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お嬢様は平穏無事な日常をお望みです  作者:
第三章 一年生 春
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44 お嬢様、バイトへ行く 準備編

 

 放課後、化学準備室のドアをノックした。


「どうぞ」

「失礼します」


 宗像むなかた先生の声がして、私はドアを開けると、化学準備室へ入った。

 ……相変わらずビーカーで淹れたコーヒーを飲んでいらっしゃる。

 ひらひらと手を挙げた先生に招かれて、机へ近づいた。


「はい、これ。許可出たよ」

「ありがとうございます」


 ぺら、と渡されたのはアルバイトの許可証だった。

 学院長の署名と捺印がある、証明書だ。


「なくさないで、一年保管して。一年ごとに更新するから、また一年後に届を提出してもらう。あと、辞めたり、追加で増やしたりしたい場合は新たに届けが必要だから、その都度申し出るように」

「はい」

「アルコール出すところだから、節度を守るように。くれぐれも学院の品位を下げるような行動は慎むこと。――酔っ払いのサラリーマンは始末が悪いから、覚悟するように」

「はい」


 ――先生もですか? という言葉は言わないでおいた。

 社会人はいろいろと大変なこともあるのだろう。お酒を飲んで気を紛らわせたい人がいる、ということは理解している。……時にはお酒に呑まれてしまう人がいることも。


「あとは、あー。なんかあったかな? ……まあ、何か困ったことがあったら学外のことでも相談に乗るから。くれぐれもひとりで悩んだりして思い詰めたりしないように」

「――はい。ありがとうございます。失礼します」

「うん。気をつけて帰りなさい」






◇◇◇






 学校が終わると一度家に帰り、着替えてから『ちよ』に向かった。


「こんにちは」


 暖簾を潜り、引き戸を開けて中へ声をかける。


「円華ちゃん……!」


 途端、ドン、と飛び出してきた何かに抱きつかれた。


「蛍……?」


 疑問形なのは、顎の下に何か柔らかな金色のものがあるからだ。

 

 ――これは……、ひよこ?


「会いたかったよ~、円華ちゃん……! 二週間も会えないなんて、寂しかったよ~!」


 がばり、と顔を上げた蛍を思わずじっくり覗き込んでしまう。


「蛍……、髪……」

「あ、切ったのー。似合う?」

「えぇ……。とっても」


 えへへ、と笑う蛍に衝撃が止まらない。

 きらきらとした瞳で、こちらを見上げてくるのは、長い黒髪をバッサリショートカットにした蛍だった。――しかも、その色は綺麗な白金髪。

 

 そうか。これをひよこだと感じたのだ。

 そっと触れてみるとふわふわと柔らかくて、まるで小動物のようだ。

 色白の肌に短い白金髪はよく映え、形良い耳がぴょこんと出ている。その耳朶には小さなピアスが煌めいていた。


 ――うん。だいぶ変わったけれど。よく、似合う。


 短い髪の触り心地が良く、いつまでも撫でてしまう。

 うん、可愛い。なんだろう、この可愛い生き物は。……ひよこか? やっぱり。


「……うん。可愛い」

「えへへ。ありがとう!」

「ありがとうじゃないわよ、何このひよこみたいな髪! 円華ちゃんも甘やかさないで!」


 店の奥からおばさんが出てきて、渋い顔でそう言った。

 私はおばさんに挨拶する。


 ――あ、ひよこ、は正解だったかしら?


「高校入った途端、こんなトンチキな頭にしちゃって! もう、この子は……!」


 怒られて、蛍は頬を膨らめた。


「トンチキって何語? 別にいいじゃん、似合ってればー」

「もっと、高校生らしい髪型ってのが、あるでしょうが!」

「高校生らしいって? 校則違反じゃないもん。うちの学校はいいってことでしょ? 先生にも似合うって褒められたよ?」

「もう……、どういう学校よ……」


 私そっちのけで言い合う母娘に、奥からおじさんも出てきて、呆れたように声をかける。


「おう。店先で騒ぐんじゃないよ。そんなの一通りやったら落ち着くんだから、やりたいようにやらせろ、って言ってるじゃねえか。――円華ちゃん、いらっしゃい」

「こんにちは。アルバイトの許可が出たので参りました。――よろしくお願いします」


 ぺこり、と頭を下げる。

 おじさんとおばさんは笑顔で頷いた。


「こちらこそ。――じゃあ、詳しい条件なんか説明したいから、そっちの座敷どうぞ」


 おじさんは厨房へ戻り、おばさんが説明するために、空いている座敷席へ案内してくれた。蛍も当然一緒だ。


「……って。あれ!? 待って、そちらの方はお客様!?」


 昼の賑わいが落ち着いた店内は、学生さんが一組いるだけで、がらん、としている。


 ――そして、私の後ろには当然のように、譲が立っていた。

 うん、気配また消してたわね……。ついてこなくて良かったのに……。

 

 蛍が私の袖を引き、慌てたように小声で尋ねてくる。


「だだだだ、誰、このイケメン!? クリストフォロスの制服だよね!? ままま円華ちゃんの、かかか彼氏!?」

「ちがいます」


 動揺しすぎよ、蛍。落ち着いて。

 譲は彼氏ではない。しかし、なんと説明したものか……。


「ただのクラスメイトよ」


 にっこり笑ってそう紹介すれば、譲もにっこり似非紳士スマイルを見せる。


「はじめまして。久遠譲です。円華様のアルバイト先を調査に来ました」


 さっくり、本当のこと言ってるわね。


「円華、『さま』……?」

「調査……?」


 蛍とおばさんがぽかんとして、譲を見上げた。

 それからひそひそと私に話しかける。


「この人、風紀委員か何か? クリストフォロスって、生徒のバイト先、いちいち調査にくるの……?」


 困惑したように蛍が囁くと、おばさんが眉を寄せて頷いた。


「大丈夫かしら……? うち、お酒も出すけど……」


 譲……!

