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お嬢様は平穏無事な日常をお望みです  作者:
第三章 一年生 春
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37 お嬢様、お姉様と特別なお菓子


 テーブルに置かれた紅茶とケーキにわくわくと心が躍る。


「久遠様、今日は何をご用意してくださったの?」

Kugelhopf(クーグルホブフ)……、日本では『クグロフ』と呼ばれることが多いでしょうか」


 譲がまるで王冠のような美しい焼き菓子を切り分けてくれる。

 綺麗なひだが上に行くにつれて絞られ、中央には円形の窪みがある。粉雪のような細かな砂糖がふられたそれは、まるで雪化粧をした山のよう。

 切り口からはドライフルーツが覗き、抑えた柔らかな香りがした。

 先日のシュヴァルツヴェルダー・キルッシュトルテはクリームたっぷりのケーキだったが、こちらはまた趣が違った。


「クーグルホブフの『ホブフ』はビール酵母のことですね。これはイーストを使ってますが、昔はビール酵母を使ったようです。発酵菓子で、どちらかというとケーキというよりパンに近い食感だと思いますよ」

「ふふ……、マリー・アントワネットのお菓子ね」


 楽しそうに姫宮様が呟く。

 私は意味がわからなくて、首を傾げた。


「マリー・アントワネット?」

 

 その名前に聞き覚えがある気がしたが、誰だっただろう。

 お菓子を切り分けた譲がそっと目の前に皿を置いてくれた。


「ええ、あれですわね。『パンがなければお菓子を食べればいいじゃない?』」


 つん、と高慢な姫のように姫宮様が芝居ががってその言葉を言う。

 なまじ整った容姿だけに、悪役令嬢のようなそんな馬鹿げた台詞も板について、本当の上流階級の無邪気で我が儘なお嬢様のようにも見えてしまう。

 譲が軽く微笑んだ。


「有名な台詞だよ。浪費家で贅をつくしたと言われるフランス王妃マリー・アントワネットが、パンさえ口にできない困窮した国民に対して言い放ったという言葉」


 まあ……。呆れる王妃様だこと。

 思わず眉を寄せてしまった私に、譲が軽く吹き出す。


「……安心して。彼女はそんなことは本当は言っていないらしいから」

「そう……なの、ですか?」


 私は複雑な気持ちで問い返した。

 ――そんなひどい言葉をあたかも言ったように世間で誤解されてしまっている王妃様とはどんな人だったのだろう。


「そう。――その『菓子』はブリオッシュを指すと一般的には言われている」

「クグロフは、マリー・アントワネットが愛したお菓子なのだそうですよ」


 姫宮様がそう説明してくれた。その話が混同されてクグロフをマリーが言ったという「お菓子」だと思っている人も多いそうだ。ちなみにブリオッシュとは卵やバター、砂糖をふんだんに使った豪華なパンなのだそうだ。美味しそう。

 譲がおどけたように片目を瞑って皿を指示した。


「お菓子の味は保証するよ? まあ、食べてみて」

「ええ、いただきましょう、紫野様?」


 にこり、と微笑まれ、上品に姫宮様が「いただきます」と言って、ほっそりとしたその手にフォークを握った。


「……えぇ。いただきます」


 私も手を合わせてから、さくり、と焼き菓子にフォークを入れた。


 ひとくち、口に含むと、優しい甘さが広がる。

 洋酒の香りを仄かにまとった、素朴な甘さのお菓子だった。


 お、美味しい……。


 ふんわりと、夢見心地になってしまう。


「本当はね、クリスマスのお菓子なんだけど。――友情の証、とも言われているんだ」

「まあ……、まるで私たちのことを見越していたようですね、久遠様」


 姫宮様の言葉には答えず、ただ譲は微笑んだ。


「でも、ちょうどよろしかったわ。特別な日のお菓子ね」

「特別な日……」

「えぇ。だって、私にこんなかわいらしい妹ができた日ですもの」

「姫宮様……」


 ふわふわと、夢の中にいるかのように、その声は甘く響いた。






 二、三十分だろうか。

 素敵なティータイムを堪能していて、私はすっかり北大路鷹雅との約束を忘れてしまうところだった。


「さ、紫野様。お茶はここまでにして。対策を練りましょう」

「対策……?」


 いささか、ぼんやりした。

 見返せば、カチャリ、とカップをソーサに置き、姫宮様が勇ましい口調で言った。


「私、今日お付き合いのパーティーに出なくてはならないのです。あまり時間はなくってよ」

「パーティー?」

婚約者フィアンセにあんな啖呵を切ったのですもの。なんとしても三日でギャフンと言わせて差し上げましょう」 


 そ、そうでした……!


