54 お嬢様、格闘する
「え……?」
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
すごい力で服を掴まれた、と思った時には後ろから羽交い締めにされており、口元に何か布が押しつけられていた。
――息を吸ってはいけない……!
掠った香りに反射的に息を止め、羽交い締めにしてくる腕に指をかける。
明らかに男性のもので、力では敵わない。
咄嗟に体を沈め、勢いよく腕を振り上げた。
うまく相手の腕が緩み隙間ができた隙に、自由になった拳をそのまま後ろに振り抜いて急所を攻撃する。
「うっ……!」
そのまま脛に蹴りを入れ、相手が呻いて緩んだ腕から逃れた。
走って道の方に逃れようとしたら、足がもつれた。くらり、と目眩が襲う。
――何か、薬品をかがされた……?
ヴァイオレットは幼い頃から毒物の類、睡眠薬の類などに耐性を持つよう幼い頃から少量ずつ摂取して体を慣らしていた。誘拐や毒殺などに備えるのは、王妃となるものには必須の条件だったのだ。
しかし、円華はそんな訓練などしていないだろう。
つまり、瞬時に体の自由を奪うほどの薬品でなかったのは間違いない。
だが、この世界の薬品には当然詳しくはない。どの程度影響があるのかわからなかった。
転がるように道に逃れた時、目の前に黒ずくめの男の足が見えた。
――仲間がいたのだ。
目の前にギラリ、と光る刃物が見えた。
思わず息を呑んで動きを止める。
「女ひとりに何をやってるんだ」
黒ずくめの男が私の後ろに向かってそう低く言った。
「すまねぇ」
茂みから呻きながら、先ほど私を羽交い締めにした男が現れる。こちらも黒ずくめだった。二人の男はサングラスをしていて顔がよくわからない。
「さあ、坊ちゃん。お友達に無事でいてほしければ、おとなしく言うこと聞いてくれませんかね?」
刃物を持った男が道の向こう側へと声をかけた。
――そうだ。王子は。
見れば近くに二人、黒ずくめの男が倒れている。
少し離れて姿勢を低くし、拳を顔の前でガードするようにして北大路鷹雅が構えるように立っていた。
頭が、くらり、とした。薬品のせいだろうか。
――何、これ。どんな、状況なの……?
王子が私を見て、ゆっくりと構えを解く。
「――呆れたもんだ。大の男二人、あっという間に倒しちまうなんて。でも、もう動けねえだろ? さあ、言う通りにしてくれよ」
どうやら王子の足元に転がっている男たちは王子が倒したようだった。
――彼ひとりなら、逃げられたはずだ。
でも、私がいたから。
王子は頷いて両手を挙げる。
そこへ、先ほど茂みから出てきた男が駆け寄って王子の手を後ろに回し、縄のようなもので拘束する。
そのまま茂みに入るよう指示した。
私も刃物を持った男に促され、後を追う。
茂みに入る前に霞む視界で、道の左右を窺ったが、黒ずくめの男たちのほかに人の姿を見つけることができなかった。ちょうど、ウォークラリーの生徒たちの途切れ目だったようだ。助けを呼ぼうにも誰もいない。
「妙なことを考えるなよ? さっさとそちらへ行け」
刃物を突きつけられて、仕方なくふらつく足で、木立の生い茂る方へ向かった。
下草が生える林の中を、道から外れて見えないところまで連れていかれる。
そこで、王子と並んで立たされた。
男のひとりは道へ仲間を回収に行くようだ。
刃物をちらつかせている男に、携帯電話を出すよう言われる。
王子が素直にポケットを示して、自分の分を差し出している。
「お前は」
男が私に向かって手を出した。
「持ってないわ」
首を振れば、男が苛立ったように刃物を突きつける。
「持ってないわけないだろう」
「本当よ。持っていないの」
男が舌打ちして何か言い募ろうとした時、仲間を抱えたもうひとりの男が戻ってきながら焦ったように声をかけてくる。
「兄貴、人が来る……! 早く移動した方がいい……!」
「チッ……! おい、荷物を渡せ!」
リュックを渡すよう言われ、私はリュックを降ろして手渡した。
すると、王子の携帯電話と一緒に下生えの生い茂る木の陰に隠すように置いた。
「歩け……! 早く……!」
刃物を持った男たちに追い立てられるように、さらに林の奥へと向かわされた。
どうやら目覚めたらしい、王子に倒された二人がお互いを支え合いながら後ろをついてくる。
しばらく歩いたあと、目隠しをされ、私も両手を後ろ手に縛られる。
そのままさらに歩かされ、足が草ではなく、固い地面を踏んだ。どこかの道か広場に出たのだ。
車のドアを開ける音がして、車に押し込まれる。王子と詰め込まれるように座席に座らされて、ドアが閉まる音を聞いた。
体の下で振動を感じる。エンジン音と、その振動だ。
思う間もなく、ドアの閉まる音が続く。
そのまま、座席にグン、と押し付けられるような感覚があり、車が急発進したのだと気づいた。
「北大路様……?」
小さく呼べば、王子もすぐそばで囁くように答える。
「ああ、ここにいる」
その落ち着いた声を聞いて、なぜだか少し安心した。
「あの、これってもしかしなくても、誘拐……、ですよね……?」
私が囁けば、王子が溜め息を吐く気配がした。
「……だな」
短く答えるその声に、ああ、やっぱり、と思う。
――信じたくなかったが、どうやら私たちは誘拐されたらしい。




