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お嬢様は平穏無事な日常をお望みです  作者:
第三章 一年生 春
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55 お嬢様、攫われる


 車の揺れに任せているうちに、急速に眠気が襲ってきた。


「すみません、おそらく、何か薬品を……」


 そう、王子に告げたと思う。

 王子の返答を何か聞いたような気がするが、はっきりとはわからない。


 ――そのまま、意識を失った。





◇◇◇






 ――どれだけ、意識を失っていたのだろう。


 気づいたのは、自分が不安定に担ぎ上げられてゆらゆらと運ばれている状態だった。咄嗟にパニックに陥って暴れそうになったが、懸命に抑える。悲鳴が漏れそうになるが、呑み込んだ。


 おそらくは男の肩に荷物のように担がれて、運ばれている。

 寝たふりをしながら、様子を窺う。

 目隠しをされたままなので、どれだけ時間が経ったのか、どこへ運ばれているのか、周囲の様子などはまったくわからない。


 ただ、気をつけていると、ウォークラリーのコース内にあった濃厚な緑の香りはせず、代わりに潮の香りと波の音が聞こえる気がした。風を感じるので、屋内ではなく、外だ。

 ――きっと、海のそば、だ。


 宿泊研修の施設は海のそばだった。だから、そう遠くに運ばれたわけではないと思いたかった。


 足元が不安定なのか、私を運ぶ足取りは安定しない。キュッキュッという音もするから、砂浜なのかもしれない。


 宿泊施設のそばにはビーチもあったはずだ。

 だが、ウォークラリーのチェックポイントにもなっていたから人が大勢いるはずだ。誘拐犯がそんな人目につくところを歩いているとは思えない。かといって、プライベートビーチを外れると、それはそれで一般の人の目がある。


 周辺の地図を思い出そうとするが、よく思い出せなかった。

 そもそも、一泊二日の間敷地内から出る予定はなかったし、もともと地図を読むのも苦手だったからはっきり周囲の様子なんて覚えていない。

 ここがどこか、なんて目隠しした状態で想像するには限度があった。


 とりあえず、海に捨てられるのでなければ、どこかの隠れ家につれていかれるはずだ。それまでおとなしくして、様子を窺おう。


 そして、今自分が考えたことにぞっとする。


 ――()()()()()()()()()()


 そうだ。男たちの口ぶりだと、王子を誘拐するのがそもそもの目的のように感じられた。私がいたから捕まったことには変わりないけれど、そもそも私はとばっちりなのではないだろうか、もしかして。


 王子をおとなしくさせるために人質が必要だったのだ。王子だけならいくらでも逃げ出せたはずだ。私は脅しのためにつれてこられたと考えるのが自然だ。 

 

 しかし、では、王子を拘束した今、必要ない私は海にドボン、の可能性も……?

 も、もしや、そのために運ばれているのでは……!?


 思わず体を強ばらせたところで、また周囲の音が変わった。


「……このあたりでいいか」


 おそらく、最初に刃物を持っていたリーダー格の男の声がした。

 足音もそうだが、妙に反響している。


 私を担いでいる男が応えた気配がして、そのまま乱暴に地面に下ろされた。

 瞬間、冷たい水の感触を下に感じて、悲鳴を漏らした。


 ――海……!?


 しかし、溺れるようなことはなく、尻餅をついた足元に水溜まりのようなものがあるだけだったようだ。

 下はゴツゴツとした岩場のようで、ぶつけた掌や体の一部が痛い。


「あんたには悪いが、しばらくここにいてもらう。……運が良ければ、誰か見つけてくれるだろう」


 後ろ手に縛られて不自由な体で、それでも身を捩って起こすと、去っていく気配の男たちに叫んだ。


「ま、待ちなさい! ここはどこなの!?」


 立ち止まる気配はなく、そのまま複数の足音が去っていった。


 ま、まさか、私ひとり置いていかれたのだろうか……!?


「き、北大路様……! いらっしゃいますか……!? 誰か……!」


 うわん、うわん、と自分の声が大きく反響する。

 ひんやりとした空気と、怖いくらいの潮の香り。

 

「……叫ぶな。俺ならここにいる」


 思いのほか、すぐそばで人が身じろぎする気配を感じた。

 動転していて、気づけなかったのだ。

 そっと、近づく気配。座った私の肩に、男性の肩が触れた。


「北大路様……」


 良かった。引き離されたわけではなかったのだ。


「怪我は?」


 言われて、改めて自分の体を確認する。打ちつけて痛いところやおそらく擦り傷のようなひりひりした場所はあるが、折れていたりするような重大な怪我はなさそうだ。


「たぶん、大丈夫です」

「薬品をかがされた、って言っていたが、体調は?」

「あ、はい。口元に当てられた布が何か刺激臭がしたので、おそらくは。――気持ち悪さはありますが、耐えられないほどではありません。……私、寝てました、よね?」

「らしいな。さっきまで話しかけても反応がなかった」


 やはり、車に乗せられていた間は寝てしまっていたのだろう。

 

「どれくらい、走っていましたか?」

「体感だと、たいして遠くには行っていないようだったが……、五分か、十分くらいか。それから少し歩いたな。施設の周辺から離れるほどではないと思うが。――とりあえず、この目隠しを取りたいんだが。君、立てるか?」

