31 お嬢様、だが断る……か?
「え、ちょ、待ってよ……!」
黒川会長が慌てたように言った。
「君、久遠の彼女でしょ!?」
「違います!」
「えぇ!? じゃあ、女王様と下僕? 下僕の願いは聞いてよ、ご主人様!」
悪化してる……!
「だから、誤解です……!」
思わず両手をテーブルに突いて立ち上がると、抗議した。
や、やっぱり聞いてたのね……!
譲……! どうしてくれるの! 助けるって言ったじゃないの!?
譲を目で捜せば――い、いない!?
会長も譲を捜してか、給湯室の方へ声を上げる。
「ちょっと、久遠! 君の女王様を説得してよ!」
「ですから、違いますから……!」
そもそも『女王様』って、なんですか!?
そこまでの身分じゃありません!
それを言うなら『お嬢様』ですよ。せめて、そこ、ちゃんと聞いていて!?
「まあまあ、会長。そんなに熱くならないでくださいよ。まずは皆でゆっくりティータイムにしましょうよ?」
そう言って、見当たらなかった譲が何やら手にして現れた。
あ。甘い、香り……。
立ち上がっていた私の前にすっと、ケーキの乗った皿が置かれる。
いつの間にか、お下げ髪の山口様も給仕に回っていた。
見れば、いかにも高級そうな美しいケーキがそこにあった。
黒い生地が何層かになった断面が見え、その周りは白いクリームでコーティングされている。ケーキの上には艶やかで紅いフルーツが乗っている。
「はい、紫野くんも座って」
軽く肩に手を置かれ、そのまますとん、と席についてしまった。
「久遠様の手作りだそうですよ」
皿を出しながら、山口様が微笑む。
「え、そうなの? てっきり、食堂のシェフが用意したものだと……。和菓子は何度かもらったけど、洋菓子も作れるんだ?」
黒川会長が感心したようにペンを置くと、席につく。
他の役員たちも感心したように皿を見つめている。
「シュヴァルツヴェルダー・キルッシュトルテです」
譲が呪文のような名前を口にした。
姫宮様が、僅かに首を傾げる。
「あら、フォレ・ノワールかと思いました。以前フランスでいただいたものによく似ていましたから……」
譲が姫宮様に頷いた。
「ああ……、フォレ・ノワールですよ」
あっさりと譲に言われて不思議そうに見返した姫宮様に、山口様が補足してくれた。
「アルザス地方のケーキですから。もともとはドイツのお菓子なのです。ドイツ語ではそう呼ぶのですね。直訳すると『黒い森のさくらんぼケーキ』、でしょうか。フランスでは『さくらんぼケーキ』の部分が抜けて広まってしまったようですね」
フランス語でフォレ・ノワールは「黒い森」という意味のようだ。
さくらんぼケーキ、ということは、このちょこんと乗っている紅い艶やかなフルーツはさくらんぼなのだろうか。
どんな味なのかしら……。
私は、喉がこくり、と音を立てそうなのを必死で抑えた。
「家にサワーチェリーの冷凍のが残ってたので、ちょうどいいから作ってみたんですよ。キルシュもたっぷり入れましたから、わりと本格的になったと思うんですが」
さらりと言う譲に、黒川会長が唸った。
「『わりと』とかいうレベルじゃないと思うけど……」
「味もそうだといいですけど。――さ、どうぞ」
譲が皿を掌で指してにこり、と私に微笑む。
「い、いえ、そんな。こんな高級そうなものを無料でいただくわけには……」
直感的にふるふると首を振れば、譲は微笑んだまま、私の前のフォークを手に取り、すっとひとくち分、切った。それをフォークに乗せ、私の口の前に差し出す。
クリームと、「黒い森」のような生地、それに艶やかなチェリー。綺麗にそれがフォークに乗せられている。
い……、いやいやいや、どうせよと!?
「僕が作ったものだから大丈夫。さぁ、気にせず食べて」
「いえ、だから……」
甘い匂い。
「美味しそうでしょう?」
そりゃあ、もう……。
「――生徒会に入れば、毎日君のために美味しいものを作りましょう。僕の作った美味しいもの、食べ放題だよ?」
美味しいもの、食べ放題……。
「え……、無料で?」
「もちろん、無料で。紅茶、緑茶、コーヒー、フルーツドリンク――飲み物もなんでも飲んで構わない。それが、生徒会特権」
目の前のケーキを口の前で譲が右に、左に僅かに動かす。
思わず私の目はそれにつられて動いてしまう。
譲はくすり、と笑みを落とした。
そのフォークを持っていない左手が私の顎にそっと触れた。微かに顎が上向いて、向けた先の譲と正面から目が合う。
「『生徒会は美味しい』ってそういう意味だよ?」
「あ、なるほ……、うぐ?」
つい相づちを打ちかけて、口を開けた瞬間に、甘いものが飛び込んで来た。
……う。
お、おい、し、い……!!
