〈閑話〉譲、奮闘する
指示された場所まで行くと、北大路の黒塗りの車が待っていた。
譲が走り寄れば、中から中年のスーツの男が現れる。中肉中背、これといった特徴という特徴が見つからない、どこにでもいそうなサラリーマン風の男性だ。眼鏡をかけていて表情は読み取りづらい。
ただ、この男がどこにでもいる中年男性とはだいぶ違うことを譲はよく知っていた。
「――鈴木さん。早かったですね」
鈴木は後部座席のドアを開けた。
「付近におりましたから。――どうぞ、乗ってください、久遠さん」
譲は頷いて、車に乗り込んだ。続いて隣に鈴木も乗り込む。
「鷹雅様が攫われた、という証拠は」
乗るなり、鈴木が単刀直入に尋ねてくる。
譲は答えの代わりに鷹雅のスマートフォンに録音されていた音声を再生させた。鷹雅が攫われた時の音声が流れる。
それには犯人らしき人物たちの声と、円華のものらしき受け答えが雑音混じりではあるが、聞き取れた。――明らかに誘拐である。
スマートフォンを捨てられたであろうところまで再生させて、止める。
スリープ状態にしたそれを鈴木に渡した。
「身の代金の要求は来ているんですか?」
「いえ、まだ。ですから、北大路でも今回のことは気づいていませんでした。私たちと離れているから、狙われたのだと」
スモークの貼られた車の後部座席にはノートパソコンが置かれていた。
鈴木は、それを開いて譲に見せた。
「……GPS?」
この周辺地図が表示された画面に、点滅する円があった。
「ええ。鷹雅様の靴に仕込んであります。――それほど精度の高いものではありませんが」
譲は僅かに眉を顰めた。
「鷹雅は承知なんですか?」
鈴木は一切表情を変えない。
「お教えしたことはありませんが、まあ、ご存知でしょう。今回のようなことがなければ、頻繁に確認する予定のものではありません。万が一に備えて、という程度のものです。プライバシーを侵害することが目的ではありません」
目的はどうあれ、その行為自体に問題あるのだ、と譲は思うが指摘はしなかった。
――それぐらいはしているだろう、という予想はしていたのだ。今回ばかりは助かる。譲はとりあえず今はそれを非難する立場になかった。
「この辺りにいらっしゃるはずです。――靴を脱がされていなければ、ですが」
位置は、敷地の僅かに外、プライベートビーチの近くだった。ほぼ海だ。
靴が捨てられた、という可能性も高い。
「海……、ですよね。潜めるような場所がありますか?」
「わかりません。住宅、のようなものは確認できません。とりあえず近くまでは行ってみましょう」
運転手に指示し、とにかくもそちらへ向かう。
その間も鈴木はいろいろな場所と連絡を取っているようだった。
「久遠さん。一緒に攫われた女子生徒、というのは……」
「紫野円華。僕のクラスメイトです」
鈴木が今回初めて、ピクリと表情を動かしたように見えた。
「紫野……、まさか、紫善の縁者ですか? 同級生にいらっしゃるという情報は得ていませんでした。狙われたのはそちらのお嬢さんでは」
この人が感情らしきものを見せるのは珍しい。やはり、相当動揺しているのかもしれない、と譲は思った。
「名字が同じだけだと思います。自宅を見た限りは縁者、という感じではありませんでした。父親は市役所勤務の公務員です。……そちらこそ、何か情報を得ていないのですか? 先ほどの音声を聞けばわかるでしょう。彼女は鷹雅のとばっちりですよ。何かあったらどう責任を取るおつもりですか」
つい、きつい口調になってしまう。
しかし、鈴木はそれには何も答えない。……答える気がないのだ。
鈴木は黙り、僅かに窓外を見た。
「あなたが感情的になるのは珍しいですね」
