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お嬢様は平穏無事な日常をお望みです  作者:
第三章 一年生 春
42/79

31 お嬢様、だが断る……か?


「え、ちょ、待ってよ……!」


 黒川会長が慌てたように言った。


「君、久遠の彼女でしょ!?」

「違います!」

「えぇ!? じゃあ、女王様と下僕? 下僕の願いは聞いてよ、ご主人様!」


 悪化してる……!


「だから、誤解です……!」


 思わず両手をテーブルに突いて立ち上がると、抗議した。

 や、やっぱり聞いてたのね……!

 譲……! どうしてくれるの! 助けるって言ったじゃないの!?


 譲を目で捜せば――い、いない!?


 会長も譲を捜してか、給湯室の方へ声を上げる。


「ちょっと、久遠! 君の女王様を説得してよ!」

「ですから、違いますから……!」


 そもそも『女王様』って、なんですか!?

 そこまでの身分じゃありません!

 それを言うなら『お嬢様』ですよ。せめて、そこ、ちゃんと聞いていて!?


「まあまあ、会長。そんなに熱くならないでくださいよ。まずは皆でゆっくりティータイムにしましょうよ?」


 そう言って、見当たらなかった譲が何やら手にして現れた。


 あ。甘い、香り……。


 立ち上がっていた私の前にすっと、ケーキの乗った皿が置かれる。

 いつの間にか、お下げ髪の山口様も給仕に回っていた。

 見れば、いかにも高級そうな美しいケーキがそこにあった。

 黒い生地が何層かになった断面が見え、その周りは白いクリームでコーティングされている。ケーキの上には艶やかで紅いフルーツが乗っている。


「はい、紫野くんも座って」


 軽く肩に手を置かれ、そのまますとん、と席についてしまった。


「久遠様の手作りだそうですよ」


 皿を出しながら、山口様が微笑む。


「え、そうなの? てっきり、食堂のシェフが用意したものだと……。和菓子は何度かもらったけど、洋菓子も作れるんだ?」


 黒川会長が感心したようにペンを置くと、席につく。

 他の役員たちも感心したように皿を見つめている。


「シュヴァルツヴェルダー・キルッシュトルテです」


 譲が呪文のような名前を口にした。

 姫宮様が、僅かに首を傾げる。


「あら、フォレ・ノワールかと思いました。以前フランスでいただいたものによく似ていましたから……」


 譲が姫宮様に頷いた。


「ああ……、フォレ・ノワールですよ」


 あっさりと譲に言われて不思議そうに見返した姫宮様に、山口様が補足してくれた。


「アルザス地方のケーキですから。もともとはドイツのお菓子なのです。ドイツ語ではそう呼ぶのですね。直訳すると『黒い森のさくらんぼケーキ』、でしょうか。フランスでは『さくらんぼケーキ』の部分が抜けて広まってしまったようですね」


 フランス語でフォレ・ノワールは「黒い森」という意味のようだ。

 さくらんぼケーキ、ということは、このちょこんと乗っている紅い艶やかなフルーツはさくらんぼなのだろうか。

 どんな味なのかしら……。


 私は、喉がこくり、と音を立てそうなのを必死で抑えた。


「家にサワーチェリーの冷凍のが残ってたので、ちょうどいいから作ってみたんですよ。キルシュもたっぷり入れましたから、わりと本格的になったと思うんですが」


 さらりと言う譲に、黒川会長が唸った。


「『わりと』とかいうレベルじゃないと思うけど……」

「味もそうだといいですけど。――さ、どうぞ」


 譲が皿を掌で指してにこり、と私に微笑む。


「い、いえ、そんな。こんな高級そうなものを無料でいただくわけには……」


 直感的にふるふると首を振れば、譲は微笑んだまま、私の前のフォークを手に取り、すっとひとくち分、切った。それをフォークに乗せ、私の口の前に差し出す。

 クリームと、「黒い森」のような生地、それに艶やかなチェリー。綺麗にそれがフォークに乗せられている。



 い……、いやいやいや、どうせよと!?



「僕が作ったものだから大丈夫。さぁ、気にせず食べて」

「いえ、だから……」


 甘い匂い。


「美味しそうでしょう?」


 そりゃあ、もう……。


「――生徒会に入れば、毎日君のために美味しいものを作りましょう。僕の作った美味しいもの、食べ放題だよ?」


 美味しいもの、食べ放題……。


「え……、無料で?」

「もちろん、無料で。紅茶、緑茶、コーヒー、フルーツドリンク――飲み物もなんでも飲んで構わない。それが、生徒会特権」


 目の前のケーキを口の前で譲が右に、左に僅かに動かす。

 思わず私の目はそれにつられて動いてしまう。

 

 譲はくすり、と笑みを落とした。


 そのフォークを持っていない左手が私の顎にそっと触れた。微かに顎が上向いて、向けた先の譲と正面から目が合う。


「『生徒会は美味しい』ってそういう意味だよ?」

「あ、なるほ……、うぐ?」


 つい相づちを打ちかけて、口を開けた瞬間に、甘いものが飛び込んで来た。


 

 ……う。



 お、おい、し、い……!!



