43 お嬢様、決戦の日(3)
ちょうど三十分後くらいに、木村様が生徒会室にいらっしゃった。
データはクラウドに保存されていて、それぞれのパソコンで閲覧できるから、紙媒体で用意する必要はないようだ。――でなければ、間に合わなかった。
大人数が参加する会議などでも生徒が使える個人のタブレットがあるため、もはや紙資料は必要ないのだそうだ。そこは公立校出身の円華の記憶にもなくて、胸の奥に驚きの感触がある。――このあたり、私には違いがわからないから、たぶん円華の気持ちなのだろう。
私からしたら、生徒全員分の印刷を気軽にできる紙や機械がある方が驚きななのだが。――慣れるしかない。
眼鏡の木村様がカチャリ、と眼鏡のブリッジをそっと中指で押し上げ、集中したように画面に向かう。データにアクセスして、目を通してくださっている様子を少し後ろに立って、緊張しながら見つめた。
同じデータは今日来ている生徒会メンバーもそれぞれ時間を取って見てくださっていた。もちろん、姫宮様も先ほどいらっしゃって同じ会議用大テーブルについていて、確認している。
ざっと目を通して頷いた木村様は、データ入力が過去十年分既に完了していることに驚いたようだ。
「これ、三日で済ませたのかい? 紫野くん」
「はい。なんとか」
「優秀だね……。驚いたよ。予算案も、このままでも使えそうなくらいだね。助かるよ」
「どこか、不備があればすぐに修正いたします」
「ああ、うん。えぇと、叩き台だから、充分だよ。――ただ、二、三質問したいところがあるんだけど。いい?」
「はい、どうぞ」
「文化部で五つ、同好会で二つ、かな。昨年度の予算からだいぶ増えているところがあるんだけど。これは、なぜ?」
気になって、ギリギリに直したところだ。当然、指摘されるだろう。
「不当に低い気がしたからです」
「……不当?」
不遜な物言いだろう。しかし、木村様はただ不思議そうな目をして、穏やかに聞き返した。
「……えぇ。まず文芸部、調理部、服飾部、美術部、管弦楽部についてですが」
「ここ数年は特にコンクールなどで目立った成績はないね。運動部と違ってそこまで部費は必要ないよね」
「無料での他部への協力が多いのです。放送部、演劇部、朗読部への脚本、衣装、大道具などの提供、運動部の大会の応援として、食事や音楽の提供。備品消耗品の額なども確認しましたが、おそらくだいぶ持ち出しで協力しています。これは学内の協力なので、対外的な成績とは言えず、記録には残らないため勘案されていないようです」
私は木村様の画面を切り替えて、五年前の予算を呼び出す。
「五年前に大幅、といっていいくらい削減されていて、その後コンクール等での成績も下がっています。五年前まではコンスタントに成績を残していたにも関わらず、です。ここは削減すべきではなかったのではないか、と。他部への貢献度も数値化すべきです」
「……なるほど」
「あと、二つの同好会。ボランティア同好会と、軽音楽同好会。こちらの二つは会員数も多く、昨年度目立った活動があり、学院の広報面でも有用です。今年度あたり、部に昇格するのではないか、と予測して多めにしました」
「確かに。昇格願いも出ていて、あとは承認を取るだけになってるから、それは妥当かも」
木村様が画面から目を上げて、私を振り返った。
「貢献度の数値化、というのは面白いね。具体的に検討してもいいと思う。――ただ、減らされるところからは反発があるよ」
私は頷いた。
「部員数が確定していないのでなんとも言えない面はあるのですが、明らかに激減しているところは同好会格下げもやむを得ないと思います。あとはならして微減。他部への貢献度を上げられるならその都度来年度に反映、という案です」
「うん、まあ、そうなるよね……」
「文化の面を疎かにするのは学院の理念に反すると思います。不当に搾取されるべきではなく、本来の公平さを少し加味していただければ、と私は考えます」
「……ちなみに、紫野くんはどこかに所属するつもり?」
身内贔屓を疑われている?
――木村様は穏やかそうな人だけれど、眼鏡のせいで感情が窺いにくい。
私は木村様に微笑んだ。
「……生徒会活動が忙しくなりそうなので、今のところ所属する予定はありません」
「姫宮くん。馬術部は紫野くんにだいぶラブコールを送っているみたいだけど。いいの? この案だと君のとこの部長さん、納得しないんじゃないかな?」
一緒に案を見ていた姫宮様に、意見を求められた。
姫宮様は画面から顔をあげて、軽く肩を竦めた。
「まあ、そうでしょうね。仕方ありませんわ。私は紫野様の案の方が妥当だと考えます。身内贔屓は批判されますしね」
「……だよねぇ。うーん」
「――何か問題でも?」
そこで、北大路鷹雅が初めて声を出した。
低い、けれど静かで不思議と通る声。
「君が彼女に仕事を回したんだよね? 君はどう思う?」
ちら、と北大路鷹雅の視線が私を見た気がした。
すっと、背筋が寒くなる。
すぐにその視線は資料へと戻った。
「……いいと思います。過去のデータも勘案した、良いできだ、と」
――ほ、褒められた……!?