ただ、そうとだけ言った。
それをそっくりそのまま返してやりたい、と思うがお互い様だった。
なんとも言えない苛立ちを抱えたままの譲の前で鈴木は、新たにかかってきた電話にワンコールで出る。
「……了解した」
「なんです?」
短いやりとりで電話を切った鈴木に、譲が問う。
一瞬の間が鈴木にある。それから、パソコンを操作した。
画面に、粗い画像が映る。
「……防犯カメラの映像を入手しました」
「学院に伝えたのですか?」
「いいえ。保養施設側に直接、詳細は伏せて交渉しました」
「そんなに簡単に開示してもらえるものですか?」
「防犯システム関係は北大路のものですから、やりようはいくらでもあります」
「ああ……」
北大路のグループ企業に防犯システムを扱う会社があったことを譲は思い出す。
確か、クリストフォロスの防犯システムもそちらの会社が担っているはずだ。
「内密に、画像を送らせました。恐らく鷹雅様を乗せたと思われる車のナンバーから持ち主が割り出せました」
「誰か、わかったんですか? ――やはり、北大路の関係ですか?」
「えぇ。――幸か不幸か」
譲は画像を見る。といっても、譲にはそれだけではわからない。
ただ、鈴木の口振りから予想はできた。
「……小津地、じゃないんですか?」
鈴木は僅かに息を吐いた。
本当に、気づかれないくらいの僅かな。
「……そうなんですね」
「――他言無用に願います。こちらですべて処理いたします」
「警察には……」
言いかけた譲を、鈴木は首を振って制した。
「GPSは先ほどからほとんど動きがありません。衛星写真で、同じ場所に不自然な煙が補足されました」
「煙?」
リアルタイムの衛星写真なんて、そんなものまで北大路は入手できるのだろうか、と譲は不審な気持ちを抱く。しかし鈴木はそのまま続ける。
「この辺りにいると思われる人のSNSの投稿で、いくつか同じような煙が写った写真も確認できました。携帯電話を取り上げられたのなら、何かの合図かもしれません」
「狼煙……? いや、今どき?」
首を傾げる譲に、さすがに鈴木も本気ではなさそうだった。しかし、犯人が何かしているのかもしれない。確かめることに異論はなかった。
鈴木はさらにどこかと連絡を取り合っている。
短い通話を終えると、車が一時停止した。
「降りましょう。位置的にはこの付近です。……車は、すぐ近くまで医師が来ているので、ピックアップさせに行かせます」
車は一度、保養所の入口まで北大路の医師を迎えに行った。
譲と鈴木は木立を抜け、海の方角へ向かう。
すると、開けた場所に出た。
ちょっとした崖になっており、下は海だ。
目を巡らせると、少し離れたところに、崖下を覗き込んでいる人物が見える。
「鷹雅様……!」
鈴木が思わず声を出す。遠目からでも先に見つけたのは年の功、とでもいうものだろうか。
拍子抜けするくらい、あっさり見つかった、と譲は思った。
しかし、崖とは――。
王子と円華の組み合わせに、崖とは縁起が悪い。
見渡しても、屈み込む鷹雅の姿しかない。
譲は嫌な胸騒ぎで、とにかく駆け寄った。
「鷹雅!」
鷹雅が近づいた二人を認めて、ああ、と小さく声を上げた。
「君、ひとりか? 紫野くんは」
「下、だ」
「何!?」
「崖下から上がってきたんだ。今、登ってる」
慌てて、譲が崖下を覗き込んだ。
その時、ほとんど登り終えていた円華が足を滑らせるのと同時だった。
崖にかかろうとしていた手が空を切る。
――譲はそれを、まるでスローモーションのようだ、と思った。
ここで。
こんなところで、落としてなるものか。
咄嗟に両手を伸ばす。
鷹雅も同時に伸ばしていた。
――届け……!
