34 お嬢様、レクチャーされる
「……すぐに答えなくて結構ですわ。よく、お考えになってからで」
周囲にずいぶん人が集まってきてしまったことにはっとしたように、姫宮様はそう短く告げた。鎮ヶ森様は相変わらず面白くなさそうな顔をなさって、私を見下ろしていた。
「皆様、申し訳ございません。お昼休みにお邪魔いたしました。お返事はまた改めて。――ご機嫌よう」
私の返事も聞かずに、姫宮様と鎮ヶ森様はいらっしゃった時と同じように颯爽と食堂を出ていかれた。
お二人が見えなくなると、マトリョーシカ三人組から「きゃあ……!」という抑えきれない歓声が上がる。
「ま、円華様……!」
「ど、どうなさいますの……!? もちろん、お受けになるのですよね……!?」
「すぐに……! すぐに、お返事なさった方がよろしくてよ……!」
「え、えぇと……?」
興奮したように口々にされるが私は困惑しかない。
「あの……、『スール』ってなんですか?」
◇◇◇
「『sœur』というのはフランス語で『姉妹』という意味です」
頭を抱えた三人組が、しばらく沈黙した後、大原様が説明してくれた。
「姉妹?」
「えぇ。もちろん、本当の姉妹ではなくて……、そうですね、外部生にうまく説明するのは難しいのですが。学年が上のお姉様が下の学年の生徒と特別仲良くする制度なのですが」
困ったように顎のところに手をやり、少し小首を傾げる。
――『特別に仲良く』、というのがよくわからない。
「学校案内のパンフレットや校則には載っていなかったと思うのですけれど……? 上級生が下級生を選んでペアを組む、という制度なのですか?」
「そうですね、正式な決まりではなくて、昔から続く慣習、のようなものなのです」
なんでも、聖クリストフォロス学院がまだ女学院だった頃の慣習なのだそうだ。
「かつては、不慣れな新入生が学院に早く馴染めるように、必ずひとりにつきひとり、指導役の上級生がついたそうなのです。男子校の方にはそういった制度がなかったため、共学になってから正式なものとしてはなくなったようなのですが、今でも個人的に下級生をお選びになって仲良くされる上級生のお姉様はいらっしゃって……」
「大原様にもいらっしゃるの?」
「いえ、私と小田様にはいません。――あ、でも、真中様には、三枝様が」
「あら、そうなのですか」
真中様を見ると、微妙に視線を外された。
三枝様って、馬術部の部長様よね。なぜ、そんな微妙な顔をしているのかしら?
「え……えぇと、私の話は置いといてくださって結構ですのよ……。私たちの関係はあまり参考にはなりません」
微妙な表情のまま、真中様が呟いた。
そして、気を取り直したように笑顔になって、続ける。
「それよりですね、一般的には『お姉様』は『妹』を常に守り、助ける存在なのです。勉強からプライベートの悩みまで、優しく相談に乗ってくださり、何か問題が発生すれば本当の姉妹のように助けてくださいます。庇護者、ですね」
「――姉の役割が、重すぎるような……?」
それは、『妹』に選ばれれば利点は多そうだが、では『姉』であることの利点はなんなのだろう。
「あぁ……、ええ、もちろん、『妹』も『お姉様』のためならできる限りのことはいたします。そういう相互的な信頼関係のことを言うのですけど……、そうですね、素敵な『お姉様』でいらっしゃることは下級生の尊敬と信頼を勝ち得ますし、人間としての精神的な成長が得られる、ということもあるでしょうね」
そうおっしゃる真中様に続けて、小田様が微笑んだ。
「あまり難しくお考えになる必要はありませんよ。下級生にしてみれば、憧れのお姉様とお近づきになれて幸せですし、上級生にしてみれば、可愛い妹をかわいがりたい、という、ただそれだけですから」
――疑似恋愛、にも近いのだろうか。
大原様もにこり、と笑う。
