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お嬢様は平穏無事な日常をお望みです  作者:
第三章 一年生 春
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58 お嬢様、無事生還する?


 ――崖。

 崖には、嫌な思い出しかない。

 しかも王子と一緒なんて。


 ……ああ、いや。北大路鷹雅はあの王子ではないし、私を助けようとしてくれているのだ。


 それでも、上を見上げながら、やはり微かな目眩がするような気がした。


 ヴァイオレットが飛び降りた崖に比べればなんてことない高さだったが、これを登るのかと思うと気が遠くなる。


 王子は慎重に足場を確かめながら、岩に手をかけ足を置き、少しずつ上の方へ登っていく。

 半ばあたりと思われるところに、少しスペースがあったのか止まって、縄を下ろしてきた。


「縄の長さがここまでで限界だ。なんとか登れそうだが、君、来れそうか?」


 上から王子の声が降ってくる。

 下からは王子の姿がよく見えない角度になっているが、するすると縄が下りてきた。それを掴んでみて、少し引っ張る。ぐっ、と手応えはあるが、縄の細さはどう見ても頼りない。私の体重がかかったら、簡単に千切れるのではないだろうか。


 後ろ手に縛られていた時は解けないことにいらいらしたのに、今は逆にその脆弱さに心許なさを感じるのは皮肉なことだ。


「やってみます」


 左手首に縄を結びつけ、王子が手をかけたあたりのところに手をかけて登り始めてみる。


 上から王子がどのあたりに足をかけるか、手を置くか、指示してくれる。

 慎重に、足場を確かめながら登る。


 足が、すうすうして、震えが走った。


「下は見るな。少し上のとっかかりだけ見て進め。――君、運動神経悪くないんだろう? 桜子から聞いている。大丈夫だ、俺でも登れたから。場所は指示するから、とにかく上へ行くことだけ考えろ」

「は、はい」


 思いのほか、王子が励ましてくれる。

 王子はたぶん、学年で一、二を争うくらい運動神経が良さそうだ。その人と比べるのはおそらく無謀だ。

 だいたい円華は普段、ろくな運動もしていないのだ。

 大丈夫なわけがない。


 ――会えばわかりますよ。彼は悪い男ではないですから。


 唐突に、そう言っていた譲の言葉を思い出す。


 ――そうね。会っただけじゃ、わからなかったけれど。


 確かに。

 確かに、悪い人じゃ、ない。


「そうだ、もう少し。――手を、伸ばせ」


 王子が手を伸ばして、私の右手を掴んだ。

 そのまま引き上げてくれる。


 二人、なんとか立てる狭いスペースに登って、息をつく。


「よし、縄を貸せ。先に登る。ここからは少し緩やかそうだから、登りやすいと思う。少し休んでてくれ」


 そのまま、ひょいひょいと手をかけて登っていく。

 確かに、ここまでよりは登りやすそうだった。

 どうやら上についたようで、またするすると縄が下がってきた。


「大丈夫か?」

「えぇ」


 上から声をかけてきてくれた王子に答える。


 夕日は既にほとんど沈んでしまっていた。

 どんどんあたりが暗くなっていって、手元も見えにくくなってきていた。

 ただ、見上げた空は藍から朱鷺色の美しいグラデーションとなっていた。

 この、どうしようもない状況と、空は反比例して美しい。

 なんなのだろうか。


 必死に岩を掴み、とっかかりに足をかけて、体を引き上げる。

 逸る気持ちを抑えて慎重に、登っていく。

 確かに先ほどより緩やかだったが、どんどん手元が見えにくくなって、足を滑らせそうになる。

 そのたびに、ひやり、と背筋に冷たいものが走る気がする。


 王子の手が伸ばされる。


 もう少し、と、気が抜けた、のかもしれない。


「あっ……!」


 ずるり、と足が滑って、手が空を掻いた。

 思わず、細い縄にすがる。


 び、と音がして、その縄が千切れそうになるのを見た。


 ――落ちる、と思った。


 思わずぎゅっと、目を閉じた。


 がくん、と体が下に落ちる感覚と、腕に鋭い痛みが走る。

 