ふわわ、と頭の中に花が咲き乱れるような、目の前がチェリー色に染まったような、うっとりとした甘さに満たされる。
あまい……。
美味しい……。
「もっと?」
「えぇ……」
あーん、と目の前に出されるひとくち分を、無意識にぱくり、と口にしてしまう。
甘い、けれど甘すぎない、上等な蒸留酒の香りがする。ココア生地にたっぷり入っているのだ。だから、生クリームたっぷりでもくどくない。そして、フルーツの上品な酸味。
うん……、美味しい……、すごく……。
頬が緩み、なけのしの理性はどこかへ行ってしまい、にこにこしてしまう。
「まだまだあるから好きなだけ食べてね」
譲の手は私の顎から外れ、フォークはそっと取り上げられた私の右手にいつの間にか握らせている。
「――はい、会長、今です」
譲のその声は、ぼんやりと頭の上で聞こえたような気がした。
私は、そっと、もうひとくち、今度は自分の手で食べてみる。
うん、幸せ……。
「紫野くん、生徒会に入れば、こんなお菓子いつでも食べていいからね?」
黒川会長の声が遠くから聞こえる。
「はい……?」
「生徒会、入る、よね?」
「はい……」
条件反射のように、夢見心地で頷いていた。
……あれ?
「……どうしよう、久遠。チョロいよ!? ケーキになんか入れたの!?」
「入れてません。でも、言質は取りましたね。彼女は、もう断れませんよ。一度言ったからには、やる人です」
「……怖。大丈夫?」
「大丈夫です」
「だ、大丈夫、かなあ……?」
生徒会室の方たちが、不安そうに私を見つめていたことに、私は気づかなかった。
だって、美味しかったのですもの……。
◇◇◇
「で、さあ……、なんで姉ちゃんはあんな隅っこでどんより三角座りしてるの?」
帰って来るなりどんよりしている私をよそに、夕飯の支度をしながら、凌久が譲に尋ねている。
粗方の経緯を聞いて、凌久は呆れたように私を見た。
「食べ物に釣られるって、我が姉ながら……。だいたい、久遠さんの作ったものなんか、いくらでも家で食べれるじゃん。そもそも、頼まなくったって、お菓子くらい毎日作ってくれるんじゃないの?」
「――お望みとあらば」
「ほらー。ヴァイオレットって、完璧な令嬢じゃなかったの? ちょっと、あんまりにもチョロすぎるような……」
「ヴァイオレット様も意外と抜けているところがあったよ」
「そうなの?」
「そう。純粋で可愛らしい方だった」
「じゃあ、ヴァイオレットもオスカーさんがフォローしてたのかぁ」
耳に痛い話が際限なく続きそうで、どんより、が加速する。
「譲の嘘つき……」
助けるって、言ったのに。守るって……。
守るどころか、むしろ策略に嵌めたわね……。
あんな美味しい罠を用意してるなんて……。
「いや、結果としては良かったでしょ? 姉ちゃん」
「……放っておいて……」
私は、今、一番自分に幻滅しているのよ。
なあに、あの、お間抜けな結果は?
ヴァイオレットだったらあり得ない、うっかり、頭お花畑具合は……!
実際目の前に花が舞ってたわよ……!
そりゃあ、立派な花吹雪でしたわよ……!
何、あの美味しさ……! 天国か……!
――私、こんなに食い意地のはった女の子だったかしら?
……絶対、円華が混じりこんでいるからだ。
それと、この世界の食べ物が驚異的に美味しいばかりに……。ああ、悔しい……!
情けなくて、抱えた膝に顔を伏せてしまう。うぅ……。
「俺もちょっと安心したよー。でも、久遠さんはいいの? こんな騙し討ちみたいな」
凌久が心配そうに譲に問う。
「僕はお嬢様を守るためなら、手段は問わないから。たとえ、怒りを買ったとしても」
譲が私に近づいてきて、正面に膝をつく気配がする。
膝に伏せた頭をそっと、撫でられた。
「……怒ってますよね?」
「……あなたに、じゃ、ないわ。自分の欲深さに、幻滅してるだけ」
「やめますか? ――いいですよ。こんな、騙し討ちのような方法でしたし。生徒会の面々も、心配してましたよ」
私は顔を伏せたまま、頭を撫でる譲の手を握った。
「……やるって言ったからにはやるわよ」
そろっと目を上げれば、苦笑するような譲の笑み。
悔しくなって、譲の右手を掴んで下ろすと、両手でぎゅっと握った。
正面から、譲を睨む。
「その代わり、毎日美味しいお菓子を焼いてちょうだい。当然、材料費は生徒会持ちよね?」
譲はくすぐったそうに微笑むと、私が掴んでいない方の手で私の両手を取り上げた。軽く口づけられる。
「御意。日替わりでご用意いたします」
私たちのやり取りに、凌久は呆れたように溜め息を吐いた。
「……食べ過ぎて、太らないでよ」
「……うっ」
庶務の山口麻衣が意外とお菓子に詳しい理由とは?
彼女の部活動での一日を番外編に書きました。同時更新しています。
https://book1.adouzi.eu.org/n3902hi/5/
よろしければ、そちらもどうぞ。