「えぇ」


 膝をついて、捩るように立ち上がる。


「顔、近づけるから、目隠しを引っ掛けて下げてくれないか」


 お互い気配しかわからない。

 恐る恐る近づいて、王子の頭とおぼしきところに縛られた手を近づける。

 髪、頭に恐る恐る触れ、王子の指示に従って、目隠ししていた布に指を引っ掛ける。

 目に指が入らないかしら、とかひっかき傷を作らないように、とか心配しつつも、なんとか王子の目隠しをずらすことができたようだ。


「……洞窟、らしいな」


 視界が自由になった王子は、そう呟いた。

 ああ、だから声が反響していたのか。妙に湿った空気の感じにも納得する。


「北大路様。視界が自由になったなら、私のパンツの右ポケット、手が届きますか?」

「ポケット?」

「えぇ」


 今日穿いているのは、ベージュのカーペンターパンツだ。

 カーペンターとはその名の通り大工のことで、もともとはゆったりとしたワークパンツなのだそうだ。大工道具を引っ掛けたりするループやポケットが太股あたりについている。

 そこに入っているものを取り出してもらおうとお願いしているのだ。


「自分じゃ手が届かないので」


 何しろ、後ろで縛られている。

 まだ体を捻れば王子の方が届きそうだ。

 王子が躊躇する雰囲気があった。


「そこに小さなナイフが入っているはずです」

「ナイフ? ……なんでそんな物騒なもの持ってるんだ」

「知人が『キャンプみたいなものなら』と、持たせてくれたんです。――役に立ちましたね」


 服を貸してくれたデザイン科の四人組だ。

 面白半分に折りたたみの小さなナイフを忍ばせてくれたのだ。

 あと、ライターとか。


 ジンさんたちは笑いながら「遭難したら困るでしょ?」と冗談混じりにいろいろ入れてこようとしたけれど、とりあえずあまりかさばらないものだけ入れておいたのだ。すっかり忘れていた。


 ――まさか、誘拐されるとは思ってなかったけれど。


 なるべく体に触れないように苦心してくれているのか、ずいぶん慎重にして、王子が私のポケットからナイフを取り出した。

 後ろ手で難儀しているのか時間がかかったが、どうやら王子の腕の縄は切れたようだ。


 急に目隠しが外され、視界が自由になる。

 不思議と、少し息苦しさが和らいだような気になった。大きく息を吸う。潮の香りが胸いっぱいに入ってきた。視界を隠されていることで、知らず知らずのうちに緊張から呼吸が浅くなっていたようだ。


「縄も切るから、ちょっとじっとしてろ」

「お願いします」


 王子が縄を切ってくれて、やっと手が自由になった。

 ほっと、息を吐く。


「ありがとうございます」

「いや、助かった」


 王子が返してくれたナイフを再びポケットにしまった。

 改めて周囲を見回す。


 王子が言った通り、洞窟のようだった。

 立っても頭がつかえないから、そこそこの大きさがある。入り口に近いところに私たちは放置されていた。奥の方はずっと続いているようだが、暗くなっていてよくは見えない。

 下はゴツゴツとした岩場になっていて、さっき感じた通り、いくつもの水溜まりがある。濡れた手は乾いたが、ベタベタするので海水なのかもしれない。目隠しをされていた時に靴が水溜まりに突っ込んでいたのか、濡れてしまっていた。靴下と、パンツの裾の方が濡れていて、冷たかった。


 外からの光で、お互いの顔は見えた。奥の方ではないことに安堵する。

 見える範囲内に、あの黒ずくめの男たちはいなかった。

 見張りを置いていかなかったのだろうか?


「――外に出られるか見てくる」


 王子が入り口の方にそっと近づいていった。

 中には見張りがいなくても、洞窟の外に誰か潜んでいるかもしれない。

 しばらく外を窺っていた王子が戻ってきて首を振る。


「見張りはいないが、道もない」

「道がない? でも、歩いてきたんですよね?」


 少なくとも、私は担がれてきたはずだ。王子は歩かされた、と言っていたけれど。


「さっき来たときも足が水に浸かっていた。今見たらかなり水位が上がっていそうだ」


 私も慌てて洞窟の外へ見に行ってみる。

 どうやら遠くにビーチがあるが、このあたりは岩場のようだ。


「干潮だと水位が下がって道が現れるのかもしれない。ただ、午後遅い時間になってるから水位が上がってきていて、このまま歩いていくのは危険かもしれない」


 洞窟の入り口付近はすでに水がひたひたと寄せていて、歩いていくのは難しそうだ。

 ただ、水泳をするにはまだ季節が早い。

 容易には逃げられないだろう、ということで見張りも置いていかなかったのかもしれない。


「ここ、水溜まりがありますよね。もしかして水に浸かるんでしょうか?」


 私は気になっていたことを口にする。


「干潮の差は約百四十センチほどだ。今日の満潮は夜八時近いはずだから、あと七十センチは上がる。……早く帰れなければ腰まで浸かるな」

「腰……。溺れることはなさそうですけれど……」

「今の季節、水に浸かり続けたら低体温症で死ぬ確率が高くなるな」

「死……」


 縁起でもないこと、言わないでください。


「それは……、脱出方法を考えねばなりませんね」


 洞窟の外は崖が続いていた。上方向なら登ればいけるだろうか。

 足場がないわけではなさそうだが、ロッククライミングの経験でもないと難しそうだ。


 うーん、と唸ってしまう。


 そこで、ぐぅ、とお腹が鳴った。

 あ、あら、いけない。聞こえたかしら。


「……もう四時だな」


 王子が溜め息を吐くように、腕時計を見てそう呟いた。

 四時……。おやつの時間はとうに過ぎてしまったわ。歩き通しだったし、格闘もしたし、連れ回されてお腹がすいた。本当なら今頃ウォークラリーも終わって美味しいバーベキューの準備に取りかかり始める頃なのに……!


「あ、そうだわ。おやつにしましょう」

「……は?」


 ぽん、と手を叩いた私に、王子が不可解そうな目を向けた。


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