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お嬢様は平穏無事な日常をお望みです  作者:
第三章 一年生 春
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32 お嬢様、素敵な贈り物


 翌日の土曜日は、学校は休みだったが、管弦楽部の道堂みちどう様にいただいたチケット――管弦楽部の演奏会の日だった。

 迎えに来た譲と共に、制服姿で会場に向かう。


「――譲。部活動は、しばらく諦めることにしたわ」


 音楽ホールは、校門から少し歩いたところにある。演奏会まではまだ間があった。土曜日、ということもあって人の姿は間遠だった。散歩がてら学校の小道を歩きながら、隣を歩く譲に話しかけた。


「そうですか」


 あれほどやる気満々だった部活動をやめる、といっても譲は特別驚いた風もない。落ち着いた口調でそうとだけ言った。


 現実問題として、まず金銭的な面で難しいことが判明していた。それと、時間の問題。アルバイトと生徒会で、他の時間は削られてしまう。やるからには中途半端にはしたくないし、やはりどう考えても難しかった。


 管弦楽部に入ることはなくなったのだから、演奏会に行かなくてもいいのだけれど、チケットを無駄にすることはない。それをわかってか、譲は天気の良い空を目を眇めて仰いだ。そして、私を再び見て微笑む。


「――今日は、楽しみましょう」

「ええ」


 音楽ホールは、緑に溢れたところにあった。

 木々に囲まれたこぢんまりとした古いホールはなるほど、道堂様のおっしゃった通り風情があった。

 白い壁に蔦が絡まり、独特の雰囲気がある。素敵だった。

 エントランスに受付が設置され、管弦楽部の生徒が案内をしている。


「円華様! ご機嫌よう。来てくださったのですね」


 受付で、小田様に声をかけられる。ちょうど道堂様も近くにいた。


「ご機嫌よう。チケットをありがとうございます。今日は楽しみにしておりますね」

「こちらこそ、来てくれてありがとう」


 嬉しそうな二人に申し訳なくなる。

 期待させるのも悪いので、結論は早々に伝えることにした。


「……申し訳ございません。入部のことなのですが……」


 二人は察したように、少しだけ残念そうになった。


「ああ……。別のところに決めたんだね?」

「いえ。――結局、生徒会をお手伝いすることになって」

「まあ、円華様。謝罪の必要などございませんよ。そんな気もしていました」


 小田様がおっとり微笑んで、ちらりと譲を見た。

 ――ああ、ごめんなさい……。


「ただ、大原様と真中様は私よりずっと残念がると思いますけれど……」


 そうよ、ね。


「せっかく皆様にいろいろ紹介していただいたのに……」

「いいえ。こちらも楽しかったですから。また一緒にどこか行きましょうね? 今度は下心なしにいたしますから」


 小田様は冗談めかして軽く片目を閉じて見せた。そして、私と目を合わせてくすり、と笑う。


「これからも、演奏会にはできる限り伺います。素敵な演奏を聴かせてください」

「えぇ、ありがとうございます」


 小田様は少しも気を悪くした様子も見せず、にこり、と可愛らしく笑ってくれる。それが社交辞令だとしても、どこかでやはり、ほっとした。


「残念だなあ……。ヴィオラをひとり確保できたと思ったのに。久遠くん、ひどいよ」

「申し訳ありません」


 譲は軽く笑って肩を竦めた。恨み言を言った道堂様も、仕方ない、という風に笑った。


「でもさ、音楽好きを増やすのも目的だから。これで管弦楽に少しでも興味持ってくれたら万々歳だよ。――今日は楽しんでいって」

「はい」


 二人に手を振り、会場に入る。

 客席の数はざっと見た限り、五、六百、というところか。

 外観から想像していた通り、それほど大きくはない。しかしきちんとしたホールだった。学校の施設としては充分過ぎる。

 席は半分ほど埋まっていた。


 その中程に大原様と、真中様が座っており、私たちを見つけて手を振って招いてくれた。


「ちょうど二席空いてますよ」

「よろしければ、お隣へどうぞ」


 有り難く、座らせてもらう。大原様、真中様、その隣に私。私の横が譲だ。


「――今日もご一緒なのですね、久遠様……」


 どことなく半眼になって真中様が呟く。