 私は溜め息を吐いて、首を振った。


「ついてくるな、って言ったんですけれど。どうしてもきかなくて」


 譲は気にした風でもなくにこり、と微笑んだ。


「学院とは関係ありません。僕は彼女の従者なので。お嬢様が安全に働ける場所か確認しにきただけですから」

「お、じょうさま……?」

「じゅ、じゅうしゃ……?」


 蛍とおばさんはそう繰り返したまま、しばらく思考停止したようだった。

 蛍がきゅっと眉を寄せたまま、くるり、と私に助けを求める眼差しを向けてきた。


 ――ハイ、ごめんなさい……。


「――気にしないで。こういう人なの」

「以後お見知りおきを」

「は、はい……」


 蛍とおばさんはそろって頷いた。――理解することを放棄したようだ。とりあえず、譲はそのままで、アルバイトの概要説明に入った。


「えー、こほん。……じゃあ、まず曜日ね。円華ちゃん、とりあえず週三日くらいは大丈夫だったのよね? 希望の曜日はある?」

「特には。そちらの必要な曜日で構いません」

「じゃあね、学校もあるでしょうから、水曜と金、土、とかでどうかしら?」

「はい、大丈夫です」

「やってみて、変えたかったらまた言ってね。で、時間は、平日は四時半くらいには来れるのよね?」

「はい」

「遅れそうな時は連絡してね。えぇと、門限って、なかったんだっけ? 勤務時間は午後四時半から九時まで、間に三十分休憩、賄い付き。休日はランチの時間帯が午前十一時から午後二時、三時間開けて午後六時から午後九時、賄いは希望によるけど、二食までは付けられるからね。ランチと夜の間は上で休んでもいいし、お家に戻ってもいいわ」


 平日は夕方から、土曜日は昼の忙しい時間帯と、夜の二回に分けるのね。

『ちよ』は昼営業の後休まずに夜まで営業するタイプの店だが、昼間は少し手が空くらしい。暇な時間帯はアルバイトはいなくていいようだ。

 そして、魅力的なのは賄い付き、というところ!

 あの、美味しいお好み焼きたちをいただけるのだ。


「試験とか、学校の用事とかで休みたい場合は事前に知らせておいてもらえると助かるわ。勉強もきちんとしてもらわないと澪さんたちに申し訳立たないから、日程は教えてね」

「はい」

「あと、時給はこれくらい」


 おばさんは一枚の紙を出す。条件を書いた契約書のような用紙を用意してくれてあったのだ。

 先ほど説明されたようなことが書いてあり、金額も確認しつつ一通り目を通した。

 

「問題なければ、ここに署名と捺印をお願いね。円華ちゃんにはあとでコピーを渡すわ」

「はい」


 私はペンを借りて名前を書き、用意してあった判子を押す。


「――はい、じゃあ、これで確認はお仕舞い。明日から来れるのだっけ?」

「はい。よろしくお願いします」


 私は深々と頭を下げた。おばさんと蛍も同じように頭を下げる。


「こちらこそ。よろしくお願いします」


 書類の受け渡しも済んだところで、待ってました、というように蛍が近づいてきた。


「円華ちゃん、これ、どうぞ!」


 渡してくれたのはエプロンだった。


「アルバイトの時はそれしてね。洗い替え用に二枚あるからね。服は汚れてもいいの、着てきてね」


 紺色と深緑色のシンプルなエプロン。胸には『ちよ』と入っている。

 ……なるほど、制服代わりか。


「うふふ、楽しみ! 明日は私も休みだから、一緒にやりながら教えるよ。安心してね!」

「えぇ、ありがとう。よろしく」

「うん! じゃあ、ちょっと早いけど良かったら夕ご飯食べてってよ。えぇと、そちらの、久遠くん……、同級生だからゆずくんでいいか! ゆずくんも!」

「え。悪いわよ、蛍。譲もなんて……」

「もう、呼び捨てにする関係なのか……。ふむふむ、そこも聞き出さなくては! お父さんー! スペシャルよろしくー!」

「あいよー!」


 大声でオーダーしてしまった円華に、奥からおじさんも答えている。


「さあ、前祝いだよ、ね、お母さん!?」


 な、なんの、お祝い……?

 しかし、おばさんまでにっこり笑って頼もしく頷いた。


「そうね、せっかくだから食べて行きなさい。凌久りくくんも呼んで。みおさんには私から連絡しておくから」

「は、はい、すみません……」

「いいのよ、こっちも明日からお世話になるんだから。さ、ここ、使っていいから。あなたもご両親にご連絡する?」


 おばさんが譲に話しかけた。譲は首を振る。


「あ、自分でします。――すみません、よろしいんですか?」

「二人も三人も同じよ! どうぞどうぞ。ゆっくりしていって」

「――それでは。お言葉に甘えて」


 もはや二人とも、譲の存在に慣れたのか、当たり前のように誘ってくる。

 譲も恐縮した様子もなく、寛いだように鉄板の前に座っている。


「待ってて! 今、飲み物持ってくる! ゆずくん、何飲む?」

「ああ、じゃあ、ウーロン茶を」

「合点! すぐにお待ちします!」

「あ、ま、待って、私も手伝うわ」

「そうー? じゃ、ドリンク軽く説明するよー」


 ばたばたと蛍のあとを追った。


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