35 お嬢様、王子に出会う
北大路鷹雅は、私をじろり、と見た。
まるで表情の窺えない顔で、上から下まで視線を動かした気がした。
「……体調は?」
彼が言った言葉の意味を一瞬捉えかねる。
「……え?」
「体調はどうか、と訊いている。どうだ?」
「特に問題はございませんが……?」
そんなに具合悪そうに見えたのだろうか?
……微笑んだつもりだったけれど。
「……そうか。なら、いい」
「……? ありがとうございます……?」
彼はにこりともしないでそっけなく頷くとそのままふい、と私の側を通り過ぎた。
それ以上の会話が続かないまま、困惑して彼の進む先を目で追った。
壁際のキャビネットに向かい、そこに並ぶ分厚いファイルをいくつか手に取る。
「今、何か任されている仕事は?」
こちらを見ないまま、まるで独り言のように呟くので、しばらくの間それが私に向けた言葉だとは気づかなかった。
ファイルを持ったまま、振り返ってひんやりと冷たい眼差しが、私に問いかけるように向けられて、初めてそれが私に対する問いだと気づいた。
「いいえ。まだ、執行部の方々をご紹介されたばかりで、何も」
ファイルを持ったまま、つかつかと近づかれて、テーブルの上にドサリ、とファイルを積み上げた。
「なら、これをやれ」
「これ……とは」
言っているうちにとんどん塔のようにファイルが積み上がっていく。
「こっちが昨年度の各部の活動報告。予算の使用状況、活動内容、試合やコンクールの参加状況、結果等。まずは昨年度の分の入力。それから、こちらは過去十年分の同様の資料。近年の分はデータ化されて入力されているが、五年度前の分までしかない。それ以前のデータ化を進めているから、手が空いた時に進めている。入力を頼む。――こちらは今年度分の全体予算の予定。各部の活動状況と前年度予算を照らし合わせて妥当な予算案の叩き台を上げる。細かいところは執行部の本メンバーで詰めるから、概算でいいからざっと作ってみてくれ」
何やら次々と畳みかけられた。
北大路鷹雅は、さらに別の扉付きの棚に移動すると、数字の並んだボタンをいくつか素早く押し、扉を開いた。――鍵付きの、棚?
そこには黒い平たい機械が数台収められていて、それを指差す。
「ノートパソコンはNo.6から9が事務局員用だ。空いていれば、どれを使っても構わない。空いていなければ他の事務局員に交渉するか、執行部の役員――先輩方に使用していいものを尋ねるように」
「のーと……ぱそこん……?」
更に手帳を取り出し、なにやらさらさらと書き付けると破って私の顔の前にぺらりと出す。ID、password、という文字といくつかのアルファベットと数字の羅列が目に入る。
「……なんです? これ……」
受け取ろうと手を出すと、私の手の届かない頭の上にピッと持ち上げられた。
なんなの。
「収納扉のID及びノートパソコン使用の際のIDとパスワードだ。万が一落としでもして漏洩すると困るから今ここで記憶しろ」
そして、再び目の前にメモが降りてくる。
意味のない英数字の羅列は覚え難いが、まあ仕方ない。
あいでぃー、ぱすわーど……? と思いつつも、とりあえず反射的に暗記した。
パソコン、というワードは聞き覚えがあるので、後でなんなのか円華の記憶を探ろう。
「覚えたか?」
「はい」
私が頷いた次の瞬間にはメモを壁際にあった黒い箱に差し込んでいた。ダダダダ、という音がして飲み込まれていく。――シュレッダー、という単語が頭に浮かんだ。……なるほど、一瞬で紙を粉々にする機械。便利、だ。
「必要なファイルはすべてクラウドで保存されている。『予算関連』というドキュメントがあるから、そこから適宜合致するファイルに入力するように。予算案に関しては昨年度の雛型があるから参考にしてくれ」
私は呆然と、積み上がったファイルの塔を見つめた。
なんだか……、聞き慣れない言葉が大挙しすぎて。
くるり、と振り向いて私を冷ややかな眼差しが見下ろす。
「……何をしている」
声まで冷ややかだ。
「……情報の、整理を」
呟いた私に、更に冷ややかな声が追い討ちをかける。
「時間を無駄にする気か」
「失礼いたしました。――始めます」
まずは、ぱそこん、とやらかしら。
棚から一台出してみる。思ったより、重量があった。
授業用のノートを二冊並べたくらいの大きさかしら。
そっとテーブルの上に運んだ。
――で。えぇと、これ、どうすればいいの……?
ぱそこんぱそこん……! と、必死に円華の記憶を検索する。
あっ、あった……!
確か、小中学校では授業で時々使っている。
…………ん?
でも、か、形が違う……!?
なんか四角い『もにたー』とやらが立っていて、その前にチョコレートみたいな小さな四角の並ぶ『きーぼーど』やらが置いてあって、ねずみ、もとい、『まうす』というらしい楕円形のものが鎮座する。頭に『ですくとっぷ型』という言葉が走った。さらに、それとは別に薄い板のような平たいものが浮かぶ。そちらには『たぶれっと』という言葉が走った。その二種類はどうやら使ったことがあるようだ。
しかし、目の前にあるのは確か『ノート型』……。
型……、型が、違う、の……?