 開始時間にはまだ少し時間もあったから、二人にも小田様にしたような説明を改めてして謝った。


「円華様が謝罪される必要はございませんけれど……」


 大原様も真中様もやはりそう言ってはくれたが、明らかに二人ともがっかりした様子で肩を落とす。ご、ごめんなさい……。


 そして、二人ともじとっとした目で譲を睨んだ。

 真中様が私の横からぬっと首を伸ばして、譲を覗き込む。


「生徒会も、週一でよろしいから、円華様を貸してくださらないかしら?」


 諦めきれないように真中様が呟く。


「紫野くんが決めることだよ。僕に言わないでよ。貸す貸さないって、物じゃないんだから」


 そしてプログラムで、すっと真中様の視線を遮った。譲……、言い方もう少し考えて。


「あ、ほらほら。もうすぐ始まるよ」


 舞台の方へ私たちは視線を戻し、注目した。






 演奏会は素晴らしいものだった。

 こちらの音楽は初めて聴くが、円華の記憶にもある有名な曲を演奏してくれていた。プロには敵わないかもしれないが、中高生が弾いているとは思えない本格的なものだった。


「素敵だったわね……」


 演奏会が終わり、小田様たちに素晴らしかったと感想を述べ、音楽ホールのエントランスで皆様と別れた。

 そのまま帰ろうとすると、譲に引き止められる。


「――少しだけ、お時間もらえませんか?」

「構わないけれど……」


 特別棟の方へ向かうが、建物を通り過ぎて更に歩くとすぐそばに小さめの建物があった。特別棟からも通路が通じているようだが、別に外から出入りできる入口があった。出入り口の手前に職員がいる受付のような小窓があった。


「予約してあった久遠です」


 職員は、番号札を譲に渡す。更にバインダーを差し出された。


「こちらに記入をお願いします」


 そこで、クラスと氏名を記入するように言われた。譲が私の分も記入してくれる。名前の横に番号札の番号を記入していた。書き終わると、譲は職員にバインダーを返した。


「行きましょう」


 促されて、出入り口でスリッパに履き替える。

 ホールを抜けると、廊下の片側にずらりとドアが並んでいた。


「ここは……」


 ドアにはそれぞれ番号がついていた。小窓がついており、僅かに中が覗ける。

 すべての部屋ではなかったが、中には人がいるようだった。


 ――音が。


 ピアノ、ヴァイオリン、オーボエ……。

 ギターに、ベース、歌っている人もいる……。


 様々な音が漏れ聞こえてきていた。


「もともとは音大を受験する生徒のために用意された部屋ですが。クリストフォロスの学生なら予約すれば誰でも無料で使えます」

「今日は土曜日、なのだけれど……」

「土日や祝日でも、朝十時から夜の七時までなら使えます。平日なら朝七時から」

「そうなの……」


 譲は番号札と同じ番号の部屋の前で立ち止まると、ドアを開けた。


「どうぞ、中へ。そちらで少しお待ちください」


 そう言って私を部屋に入れると、譲はどこかへ行った。

 言われた通り部屋に入って中をぐるり、と見渡した。


 アップライトピアノが壁際に設置された、あまり広くはない部屋だった。

 楽器や歌を練習する施設なのだろう。防音効果があるのか、部屋に入ってしまうと、それほど他の部屋の音は気にならなかった。


 部屋の隅に椅子があったので、それに座って譲を待った。

 ほどなく、譲が戻ってくる。


「お待たせしました」


 手にはヴァイオリンケースのようなものを持っている。


「……なあに? 演奏会の次は譲が披露してくださるの?」


 くすり、と笑って私が言えば、譲は軽く首を振った。


「いいえ。弾くのはあなたです」

「私?」


 そのまま、譲にケースを渡された。

 わけもわからず、受け取ってしまう。


「開けてみてください」


 言われるまま、黒いケースを開けた。

 中にはまるで夜空を映し込んだような深い紺色の天鵞絨ビロード生地が張られ、そこに収められていたのは艶やかな楽器だった。


「ヴァイオリン……、いえ、ヴィオラ……?」


 ヴァイオレットが使っていた普通のヴィオラよりは少し小振りな感じがした。ヴァイオリンとほとんど大きさは変わらないかもしれない。ヴィオラは大きさに幅があるが、小さいとされている通常のものより二、三センチくらいは小さいかもしれない。そうなると、もうほとんどヴァイオリンと大きさは変わらない。