褒めてないような、まるで不機嫌だ、とまで思える平板な声だったけれど。
『良いでき』って、言ったわよね、今……!?
つ、つまり。認めた、ってこと……!?
木村様は、ふぅ、と息を吐いた。
「僕ね、珠算部、なんだけど。……今のところ部員二名、なんだよ。新入部員入らないと確実に同好会格下げ。この案だとごっそり減らされちゃうんだよね……」
そ、そうでしたか……!
それは、申し訳ない……!
「……増やしますか?」
北大路鷹雅の凍るような冷たい声がした。そんなこと、微塵も思っていない、ということがわかる冷ややかな。先輩相手にむしろ、非難するような。
木村様は、くすり、と笑い、肩を竦めた。
「……まさか。これを役員に諮らせてもらう。ありがとう、紫野くん。調整はさせてもらうつもりだけど、このまま使えるくらいよくできた案だと思うよ」
「あ、ありがとうございます」
木村様がにこり、と笑う。
「――これからも、よろしく」
「はい……!」
木村様は黒川会長がいらしてから別のテーブルでお話しされている。
姫宮様は、北大路鷹雅に対して美しく微笑みかけた。
「――ギャフン、っておっしゃったら、いかが?」
「……ギャフン?」
訝しげに北大路鷹雅が問い返した。
「えぇ。私の『妹』をあなた、侮辱なさったでしょう?」
「……? 侮辱、したつもりは、ないが」
「できない、と思ってらしたのでは?」
「……」
黙った彼が本音では何を考えていたかはわからない。
僅かに眉を顰めたようには見えた。婚約者に不可解そうな視線を送る。
「では、認めてくださるの? 生徒会の一員として」
北大路鷹雅はふいに視線を私に移した。
一瞬、視線が絡む。
先に逸らしたのは、向こうだ。
再び姫宮様へ、その目は向かった。
「……使えないようなら、何度でも言うし、いつでも切るがな」
そうして、いくつかの書類を手にして生徒会室を出て行った。
姫宮様が、呆れたように息を吐いた。
「……強情な、方」
呟くような囁きは、どんな感情を含んでいるのか、私には読み切れなかった。
――ただ、安堵して。
力が抜ける。
すとん、と近くのソファーに座り込んでしまった。
「どうやら、第一段階はクリア、のようですね」
柔らかい、譲の声がする。
姫宮様も朗らかに微笑んだ。
「えぇ。木村様も、会長も、桔梗も――あの方も。紫野様、認めてくださってる方は増えていましてよ」
そう、なのだろうか。
「……ただ、少し無理しすぎましたね」
姫宮様は少しだけ困ったように苦笑された。
そこに、黒川会長が近づいてきた。
私は思わず立ち上がって、背筋を伸ばす。
「君、有能で助かるよ。でも、なりふり構わない、ってほどじゃなくて大丈夫だよ。……事務局員としては充分だ。ちゃんと、休んで」
少しだけ、厳しい顔で会長が言う。
それから、悪戯っぽく笑った。
「久遠、お茶にしよう。僕ら、あっちでもう少し詰めるから、運んでくれる? ――紫野くんは、今日は、お疲れ様」
会長に、ぽん、と軽く肩を叩かれた。
「……はい。ありがとう、ございます」
「うん。よく休むんだよ。――倒れられたら、これから僕らが困るから、ね。期待、してる」
ひらひらと手を振って、木村様のところに戻っていかれた。
かくん、と膝の力が抜けて、再びソファーに座ってしまう。
――認め、られた?
ぽん、と肩に手が置かれた。
見上げれば、譲が屈み込むようにして微笑んでくれている。
「美味しいお茶を淹れるよ、お嬢様」
「お願い……します」
じわじわと、胸の中が温かくなる。
――少しだけど。ここに居場所ができた、と思っていいのだろうか。
姫宮様も微笑んで、頷いてくれる。
――そうか。
「姫宮様。助けてくださってありがとうございました。――これからも、頑張ります!」
「いえ。ほどほどでよくってよ、紫野様……?」
「いいえ! 全力で!」
「そ、そう、ですか……」
それから、譲が淹れてくれたお茶を美味しくいただいた。
もちろん、美味しいお菓子つきで!




