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お嬢様は平穏無事な日常をお望みです  作者:
第三章 一年生 春
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〈閑話〉桜の姫、詰問する


 宿泊研修から戻ったその日の夜、姫宮桜子は北大路家のホームパーティーに招かれていた。

 正直言うと、旅行から帰ったその夜は自宅でゆっくりしたかった。北大路家も同じ日程で息子が宿泊研修に行っていたのだから、少しは考慮してくれてもいいのでは、とも思うが致し方ない。鷹雅の父という人は自身が海外出張から戻った直後であっても、少しの時間さえあれば予定をねじ込むような多忙な人で、仕事でもないただの学生の学校行事など何事だとも思ってはいないのだろう。

 まあ、確かに海外出張と比べられてしまえば遊びのようなものだ。


 夕方に自宅に戻ったあと、身支度を整えて両親と共に北大路家へ向かった。


 両家の親睦を図るのが大きな目的のはずだが、それにしては招待客が多様だった。主に北大路家の親戚筋、会社関係者と、姫宮家の仕事関係者であるから一種の異業種交流会の様相を呈している。


 ホームパーティーの『ホーム』の定義とは、と桜子などは思ってしまうが、北大路の家で行っているのだから、『ホーム』には違いないのだろう。それだけの招待客を招いて有り余る広さなのだから仕方がない。


 ひと通りの挨拶を済ませ、大人たちが酒を片手に談笑し始めると、桜子は鷹雅にそっと声をかけた。


「鷹雅様。お庭を案内してくださらない?」

「ああ」


 頷いて当たり前のようにエスコートの手を差し出され、それに自らの手を重ねる。そのまま近づいて、するり、と腕に軽く手をかけた。

 ――いつもの、こと。


 その触れ合いに、お互いなんとも思わないくらいの年月は経っている。


 お互いの両親に声をかけ、北大路家の立派な庭に出た。


 個人宅だというのに、仄かにライトアップされている。

 北大路には日本庭園と、洋風庭園があるが、今日は洋館の方でパーティーだったので、広々とした英国風の庭園に案内された。

 まるでどこかのホテルの庭であるかのように、洒落たベンチもある。


 案内してくれ、とは言ったが、特に庭を見たいわけではなかった。この庭にしても幾度となく訪れている。二人きりになるための口実に過ぎない。


 鷹雅もそれを承知しているのか、ことさらに散策することもなく、ベンチを促して座った。


「……良い季節になりましたね」

「そうだな」


 春薔薇の満開にはもう少し時期を待たねばならないだろうが、それでも大輪の薔薇がいくつも咲き始めており、強い芳香がする。桜子は北大路の日本庭園にある桜の木も素晴らしいと思ったが、こちらの薔薇の庭も素敵だと思っている。

 日本庭園の方の桜が満開の頃は花見にも招かれるが、樹齢七十年近いソメイヨシノの老木は大きな枝が枝垂れるように垂れ下がり、夜に見ると怖いくらいだった。


 桜と違って薔薇は香りが強くて、夜の姿はぼんやりながら昼間よりも更に不思議と甘く薫るので、妙な存在感がある。


「……何か、話があるんだろう?」


 薫る薔薇にぼんやりと目をやったまま黙っている桜子に、鷹雅もまた庭を眺めながら問いかけてくる。

 

「……今日は蝶子様はいらっしゃらないのですね」


 桜子は艶やかな桜色の唇に微笑を乗せて、何気ない風に訊いた。


小津地おづちは今日は呼ばれていない」

「そうですか」


 桜子は微笑んで、鷹雅に目を向ける。美しい笑顔だが、鷹雅は僅かに眉を寄せた。


「……何か、怒っているのか?」

「あら。お気づきでしたか」


 桜子の微笑は妖艶、とまで取れるほど深くなる。


「……宿泊研修で何があったか、私聞いておりましてよ」

「鈴木……、が話すわけないな。譲、か」


 鷹雅は「余計なことを」と小さく呟く。


「久遠様のお気遣いですのよ。――余計なところから変に耳にする前に、とおっしゃっていました」

「あいつ……」


 鷹雅は視線を外して、もう一度溜め息を吐いた。


「――なら、わかってるんだろう? たいしたことはなかった。騒ぐほどのことではない」


 とうとう桜子は貼り付けた笑顔を剥がして、鷹雅を睨んだ。


「たいしたことないわけがないでしょう。私の『妹』を巻き込んだのですよ、あなた。子どもが同級生を教室に閉じ込めたのとはわけが違うのですよ。大人が車を使って女子高生を攫ったのです。警察に言うべきです。北大路の方々は何をなさっているの? おじ様はご存知なくて?」