「あの、ですが姫宮様、よろしいのですか? 婚約者、なのでしょう……?」


 なんだか、ずいぶんと険悪ではなかったか。

 思い返せば、初めてここで会長と王子についてお話しになっていた姫宮様も、やはりなんとなく事務的ではあった。

 まあ……、上流階級の親同士が決めた許婚など、そんなものかもしれない。


「ふふ……、別に仲が悪いわけではないのですよ。今日だって、エスコートしてもらうお約束ですもの」

「あぁ……」


 そんな話はしていた、確かに。


「申し訳ございません。ですが、姫宮様にもお仕事がございますでしょう?」


 迷惑はかけられない。

 しかし、姫宮様は憤慨したように、少しだけ唇を尖らせた。あら、かわいらしい。


「私、『お姉様(グランドゥスール)』ですのよ。少しは頼ってくださらない?」


 少し拗ねたようなその人に、私は思わずくすり、と笑ってしまう。


「あの……、では、簡単なことだけお願いいたします」

「そう、まず基本的なことから……!」


 パソコンの使い方や保存されたファイルのことなど、簡単に説明してくれる。

 怒涛のような知識量を、一気に円華の脳が処理していく。形は違えども、円華は過去にパソコンを使ったことがある。

 ――基本は、頭にあるのだ。


 導入の導入、ノートパソコンやソフトの使い方さえわかれば、北大路鷹雅の求めてきたことの筋道はわかる。――わかるが、これ、新入りにやらせる内容!?


「く、久遠様……、あなたのおっしゃっていた印象と、だいぶ違うのですけれど……?」


 ケーキ皿や茶器を片付けている譲にそっと呟けば、軽い口調で譲が問い返す。


「ん、鷹雅のこと?」


 そうよ! どこが『悪い男ではない』よ!?

 何、あの冷徹さ。虫けら見るみたいに見下したわよ!?


「えぇ? 有能だよ? 口だけじゃなくて人の三倍は働くしね。言ったことは必ず実行するし。悪い男ではないだろう?」

「――久遠様の判断基準は一般的ではないですわよ」


 呆れたように姫宮様が口を挟んだ。


「この方に一般常識を求めてはいけません、紫野様」

「いや、ひどいですね、先輩。無能な権力者ほど愚かなものはありませんよ? それに比べれば、鷹雅のどこが『悪い』って言うんです?」


 不思議そうに譲が言えば、姫宮様はふう、と溜め息を吐いた。

 少しだけ困ったように私を見る。


「……まあ、鷹雅様の有言実行は間違いないのです。――これ、本来は一週間あっても足りない仕事量ですのよ。ですけれど、三日後までになんとかしないと、本当にクビにしかねませんからね。……貴重な人材ですのに」

「僕も手伝うよ。なんでも言ってよ」


 譲はそう言ってくれるが、先ほどの北大路鷹雅の口ぶりでは譲も仕事を任されているようだ。


「あなた、自分のお仕事があるのでしょう? そちらを優先なさいな」


 私はパソコンの参考書を手に取る。

 ――あとはこれを読み込めば、使い方はマスターできるはずだ。


「姫宮様も。今日、お約束があるのですよね? もう、お時間ではないですか?」


 はっとしたように姫宮様が時計に目を向けた。


「――あと、三十分は大丈夫です。できるところまでご説明いたします」

「ありがとうございます」

「あとは……、明日からお昼休み、こちらにいらっしゃる? 親睦も兼ねてお昼ご一緒しましょう。進捗状況も確認いたしますし、契約の儀式の相談もしたいので」

「えぇ、それは助かりますけれど……、契約の儀式?」

sœur(スール)の」

「儀式……、なんてあるのですか」

「必ずではないのですけど」

「……じゃあ、僕、明日お昼用意してきますよ?」

「はい?」


 二人で同時に譲を振り返る。


「ここなら他の人に気兼ねせず、お昼食べられるでしょう? 三日間、応援のために腕によりをかけたランチをご用意しますよ」


 譲のお昼……。

 思わず、ごくりと喉が鳴った。――こら、円華、はしたない……!


「良かったら姫宮先輩の分も」

「いえ、私は家のものが用意しますから結構です。――なぜ、そこまで……?」


 姫宮様が困惑気味に譲を見ている。

 譲はその場で、胸に手を当て、軽く一礼した。


「……新人さんを逃したくないのは僕も同じですよ、先輩。あと、いくらsœur(スール)だからってひとり占めはずるいですよ?」


 姫宮様が、頭が痛そうに軽くこめかみを揉んだ。


「……ね、紫野様? こんな久遠様、初めて見ましたわよ。あなた、ずいぶん気に入られていらっしゃるわね……」

「……えぇと、お昼は食べたい、かしら……」


 二人が同時に「でしょうね!」というように微笑んで頷いた。

 ――食いしん坊キャラ、定着!?


「さ、では紫野様、続きを――」

「えぇ、お願いいたします」


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