 ヴァイオリンに子ども用の分数サイズがあるのに対して、ヴィオラには存在しないと思う。作るとしたら特注品となるのだろうが、普通は身長がある程度大きくなるまでヴァイオリンで練習するものだ。

 ――つまり、これは特注品、なのだろう。


「触っても?」

「ええ、どうぞ」


 ケースから取り上げてみると、ヴァイオレットが使っていた物や、管弦楽部で試し弾きさせてもらったものよりやはり、幾分軽い。


 譲に弓を渡され、弾いてみると、ヴァイオリンよりきちんと五度低い。ヴィオラの深い音がちゃんと出ていた。


「……いい音ね」


 でも、と私はヴィオラをケースに戻した。


「今日は、どうして?」


 譲を振り仰げば、彼はその目元を少し緩めた。


「あなたに、それを渡したくて」


 私はヴィオラに目を落とす。そして、首を傾げて譲を見返した。


「演奏会に来たら、弾きたくなったでしょう?」

「えぇ……でも」


 譲は、ヴィオラにそっと触れた。


「姉が子どもの頃に使っていたものです」

「……お姉様、が?」


 そういえば、いつだったか、お姉様がいるという話をしていたっけ。

 譲のお姉様が使っていたヴィオラ……。


「飽きた姉が僕に押しつけた物でしてね。子どもの頃には僕も弾いていました」

「譲が?」


 オスカーは楽器の手入れはしても、一緒に演奏したことはない。

 だから、譲がヴィオラを弾いていた、ということがピンと来なかった。


「えぇ……。今はもう使っていません」


 懐かしそうにヴィオラに触れ、譲は再びそれを取り上げる。

 そして、私に差し出した。


「あなたに――使っていただきたいのです」

「……管弦楽部に入るつもりはないのよ?」

「えぇ、わかっています。――先日、気落ちされてましたね? 円華様は話題を変えられましたけど。小田くんたちに聞きましたよ。部活動にかかる費用のことを聞かれて、諦めたのでしょう?」


 私は返事の代わりに溜め息を吐いた。

 ――譲に、隠し事をするのはなんて困難なのだろう。


「あなたに施されるつもりは、ないのだけれど」

「――ひどいですね。サプライズプレゼントのつもりだったのですが」

「……私が、喜ぶとでも思って?」

「喜ぶのは、僕ですよ。――音を、思い出せないんです。もう、ずっと……」

「音?」

「あなたの――音、を」


 私を見つめながら、どこか遠くを見るように茫洋とした譲の目に、はっとする。差し出されたものをそのまま受け取ってしまった。


「聴かせて、もらえませんか……?」


 ぎゅっと、ヴィオラを握りしめてしまう。


「あの曲……。何度も自分で弾いたんです。ただ、弾けば弾くほど、あなたの音がわからなくなった。――聴きたくて、何度も」


 譲がそれ以上何か言うのを、止めたかった。

 大きく息を吸って、吐いた。


「――弓を、貸して」


 譲が、ふと微笑んで、弓を渡してくれる。


「……はい」

 

 私は眉を寄せた。


 ――待ち望んでいる音なんて、出せない。円華の指では。


 ――でも。


「いいこと? あなたが覚えているよりずっと、下手よ。覚悟なさいな」

「……えぇ、どうぞ」


 その日、私の前に座った譲に、下手な演奏を披露した。

 

 こんなことでは、足りない。

 埋め合わせになんか、ならない。


 ――譲は、ずるい。


 楽しいのは私ばかりで。楽するのは私ばかりで。


 私は、あなたに何もしてあげられない。


「……や、やっぱり一年くらい、待てない? もう少し練習させて……」

「えぇ……、いくらでも。でも、円華様」

「な、何よ」

「……充分です。この演奏で、僕は充分ですよ」

「うるさいわねえ。意地悪言わないで。こんなものではなくってよ?」


 そうして、言われるまま、私は頭からあの曲をもう一度だけ、繰り返した。


次話は閑話が入ります。

お嬢様への贈り物の裏話です。

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