〈閑話〉凌久、SOS!(1)
凌久視点です。宿泊研修、その後の話。
四月の終わり、宿泊研修という名の学校行事から帰ってきた姉ちゃんは得意げに青紫色をしたグラスを俺に見せてきた。
体験プログラムとやらで吹きガラス体験をやってきたんだって。
普通のグラスと比べると飲み口はぶ厚く、形も不格好だった。
――飲みにくそうだな、と思ったが姉ちゃんは気に入っているらしい。
「……完成度じゃないの。作ったことに意味があるのだから」
そう言うと、姉ちゃんは大切そうにそれを食器棚にしまっていた。
まあ、本人が満足ならそれでいいか、と夕飯の時にそれに麦茶をついで出してやった。姉ちゃんはそれを持ち上げて嬉しそうに微笑んでいた。
◇◇◇
翌日は、五月一日だった。
世間はゴールデンウィークで何連休、などと言われてもいるが、俺の学校はカレンダー通り。平日だから通常通り授業があった。姉ちゃんは宿泊研修が祝日を使って行われたので振替休日だそうだ。夕方からアルバイトへ行っているはずだ。
学校帰りにスーパーへ寄り、買い物をして家へ帰る途中だった。
曲がり角を曲がればアパートにつく、というところでのろのろと路上に停車する黒塗りの高級車を見つけた。
あれ? と思って、首を傾げる。
前にも似たような車を見たことがある気がする。記憶を呼び覚ますと、姉ちゃんが王子とのバトルに勝った日の夜だと思い出した。
妖精じみた美人が、眠りこけている姉ちゃんを送ってきた日だ。
あの人の乗っていた車に似ている。
残念ながら俺は車にあまり興味がないから車種までは覚えていないけど、とにかく金持ちが乗りそうな高級車であったことは間違いない。
もしかして、またあの人だろうか、とそわそわして車の方を気にしながら、その横を通り過ぎようとした。
ちら、と見た後部座席には女性は乗っていないようだったから、ちょっとがっかりした。
「……君、すまないが」
「はい?」
そのまま通り過ぎようとしたら急に後部座席の窓が開き、俺より少し年上に見える男性が話しかけてきた。たぶん、高校生くらいで、びっくりするほどのイケメンだった。
久遠さんのおかげでイケメンは見慣れたと思っていたけど、これはまた別のタイプのイケメンだ、と思う。久遠さんは常に一歩引いたようなところがあるから、いかにも従者っぽいけど、こちらの人には黙っていても圧倒的な威圧感がある。王子って感じかな。
――まさかねぇ……。
「このあたりに紫野さんという家があるはずなんだが」
「……はい?」
俺は思わず、ぽかんとその人を見る。
姉ちゃんと同じ年頃で、どう見ても金持ちそうな人がうちを捜しているらしい――どう考えても、姉ちゃん関係だろう。
「ああ、いや。知らないのならいい。すまなかった」
「あ、いえ。うちです」
俺ははっとする。
思わず答えてしまったが。……果たしてこの人はうちに上げていい種類の人なのか。
でも言ってしまった以上、やっぱり知りません、とも言えない。
「うちが紫野です。――どういうご用件でしょうか」
「ご家族はご在宅だろうか?」
「父は帰ってきているかもしれませんけど……。どちら様ですか?」
父さんは四月が終わり、新年度頭のばたばたも落ち着いてきたらしい。
そういえば今朝、今日は早く帰れるようなことを言っていた気がする。
ちなみに母さんは安定の残業だ。
「ここで降りる。適当にそのあたりを流していてくれ。終わったら連絡するから」
運転手にそう告げると、イケメンが車を降りてきた。
「――北大路と言う。ご家族にお会いしたい」
「北、おおじ……さん?」
俺は、その名をどこかで聞いていた気がして必死に思い出す。
――おおじ……、おお、王子か!? やっぱり!
SOS! SOSだよ、久遠さん!
なんで王子がうちに来るのさ!?
姉ちゃん、なんかやらかしたのか!?
