかった。
長かったですが、これで三章は終わりです。
やっと夏に入れます……。
次話に三章の登場人物紹介を入れます。




