42 お嬢様、決戦の日(2)
「――私も問題ないように思いますけど……」
昼休み、いらっしゃった姫宮様が予算案に目を通して譲と同じことを言う。
「そう、だとは思うのですけれど……。データ入力をもう少ししてみて修正したいのです」
予算案を昨年度分と比較してくださっている姫宮様に私は告げてから、データ入力の続きを行う。
「姫宮様はどうぞお気になさらずお昼を召し上がっていてください」
「え? 紫野様、きちんと休憩はお取りにならないと……」
「大丈夫です! 私、丈夫ですから!」
「丈夫、とかではなく……」
「食いしん坊さんが何をおっしゃっているの?」という姫宮様の心配そうな声が遠くに聞こえたような気がしたが、それよりも目の前のパソコン画面の方が気になってしまう。
「――姫宮先輩、大丈夫ですよ。考えてありますから」
「久遠様?」
ふわり、と良い香りがする。
――ぐぅ。
あら、いやだ。今のお腹の音、私?
「ほら、紫野くん。あーん」
目の前に出された黒い物体を、思わずかぷり、としてしまう。
「……もぐ……。ん、おいし……。ゆ、あっ、じゃない、久遠様。なんですか、これ」
「おにぎり。片手でも食べられるし、時間かからないから。――で、ハイ、こっちも」
スプーンで運ばれたものも思わず口にしてしまう。
お、おい、し……!
何この温かい飲み物……!
ぱちぱちと目を瞬かせて脇に立つ譲を見上げた。
ふと振り返れば隣のテーブルにおにぎりとカップが置かれている。カップからは温かそうな湯気と、美味しそうな香りが漂ってくる。
「スープも用意したよ。軽めにしたから少しは口にしたら? 何かお腹に入れておいた方がいいよ」
「でも……」
譲がじっと、私を見つめてくる。
――ああ……。
私は軽く息を吐いた。
ちらり、と美味しそうなお昼が用意されたテーブルを改めて見た。
――そうね。これは、私の悪いところだわ。
「……ごめんなさい。ありがとう、いただきます」
「うん、どうぞ」
譲がふっと目元のきつさを緩めて微笑んだ。
「とりあえず、食べてよ。美味しいよ?」
今日は具材の説明はなかった。
「好きなのを、どうぞ」
ひとつめに手に取ったおにぎりを口に運ぶ。
海苔とご飯の間には爽やかな風味の紫蘇、ジャコを混ぜ込んだご飯に、具材は酸っぱい梅干し。
紫蘇は微かな醤油の味もする。塩気がちょうどいい。
スープを口にすると、鶏の出汁が優しい。少しの辛みと微かに独特な風味があり、細かくほぐされた柔らかな鶏が入っている。
「……変わった味のスープですね」
「サムゲタンでしょう? この季節でも良いですね。薬膳の風味が私は好きですよ」
スープだけいただくことにしたらしい姫宮様が口にされて微笑んだ。
私も頷いた。
「……私も好きです」
体が温まる感じがした。
「良かった」
譲が微笑む。
スープを堪能して、二つ目のおにぎりに手を伸ばした。
海苔で巻かれた隙間から、鮮やかな黄緑色が見えた。
「枝豆と、チーズ、かしら?」
覗き込んだ姫宮様がそう予想を立てた。
「当たりです」
微かにご飯にはバター醤油の風味もする。
「洋風混ぜご飯ですね」
コロコロとしたチーズに、枝豆の歯触り。バターのコクが不思議とくどくはない。
――うん、これもあり、だわ。
さらにもう一種類用意されていた。
こちらの見た目は他二つよりはシンプルだった。
ごまが混ぜ込まれたご飯は香ばしい香りがした。
具材はごろりとした大ぶりな焼き鮭。
「――美味しい……」
ご飯の香ばしさはごま油だそうだ。
焼かれた鮭と良く合う。
「オーソドックスだけど、おにぎりは時間がかからずおかずも一緒に取れるからいいだろう? スープも取れば栄養もあるし」
「……えぇ。ありがとう」
美味しくいただいて、気分転換にもなった。
でも、いつものお弁当よりも時間はかからず、譲がすごく考えてくれたのがわかった。
「……さあ、頑張りますよ!」
◇◇◇
――そして、放課後。決戦の時。
生徒会室に到着した時、北大路鷹雅の姿はまだなかった。
ギリギリまでデータ入力を続ける。
あと、一年分だ。
集中してキーボードを叩いていると、ふと、ひんやりとした視線を感じた。
――どきり、として目を上げると、いつの間に来たのか、遠くから北大路鷹雅がじっとこちらを眺めていることに気がついた。
急速に指先が冷える。
ぐっ、と息を呑んだ私と北大路鷹雅の視線の間にさり気なく譲が入って、私に向かって微笑んだ。私の座ったテーブルに手を置き、彼の視線を遮るように譲がそっと屈み込む。
「――大丈夫?」
「え、えぇ……」
ぎゅっと、テーブルの下で手を握りしめた。
震えは、すぐに止まる。
――えぇ、大丈夫よ、譲。
譲が頷いて、北大路鷹雅を振り返る。
「鷹雅。そんなところで睨んでないで、こっちに来いよ。――彼女の成果を確認すべきだ」
北大路鷹雅がすい、と私に視線を移す。
どきり、と心臓が跳ねるが、表情には出さないように努める。
「――終わったのか」
真っ直ぐにこちらを見て、北大路鷹雅が問う。
「……あと、三十分ほどいただけませんか?」
――終わっていない。でも、それだけあれば。
鬼の首でも取ったかのように糾弾されるか、と思った。
約束の日は今日、だ。でもまだ終わっていないなんて。
案に相違して、鷹雅は拍子抜けするほどあっさりと頷いた。
「そうか。――会計は木村先輩だ。先輩にも目を通してもらうのが筋だろう。先輩がいらっしゃるまでは待つ」
言うと、自分の仕事を取り出して先輩を待つ姿勢を見せた。
――先輩がいらっしゃるまで。
私はスピードを上げて、残りの作業を進めた。