久遠さんにSOSしたくても、俺は携帯電話なんか持ってない。
流れでとりあえずうちに案内して、居間に通しちゃったから、その人の前で久遠さんに電話するわけにも行かない。
どうしよう……。
家にはまだ誰も帰ってきていなかった。
「粗茶ですが……」
正真正銘の粗茶をクリストフォロスのお金持ちに出すのはいいんだろうか。
うちにあるお茶なんか、粗茶としか言えないよ。
おおお、知らないイケメンがうちの卓袱台の前に座っている違和感、半端ないな。
「お構いなく」
「はあ……」
イケメンは静かな佇まいながら、明らかに物珍しそうに居間を見渡している。
そ、そうだよね。お金持ちには珍しいよね、きっと……。
とりあえずお盆を持って台所に引っ込んだが、ど、どうしよう。
俺が話を聞くべきなのか!?
「ただいまー」
その時、玄関が開く音がして、見事なまでに間延びした父さんの声が聞こえた。
ジャストタイミング!
「と、父さん……!」
「凌久? どうした? そんな慌てて……」
「お客さん……!」
「お客?」
慌てて出迎えた俺を父さんが訝しげに見て首を傾げるので、とにかく俺は居間に連れて行った。
「どちら様ですか?」
居間に入った父さんが問いかけると、イケメン王子はすっと立ち上がって綺麗に一礼した。
「留守中に失礼いたしました。北大路鷹雅と申します」
「北大路……?」
「本日はお嬢さんの件でお詫びに伺いました」
「詫び……?」
ふと、父さんの表情が厳しくなった。
「お嬢さん、って円華のことだろうか?」
「はい」
「詫びって、君、詫びるような何かをうちの娘にしたのか?」
王子は黙って頷き、紙袋から菓子折りを出した。
おお? あれは高級和菓子、『遠州屋』の紙袋ではなかろうか!?
うちなんかじゃ、いただきものでない限り、滅多に口にできない類の菓子だ。
「――僕のせいでご迷惑をおかけしました」
王子がすっと膝をついて畳に手をついた。
そのまま一礼する。
父さんが厳しい表情のまま、その前にどかりと座った。
「聞き捨てならないな。何をしたんだ?」
おそらく、宿泊研修で何かあったんだ。
でも、姉ちゃん、特に変わったところもなかったけどな。
姉ちゃんは気にしてないんじゃないか?
「事と次第によってはそんな菓子折りでは納得しないよ。話してもらおうか」
父さんがスーツの上着を脱いで、ネクタイを緩めた。
おお、普段いるかいないかわからない穏やかな父さんが戦闘態勢だ……!
うん、でも菓子折りはもらっておいてもいいんじゃない? せっかくだし。
対する王子は頭を上げると、少しだけ迷うように視線を動かした。
「内容に関しては……、お嬢さんの許可を得てからでないと話せません」
父さんの雰囲気がピリッとした。
おお……? これはもしや、結構怒ってる……?
久遠さん……! ねえ、一体何があったのさ!? 助けて!?
「……おかしな話じゃないか。円華の意志に反してここにいるのか? 円華が話せないようなことを君はしたのか?」
父さんがひんやりと皮肉げに笑った。
――と、父さんって、こんな顔する人だった?
そして、ひんやり笑って驚くようなことを静かに言った。
「じゃあ、僕は君を殴って構わないだろうか?」
「ととと、父さん!?」
そのまま父さんは王子の胸ぐらを掴んだ。
ねえ、急展開すぎない!?
「構いません。どうぞ」
どうぞじゃないよ! 何したんだよ、王子!?
「ややや、やめて! 暴力はだめだよ父さん! と、とりあえず姉ちゃんに事情を聞こう! お願い!」
父さんが振り上げた腕に慌てて掴まるようにぶら下がって必死に止める。
父さんがギロリ、と俺を見て、動きを止めた。
怖いよ!
父さんってこんなキャラだった!?
「――確かにそうだな。とりあえず、円華に事情を聞こう。殴るのはそれからだな」
「だから、殴っちゃだめだって!」
ふー、と大きく息を吐いて父さんが手を降ろす。
「円華は今バイト中だ。仕事終わりまで待ってられない。店までついてきてもらおうか」
「はい」
素直に王子が頷くけど、いいのか!?
あの店連れてって!?
お、俺には判断できないよ!?
二人を止めることもできず、立ち上がる二人を俺はただ見つめるだけだった。
――と、とりあえず、追いかけよう。
母さんが帰ってきたときのために『ちよへ父さんと行ってきます』とだけ書いた書き置きを残し、さっさと出て行く二人を戸締まりしてから追った。