「鈴木が報告しているから、たぶん父の耳にも入っているだろうが……」

「なら、なおさら! あなたは慣れてしまっているのでしょうけれど、これは犯罪ですよ! おかしいではありませんか。紫野様のお宅には謝罪に伺ったのですか?」


 鷹雅は首を振った。

 円華からは両親を心配させたくないから、知らせないでくれと頼まれていた。

 大事おおごとにしないでほしいと。

 

 ――鷹雅の父は体面を気にする人だ。円華に大きな怪我もなく、鷹雅も無事に戻ってきたのだから事態を有耶無耶にしてしまいたい、という考えがあるのだろう。

 それに北大路の分家筋のしでかしたことだ。世間に知られでもしたら醜聞になる。円華が気にしないと言っているのだから、それ以上紫野家に何か謝罪をする必要はないと思っているに違いない。


「……あなた、きちんと紫野家に謝罪なさってください。それが道理というものです」


 震えるような指先を、桜子はきゅっと握りしめる。鷹雅を真っ直ぐに見て、冷ややかな声でそう言った。


「ああ……、そうする」


 頷いた鷹雅に、桜子は少しだけ息を吐いた。


 口に出した憤りは本心であった。

 円華が心配だったし、北大路の人間をひどいと思うのは真実だ。

 震えるほどの憤りを感じつつ、決して口に出せない胸にわだかまるもうひとつの感情があった。

 その感情に、困惑さえする。

 もやもやとして、決して晴れない澱みのような。


 ――この人は。


 この人は、気づかないのだろう。思いもしないのだろう。

 鷹雅と円華の間に何があったのか、……二人きりで危険な目にあったことでどんな交流が生まれてしまったのか、桜子が二人の仲を疑うだなんてことを。


 気にもしないのだ。桜子が嫉妬するかもしれない、だなんて思いもしない。


 ――わかっている。桜子にしても誤解するつもりなどない。疑うこともしない。


 だって、これは『契約』にすぎないから。

 許婚、なんてただの契約だ。激しい恋情なんて、お互いに有りはしない。

 はず、なのだ。


「いえ……、申し訳ありません。被害者であるあなたに謝罪しろ、と申し上げるのもおかしなものでしたね。謝罪すべきは蝶子様を野放しにされている小津地のお宅ですもの」

「いや。……巻き込んだ、という意味では俺にも責任はある」

「いいえ。責められるべきはあなたではありません――八つ当たりでした。あなたも被害者でしたのに」


 きちんと責任を取るのは、小津地と、それを野放しにしている北大路家の大人たちのはずだ。


 鷹雅は桜子の謝罪に対してはただ、首を振るだけだった。

 桜子は知らないが、鷹雅の父は利益しか考えない人だった。そこに害しかないと判断されたのなら、小津地など簡単に切り捨てる。残しているのなら、何か利用価値があるとの判断なのだろう。

 しかし、ホームパーティーから既に除外されているのなら、いずれ排除されるのかもしれない。鷹雅にはそう想像するしかなかった。

 

 しばらく無言で薔薇を眺めていた桜子が、ふいに言った。


「……これ。どうぞ」


 桜子はハンドバッグから掌に収まるようなリボンをかけた小さな箱を取り出して、鷹雅の胸に押し付けるように渡した。


「お土産ですわ。宿泊研修の」

「……ああ」


 開けていいか、という鷹雅に頷く。

 青い、ガラスのペーパーウェイトだった。深い海のような色をした、楕円形のシンプルな形だった。

 

「二日目に自由時間があって。班の子たちと駅のあたりまでウィンドウショッピングに行ったのです。――身につけるものでは重いでしょう。それなら机の中にでも転がしておけるでしょう?」


 鷹雅はくすり、と笑ったようだった。月の光にその小さなガラスを翳す。


「物理的にはそこそこの重さだ」

「……それほどでもなくってよ?」

「そうだな。――使わせてもらう」


 桜子が立ち上がった。

 話は終わった。そろそろ戻った方がいい。

 歩き出した桜子の手を鷹雅が掴んだ。

 振り返ると、スーツの内ポケットからカードサイズの包みを出した。


「……渡すタイミングがなかった。俺も、土産だ」


 包装紙で包んだだけの薄いものだ。


「開けても?」

「ああ。……気に入るか、わからないが」


 包みを開けると、和紙でできたメッセージカードが出てきた。カードには何も書かれていないから、それ自体が贈り物なのだとわかる。

 花が漉き込まれた手漉きの和紙でできたそれは明らかに素人の手だとわかる。


「桜……?」


 柔らかな質感の和紙に、桜の花の押し花が漉き込まれていた。


「宿泊研修の体験プログラムが手漉き和紙だったんだ。材料に桜の押し花があって」

「そう……。綺麗、ですね」

「下手で申し訳ないが」

「いえ。……ありがとうございます」


 桜色の唇が綻ぶ。今日のパーティーに来て、初めて見せた本当の笑顔だった。

 桜子はハンドバッグにそっとそれをしまった。


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