 ――落ちて、はいなかった。


 上を見ると、二本の腕が私の腕を掴んでいた。


「そのまま……! 僕の手を掴んで……!」

「譲……!?」


 がしり、と王子と譲が私の腕を掴んでいた。


「落ち着いて……! 右足、すぐそばに岩があるので、足、引っ掛けて!」


 慌てて、右足で探る。足先をかけられそうな場所があった。


「そのまま、左足、もう少し上。そう、そこ、かけて、体上げて! 支えてますから!」


 王子と譲の両手が支えててくれる。

 なんとか両手が崖の上にかかり、両側から二人が引き上げてくれた。

 ずるずると、引っ張り上げられ、そのまま譲に抱きしめられる。

 私の肩あたりに顔を埋めた譲がそっと溜め息を吐いた。


「良かった……、無事で」


 あまりに安堵したような小さな囁きが耳元に響いた。

 隣に目をやると、座り込んで肩で息をしているボロボロの王子がいた。


「譲……、どうして?」

「どうして、じゃないですよ。みんな心配してますよ。あなたが道に迷ったら、僕が捜すに決まっているでしょう」


 ようやく、体を離して譲はそう言った。

 私の頬に触れ、あちこち体に目をやっている。


「大丈夫ですか? 怪我は?」

「えぇ……、大丈夫。ありがとう、譲。迎えに来てくれて。――来てくれる、と思っていたわ」

「当たり前でしょう。誰だと思っているんですか。どこにだって捜しに行くし、どこにいたって迎えに来ますよ」

「えぇ……、そうね」


 譲はやっと安心したのか、はあ、っと大きく息を吐いて、頭を抱え込むように自らの額に手をやる。


「良かった……、鷹雅と一緒にいてくれて。あなたがひとりで迷っていたら、見つけられませんでした」

「ど、どういう意味よ?」

「これからは、迷った、と自覚した時点で動かず待機! いいですね!?」

「は、はい……。すみませんでした……」


 そもそも、私が道を迷ったりしなければ、こんなことにはならなかったのだ。

 私はいたく、反省した。


「さあ、真中くんたちもすごく心配してますから、すぐ戻りましょう。はい、おんぶしてきますから」


 どうぞ、と背を差し出される。

 急に恥ずかしくなって、首を振る。


「い、いいえ。大丈夫よ、歩けるわ」


 しかし、今度は王子が首を振った。


「いいから、甘えておけ。薬品のことも気になる」

「薬品?」


 訝しげに譲が王子を見返す。


「――すまない。さらわれた時に、彼女は何か薬品をかがされたみたいで」

「あの、少しだけですから。たぶん、もう、なんともないですし」


 ぶんぶんと首を振ると、心配そうに譲が私を見る。


「――そちらに、北大路の車が控えてます。医師も派遣してもらいましたから、診てもらいましょう」


 そして、有無を言わせず、背負われて車まで運ばれた。







 軽い問診と診察を受けて、一応大丈夫だろう、と診断してもらえてほっとする。

 やはり、あまり遠くではなかったようで、保養所の敷地のすぐ外だったらしい。

 そのまま、車で宿泊施設まで送ってもらえる。


「教師には、真中くんたちから『体調不良になったので、施設で休んでいる』と伝えてもらっています。――どうしますか、このまま家に帰っても大丈夫ですよ」


 譲に心配そうにそう尋ねられるが、首を振った。

 疲れてはいるが、健康上、問題はなさそうだ。

 あまり大事になっていないのなら、このまま戻りたい。


「とりあえず、部屋でシャワーを浴びて温まってください。食事はあとで部屋に運びますよ」


 まもなく七時になろうとしていた。みんなはキャンプ場の方で、バーベキューを楽しんでいるようで、誰にもすれ違わないまま、部屋まで譲が送ってくれた。


 王子は北大路の家の人たちと話すらしいので、宿泊施設の前で別れた。その時に改めて謝られた。


 まあ、私がいなかったら連れ去られることにはならなかっただろうから、少しは責任も感じる。けれど、私じゃなかったら、チェックポイントにいたクラス委員の子が同じ目にあったかもしれないので、それなら私で良かったのかもしれない。


 ――私には、譲がいたから。


 だから、こうして無事に戻ってこられた。


「――カリソン、美味しかったわ。ありがとう、譲」

「少しはお腹の足しになりましたか?」

「えぇ。さすが『しあわせのお菓子』ね」

「――ご存知でしたか」

「……ちょっと、だけ」


 王子に聞いたことは秘密だった。

 ――抱擁、というのは知らないことにする。……だって、なんだか恥ずかしいもの。


「ゆっくり休んでください」

「えぇ。ありがとう」


 シャワーを浴びて体が温まると、人心地ついた。

 ずいぶん、体が冷えていたのだと、思う。


「円華様! 大丈夫でしたか!? わ、私のせいで……!」


 譲から連絡を受けたのか、真中様たちが取り分けてくれていた夕食を持って、部屋に戻ってきた。


 真中様はもうほとんど泣いている。


「いえ、私こそご心配をかけて申し訳ありませんでした」


 抱きついてきた真中様を受け止めて、その髪をよしよし、と撫でる。


 私は迷子になった上、北大路様と戻る途中で間違ってまた別のところに迷い込み、道を踏み外して崖を滑り落ちて、北大路様を巻き添えにした、という説明が真中様たちにはなされたらしい。……それはそれで恥ずかしいけれど、仕方がない。


 ちなみにあそこにいた関係者以外のクラスメイトや教師には、ウォークラリー中の体調不良で宿泊施設に先に戻った、と説明されているそうだ。


 誘拐された、などと言えば大事になってしまうし、もっと真中様に心配や責任を感じさせてしまう。――これで、良かった。


 犯人に関しては王子に任せよう。

 その上で、警察なりに行く必要があれば、協力するつもりだ。

 とりあえず私は無事だったので、それでいい。


 ――似たようなことがまた繰り返されなければ。


「取り分けておきましたの。どうぞ、食べてください」


 食堂で、温めなおしてくれたようだ。

 バーベキューの肉や野菜は、ほのかに温かく、いい香りがした。


 ぐぅ、とお腹が鳴る。


 ――そう、私はお腹がすいていたのだ。カリソンだけでは満たされてはいない。

 すっかり、ぺこぺこなのだ。


「ありがとうございます。いただきます」


 美味しくいただきました。

 バーベキューって素敵。焼きたてならもっと美味しいのでしょうね。

 今度は絶対参加するわ……!


次話に閑話が入ります。

お嬢様を迎えに行くまで、奮闘した譲の話です。

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