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お嬢様は平穏無事な日常をお望みです  作者:
第三章 一年生 春
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41 お嬢様、決戦の日(1)


 美味しいお茶を済ませてから、予算案については一応の叩き台を上げてしまう。鎮ヶ森様が部活動をなさっている間に作成してあったものを元にいくつか質問しつつ、おおまかなものは作成できた。

 そうしているうちに夜七時半を回っていた。


「私は帰るけど……、まだ残るのか?」


 心配してくださったのか、鎮ヶ森様が声をかけてくださった。


「えぇ、遅くまでお付き合いくださいまして、ありがとうございます。私はあともう少しだけ」


 学校は遅くても夜九時までしか残れない。九時を過ぎると施錠されてしまうので、もうそれ以上の仕事はできない。

 書類の性質上、持ち帰りができるものが限られてくるので、できる限りの入力作業はやってしまいたかった。


「お前、徒歩通学だったか。私は車を待たせてあるから、なんなら送っていくが……」


 ――ぶっきらぼうな口調だが、優しい人だ。

 私は嬉しくなって微笑んで首を振る。


「お心遣い、ありがとうございます。ですが、近くですし大丈夫ですよ」


 鎮ヶ森様は眉を寄せて譲に目をやる。


「――久遠、ちゃんと送ってやるんだぞ? この危機感のなさ、お前が目を配ってやらなきゃ危ないぞ」

「――心得てます。ちゃんと毎日送ってますよ」

「……毎日? それはそれでどうなんだ……? まあ、いいか。あまり根を詰めるなよ」

「えぇ。鎮ヶ森様もお気をつけて。ご機嫌よう」


 鎮ヶ森様を見送って、再び仕事にかかる。

 過去六年前から十年前までのデータ入力が残っていた。

 二年分入力したところで、今日はタイムアウトだった。

 明日の昼と放課後でギリギリ、というところだろう。

 予算案の叩き台は既にできていたが、どうせなら言われた仕事をすべて片付けてしまいたかった。そうでなければ王子に胸を張って「生徒会の一員だ」と認めさせることができないような気がしていた。


 予算関係のお金に関することは持ち出し禁止だが、ファイルにされている戦績などは公表されているものであり、プリントアウトされているいくつかは持ち出し可能だった。


 気になる点がいくつかあったので、数種の部活動の複写された記録を持ち出す許可を得て、譲に持ってもらい、すっかり夜になってしまった帰り道を歩いた。






 凌久が作ってくれてあった軽い夕飯をお腹に入れてお風呂に入り、すやすや眠る凌久を起こさないように静かに勉強机のライトだけつける。


 ファイルを見直しながら、予算案の数字が本当にあれでいいのか頭の中で検証していると、いつの間にか明け方になっていた。このままでは三日間まともに睡眠を取っていないことになってしまう。


 さすがに体力的に疲れを感じなくはない。少しくらい横にならなければ、と一時間程度横になるつもりでベッドに入った。

 目を閉じても、数字が踊る。

 その数字をうとうと追いながら、どうしても引っかかるものが出てきた。

 頭の中で部活動の名前を順に追っていく。


「――あッ!」


 思わず、跳ね起きた。


「な、何!? どした……!?」


 私の大声に寝ぼけた凌久が上の段から慌てたように顔を覗かせた。


「あ、ごめんなさい、凌久。起こしてしまって」

「いや、いいけど……。え、もしかしてまた徹夜? 大丈夫、姉ちゃん?」


 目をこすりつつ、心配してくれる凌久のことも上の空になりかける。


「えぇ、大丈夫。ありがとう。――凌久、私、今日は少し早く家を出ることにするわ」

「あぁ……、うん、どうせ起きちゃったし、じゃあ朝ご飯早めに作るよ。何? 王子との戦い、勝てそう?」

「えぇ、負ける気はなくってよ」

「確か三日……って言ってたよね? 今日って三日目か」

「そう……、決戦よ」

「そうか。よし、待ってて、今スペシャル朝ご飯作るから!」

「ありがとう、凌久」


 いつもはトーストに目玉焼きのシンプルな朝食だが、凌久がいつもの材料でひと手間かけてくれた素敵な朝食が出された。


「なんちゃってホワイトソースのクロックマダムだよー!」

「わあ……! 美味しそう……!」


 こんがり焼けたチーズに囲まれたトーストの上には卵が乗っていた。八枚切りで薄切りのパンだけれど、チーズとハムとホウレンソウを挟んだことでトーストにボリューム感も出ている。切り分けると、とろりとしたチーズと半熟卵がこぼれて美味しそう!