使い方、わからないじゃないの……!!
「のーと……、ぱそこん……」
テーブルに置いたまま固まる私の脳天から冷酷な声が落ちた。
「……まさかとは思うが、パソコンが使えないわけじゃないよな? 簡単な使い方くらい公立校でも習うはずだが」
「……すみません、学校で習ったものとは形が違うようです」
北大路鷹雅は束の間、沈黙した。
痛いくらいの静寂が満ちた。
「……使えないやつは必要ない」
大きな溜め息と共に、遠慮会釈ない言葉が返ってきた。
えぇぇ……。
「ご安心くださいませ。すぐに修得いたしますから」
売り言葉に買い言葉、言ってはみたものの、さすがににっこり笑顔で啖呵を切る、とまではいかない。
――ただ、やると言ったからには、やるのよ、私は。
すっくと立ち上がり、正面から北大路鷹雅を睨んでこっそり拳を握ったところで、誰かにすっと肩を抱かれた。
「……なあ、鷹雅。僕の姫君を何いじめてるんだい?」
ふわり、と安心する香りがし、すぐそばで柔らかな声が響いた。
顔を上げれば、そこにいたのは譲だった。
力が入っていた体から、すっと力が抜ける。
……ああ、私、ずいぶん緊張していたのね……。
「……姫君?」
不審そうに、北大路鷹雅が問い返した。
譲は、くすり、と笑う。まるで挑発するかのように。
空いた片手も私の前に回して、後ろから私を抱くように囲う。
「そう、お姫様。桜の姫――、君の姫君と同じように大切なんだ。僕が教えるから安心して」
北大路鷹雅が目を眇めてそれには答えず、代わりに冷たく言った。
「……お前には、別の仕事が割り振られているはずだ。宿泊研修の下調べは終わったのか?」
「もちろん。それもやった上で、彼女にも教えるよ」
「終わったなら別の仕事をやれ。いくらでもやらなければならないことはあるんだからな」
「もう少し、新人さんに親切でもいいんじゃないか?」
「……使えないなら、いる意味ないだろう?」
眉を顰めて、本当に不思議そうに問われた。
私はなんと答えてよいものか、返答に窮する。
更に譲が言葉を足しかけたが、そこで、生徒会室の扉が空いた。
ふわり、と甘い香りがする。
いくぶん、部屋が明るくなったような気がした。
「……あら、鷹雅様。私の可愛い妹をお二人で取り合いですか?」
姫宮様だった。
軽い足取りで、私たちに近寄ると、譲の腕からするりと私を引っ張り出す。
そして、譲と同じようにぎゅっと私を抱きしめた。
――いや、同じじゃ、なかった……!
姫宮様は譲よりずっと小さくて、柔らかくて、甘くて良い香りがする……!
か、かわいい……!?
「この方、私のものですのよ。勝手に取り合わないでくださる?」
きゅっと、唇を尖らして、甘い声音で言った。
ふわふわした髪の毛が、私の顎のあたりをくすぐった。
――かわいい。何、このかわいい人は。
北大路鷹雅は婚約者を一瞥すると、もう一度大きく溜め息を吐いて、無言で備え付けの本棚へ向かう。そこから本を数冊抜き取ると、山積みされたファイルの横にドサリ、と置いた。
「……三日やる。三日後進展具合を報告しろ」
「まあ、ただの事務局員がずいぶんとえらそうな口ぶりですこと。正式な役員の私たちを差し置いて」
「……なら、さっさと指示して使えるようにしろよ。俺が口を出さなくてもすむように」
「言われなくてもそうしますわよ。以後、ほうっておいてくださる?」
「……それで使えるようになるならな。ならないなら口は出すぞ」
「えぇ、ご勝手に」
彼はそれ以上は何も言わず、他の棚からファイルを取り出していくつか確認すると扉に向かった。
私に抱きついたまま、姫宮様がその背中に声をかける。
「あぁ、鷹雅様。今夜のエスコートはいつも通りでよろしいのね?」
「……ああ。ついたら連絡する」
「よろしくお願いいたしますね」
にこやかな美声に振り返りもせず、北大路鷹雅は生徒会室を出ていった。
笑みが姫宮様の顔からすっと消える。
私を離して、妖精のようなその人は至極困ったように眉を下げると、大きく溜め息を吐いた。
「……久遠様。先日、紫野様に毎日お菓子を用意する、とおっしゃっていましたね。もちろん、今日もご用意があって?」
隣に立っていた譲はにっこりと笑う。
「はい。お茶もご用意していますよ。姫宮先輩もいかがですか?」
「せっかくですからいただきます」
「では、お茶を淹れ直してきます。少し冷めてしまったから」
「お願いいたします」
給湯室へ向かった譲を見送ると、姫宮様に軽く手を引かれ、ソファーに二人で並んで座った。
姫宮様が、天を仰ぐように溜め息を吐いた。
「……思った通りですわね」
「……え?」
困ったように微笑んで、姫宮様が私を見る。
「……ですから、私、あなたをsœurにしなければ、と思ったのですよ」
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