「ましてや、桜の姫、ですわ。どんなに下級生に恋い焦がれられても、あの方は今までsœurをお持ちではなかったのですから。才色兼備なあの方のsœurになれるなら、泣いて喜ぶ生徒はいても、困るようなことは、まずないと思いますよ」
「……そうですか」
◇◇◇
お昼休みが終わり、午後の授業を受けながら、先ほどのことを改めて考える。
マトリョーシカ三人組の話を聞く限り、受けて損はないのかもしれない。
姫宮様のことはよく知らないが、第一印象は悪くはなかった。素敵な方だとは思うし、この学院のことを教えてもらったり手助けしてもらったりするのは、単純にありがたいとは思う。
――ただ。引っかかるのはあの方が『王子』の婚約者だ、ということだ。
そんな人にほいほい近づいていいものだろうか。
それに、気になるのはそれだけではない。
先日顔を合わせた、とはいえ、ほぼ初対面でろくな話もしていない。私のことなどほとんど知らないはず――しかも私は公立中学卒の外部生だ。注目するほどの何かが、私にあるとは思えない。それなのに声をかけられた、というのは他に何か理由があるのかもしれない。
それが、気になった。
――何か、別の思惑があるのではないだろうか。
軽く溜め息を吐いた。
どちらにしても、放課後、生徒会室へ行ってみなければならない。
姫宮様に、直に確かめてみなければ。
それからでないと、判断するのは危険だろう。
「……どう思う?」
放課後、生徒会室へ向かいながら譲に尋ねる。
「sœur制について僕らは詳しくわからないんですよ。別に今では女子生徒に限ったものではないようですが、僕はあまり関わりがなくて。今まで端から見てきた印象だと、大原くんたちの言うことでほぼ間違いないとは思いますが……」
含みを持たせた語尾に、譲も気になるところがあるのかもしれない、と思う。
「姫宮先輩は人品に問題はない方ですよ。――あなたの立場を思えば、お話を受けるのも悪くはない選択だと」
「……そう」
生徒会室の扉を開けると、まだ誰も部屋にはいなかった。
ぽかぽかと陽当たりが良く、明るい部屋はやはり居心地が良い。
緊張を強いるような誰かはいないので、ただ長閑な午後の空気がそこにある。
譲はソファーセットに私を促すと、お茶の用意をしてくると言って給湯室の方へ消えた。
しばらくは、部屋も静かになる。
こういう雰囲気は、好きだ。
落ち着いた調度と、ゆるゆるとした暖かさ。人と会うことは嫌いではないが、本来ひとりで過ごす方が気楽だ。
ずっと、このままでもいいのだけれど――束の間のことだろう。
前回生徒会室へ来た時から、この部屋へ足を踏み入れるのは初めてだ。
仕事らしき仕事もまだ説明されていない。
だが、やると決めたなら、できる限りのことはしよう。
私に何ができるのかはわからないけれど。
ノックもなしにカチャリ、と入口の扉が開く音がする。
――生徒会役員の方だろう。
私は挨拶をするために、立ち上がった。
そして、扉から入って来た人物を見て、思わずどきり、と動きを止めた。
そこから入って来たのは男子生徒。
背は高く、すらりとした身のこなし。
ふと私を捉えた切れ長の目は、どことなく厳しさがある。
まるで騎士のような隙のない歩き方で歩を進め、私から少し距離のある位置で足を止めた。
「……ご機嫌よう」
私は殊更ゆっくりと微笑んだ。声が震えないように、優雅に挨拶の言葉を唇に乗せた。背筋を伸ばして、相対する。本能的に、指先が震えそうになって、それを悟られないように体の前でそっと重ねた。
「……ああ」
彼が、初めて声を出した。その吐息のようなひとことでさえ、聞く者を捉えて離さない低くて、でも響く声だった。
「……初めまして、ですわね?」
私は言葉を発しながら、自らを確かめる。
――大丈夫。落ち着いて、言える。
「……北大路鷹雅様。新入生の、紫野円華です」
――『王子』と呼ばれている人。
その人と初めて、きちんと向き合った。