「ふっふっふっ。この間、久遠さんに教えてもらったんだよ。ほぼいつもの具材でできちゃうんだよなー、これ。ホワイトソースもレンジでチンだし、以外と簡単にできたなー。お休みの日とかまたやろうっと。特別にソーセージも二本つけちゃうぞ! どうだ、姉ちゃん!?」

「ほいひいわひょ、りふ(美味しいわよ、凌久)……!」


 さすが我が弟よ!

 これでお姉様は頑張れるわ……!






 ――と、思ったのに……!


「円華様! 素晴らしい跳躍です! さあ、もう一本!」


 ……なぜ、私は馬に乗っているのかしら?


 気づけば、馬場にいた。

 ご機嫌なゴールドウィナーズ号が軽やかに障害を飛び越えるのに合わせて、体を伏せるようにして次に向かう。


「円華様! 素晴らしい! さあ、もう仮入部でよろしくてよ!」

「しま……、しません……っ! い、今、私、すごく時間、ないの、です……!」

「またまたぁ、そんなことおっしゃらずに……! 楽しいでしょう!?」

「た、楽し、くはある、のですけれ、ど……!」


 明らかに徹夜明けにやることではないのですよ……!


「こ、こ、ここまでにさせてください……! ごめんなさい、ゴールドウィナーズ号! 私、本当に時間がないのです!」


 ぐるりと回り込んだゴールドウィナーズの手綱を慌てて引いて足を止めさせ、飛び降りるように馬を降りた。


 近くにいた真中様に手綱を押し付けるように渡し、不満そうに嘶くゴールドウィナーズ号に謝りながら走って逃げた。


「円華様ー! 放課後もお迎えに参りますからねー!」

「無理です……!」


 後ろからそう叫ぶ馬術部部長三枝様の声を背中に聞きながら、ひたすら生徒会室へ向かった。





 ――目眩がする……。


「――僕を置いていくからそうなるんですよ」


 冷たく呟く譲に何か言う気力もない。

 朝の光眩い生徒会室である。

 今は譲と私の他には誰もいない。

 

 なぜこうなったのか思い返しても頭が痛い。


 ――今朝、思いついたことがあって、譲が迎えに来る時間より早くひとりで学校へ向かったのだ。 

 そこで、朝練に向かう三枝様と真中様にばったり会ってしまい、有無を言わせず、あれよあれよという間に馬に乗せられていたのだ。


「いや、さすがに着替えさせられる前に逃げられるでしょう? なんで黙って着替えさせられてるんですか」

「……ごめんなさい、少しの間だけ何も言わないで……」


 私もなぜなのかわからないのよ!

 頭を抱えて目眩をこらえた。


 ――うん、でも早朝の空気の中、嬉しそうなゴールドウィナーズ号に乗るのは爽やかで良かった……。


「無意識のうちに入部届にサインさせられそうですね」

「うっ……。そうなったら止めてちょうだい……」

「次から早く出かけたい時は事前に連絡くれると約束してくれるなら」

「……悪かったわよ……」


 譲が大きく溜め息を吐いた。


「……それで? 何が気になっているんです?」

「一部の部活動が不当に予算が低い感じがして。――とりあえず、過去十年分の予算と、渡されている限りのデータを入力しながら確認しようと思って」

「不当? ……ってほどでもない気はしますけどね」


 譲が私が叩き台に作った予算案に目を通す。今年の予算額や昨年度の戦績などにより微調整はかけてあるが、おおまかなところは昨年度とあまり変わりはない。

 つまりこのままなら例年通りなのだが。――無難な出来だ。つまり、新人の仕事としては問題ないのだ。このまま出してしまってもいいのだが。


 紙ファイルに纏められているデータをめくりながら目を通し始めたところで、予鈴が鳴った。


「……教室に戻らないといけませんね。とりあえず、時間切れです。続きは昼休みと放課後ですね」


 頭の中が予算でいっぱいで、徹夜明けに馬に乗ったダメージもあり、どことなくふらふらしそうな足元を叱咤激励しつつ、教室へ戻った。


 ――まずい。間に合わないかも?


 冷ややかに見下す王子の視線がふわり、と思い浮かんで、悔しさなのか焦りなのか自分でもよくわからない感情が胸の中に渦巻いた。



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