願いはその腕を掴んだことで、叶えられる。
今度、こそ。
「君、落としたら一生恨んでやるからな……!」
横の鷹雅に、思わず言ってしまう。
鷹雅が譲をちら、と見て、すぐに崖下に視線を戻す。
「……落とすかよ」
「一緒に攫われただけでも、許し難いから、な……!」
「……悪かった」
それからはとにかく必死だった。円華が落ちないかはらはらしながら、指示をして、登り切った円華を二人で引き上げる。
そのまま、鷹雅から奪って思わず抱きしめた。
鷹雅も鈴木もいるが、構うものか、と思った。
「良かった……無事で」
安堵して、囁く。
腕の中に確かに円華がいた。
――なぜ、あのとき、こうしなかったのだろう。
ヴァイオレットが追い詰められたとき、なぜ、そばにいれなかったのだろう。
――どこにいたって、迎えにいったのに。
手を掴んで、抱きしめれば良かった。
今、こうしているように。
やっと、体を離してその頬に触れる。
すべてが、無事なのか確かめたくなる。
こちらは心配で心配で仕方ないのに、円華はそんなことを気にもかけないでにこりと笑った。
「――来てくれると、思っていたわ」
譲が迎えに来ない、などということは微塵も疑っていないかのような確信に満ちた言葉。
譲は、その言葉だけで、もう充分だ、と思ってしまう。
「当たり前でしょう。誰だと思っているんですか。どこにだって捜しに行くし、どこにいたって迎えに来ますよ」
わざと怒った口調でそう伝えた。
――そう、今度こそ。
「えぇ……、そうね」
円華は耳元でそう囁いた。当然だ、とでもいうように自然に。
譲はやっと、深く安堵して大きく息を吐いた。
円華と鷹雅を医師が順番に診察する間、譲は犯人についての話を鈴木に尋ねる。
二人から聞いた限りではずいぶんと杜撰な計画のように思う。杜撰、というより幼稚、とでもいう方が正確かもしれない。
「……どういう目的なんですか。小津地なら、金、ではないですよね。実際、身の代金も要求されなかったのでしょう?」
小津地は、北大路の分家筋にあたる。傘下のグループ企業をいくつか抱えており、経営状態は悪くないはずだ。当然、金には困っていない。
金以外の目的で誘拐、などという非効率的な犯罪に手をかける理由が判然としなかった。本気で鷹雅の命を狙った、とは考え難い。
あそこに放置した場合、最悪死に至る可能性がないではなかったが、どうやら深く考えていないものの犯行のように思えた。
鈴木は僅かに黙ったあと、本当にわからないくらい小さく息を吐いたようだった。
「……嫌がらせ、と言えば説明がつくのでしょうかね。醜聞、が一番の目的でしょう」
「醜聞?」
「学外活動の最中に『女子生徒と姿を消す』というスキャンダルを学院及び一族内に流すためです。……おそらくは」
「……そんなことが醜聞なんかになるんですか?」
小学生の噂話か、と譲は困惑する。
しかし鈴木は頷いた。
「なる、かもしれませんね。鷹雅様はあまりに完璧なので付け入る隙がないのです。――そして、北大路はどんな些細なことでも眉を顰める輩が多いのです。……あるいは、姫宮様に不信感を抱かせるだけでも充分なのかもしれません」
「ああ……」
そちらの方があり得るのかも、と譲は納得した。
「……『本来なら、小津地が鷹雅の婚約者として納まるはずだったのに』、ってことですか?」
鈴木はそれには答えず一礼すると、先に車から降りてきた鷹雅に駆け寄って行った。
北大路の経営状態は今、安定している。
鷹雅の婚約者に誰を据えようが今のところは問題ない。つまりは小津地でも構わなかったのだが、今回は外部と縁づかせよう、という判断でしかない。むしろ、小津地に力を持たせすぎないため、かもしれない。
小津地家の――おそらく小津地の令嬢独断のわかりづらい嫌がらせか。自らの溜飲を下げるためだけなのか、あるいは鷹雅に対する度を超えた執着のためなのか。
譲には情報が少なすぎて、判断ができなかった。
「……ただ、こちらを巻き込んだことは看過できませんね」
鈴木には届いていなかったが、譲はそう呟いていた。