 ふわわ、と頭の中に花が咲き乱れるような、目の前がチェリー色に染まったような、うっとりとした甘さに満たされる。



 あまい……。


 美味しい……。



「もっと?」

「えぇ……」


 あーん、と目の前に出されるひとくち分を、無意識にぱくり、と口にしてしまう。


 甘い、けれど甘すぎない、上等な蒸留酒の香りがする。ココア生地にたっぷり入っているのだ。だから、生クリームたっぷりでもくどくない。そして、フルーツの上品な酸味。



 うん……、美味しい……、すごく……。



 頬が緩み、なけのしの理性はどこかへ行ってしまい、にこにこしてしまう。


「まだまだあるから好きなだけ食べてね」


 譲の手は私の顎から外れ、フォークはそっと取り上げられた私の右手にいつの間にか握らせている。


「――はい、会長、今です」


 譲のその声は、ぼんやりと頭の上で聞こえたような気がした。


 私は、そっと、もうひとくち、今度は自分の手で食べてみる。

 うん、幸せ……。


「紫野くん、生徒会に入れば、こんなお菓子いつでも食べていいからね?」


 黒川会長の声が遠くから聞こえる。


「はい……?」

「生徒会、入る、よね?」

「はい……」


 条件反射のように、夢見心地で頷いていた。





 ……あれ?





「……どうしよう、久遠。チョロいよ!? ケーキになんか入れたの!?」

「入れてません。でも、言質は取りましたね。彼女は、もう断れませんよ。一度言ったからには、やる人です」

「……怖。大丈夫?」

「大丈夫です」

「だ、大丈夫、かなあ……?」


 生徒会室の方たちが、不安そうに私を見つめていたことに、私は気づかなかった。


 だって、美味しかったのですもの……。






◇◇◇






「で、さあ……、なんで姉ちゃんはあんな隅っこでどんより三角座りしてるの?」


 帰って来るなりどんよりしている私をよそに、夕飯の支度をしながら、凌久が譲に尋ねている。

 粗方の経緯を聞いて、凌久は呆れたように私を見た。


「食べ物に釣られるって、我が姉ながら……。だいたい、久遠さんの作ったものなんか、いくらでも家で食べれるじゃん。そもそも、頼まなくったって、お菓子くらい毎日作ってくれるんじゃないの?」

「――お望みとあらば」

「ほらー。ヴァイオレットって、完璧な令嬢じゃなかったの? ちょっと、あんまりにもチョロすぎるような……」

「ヴァイオレット様も意外と抜けているところがあったよ」

「そうなの?」

「そう。純粋で可愛らしい方だった」

「じゃあ、ヴァイオレットもオスカーさんがフォローしてたのかぁ」


 耳に痛い話が際限なく続きそうで、どんより、が加速する。


「譲の嘘つき……」


 助けるって、言ったのに。守るって……。

 守るどころか、むしろ策略に嵌めたわね……。

 あんな美味しい罠を用意してるなんて……。


「いや、結果としては良かったでしょ? 姉ちゃん」

「……放っておいて……」


 私は、今、一番自分に幻滅しているのよ。

 なあに、あの、お間抜けな結果は?

 ヴァイオレットだったらあり得ない、うっかり、頭お花畑具合は……! 

 実際目の前に花が舞ってたわよ……! 

 そりゃあ、立派な花吹雪でしたわよ……! 

 何、あの美味しさ……! 天国か……!


 ――私、こんなに食い意地のはった女の子だったかしら?


 ……絶対、円華が混じりこんでいるからだ。


 それと、この世界の食べ物が驚異的に美味しいばかりに……。ああ、悔しい……!


 情けなくて、抱えた膝に顔を伏せてしまう。うぅ……。


「俺もちょっと安心したよー。でも、久遠さんはいいの? こんな騙し討ちみたいな」


 凌久が心配そうに譲に問う。


「僕はお嬢様を守るためなら、手段は問わないから。たとえ、怒りを買ったとしても」


 譲が私に近づいてきて、正面に膝をつく気配がする。

 膝に伏せた頭をそっと、撫でられた。


「……怒ってますよね?」

「……あなたに、じゃ、ないわ。自分の欲深さに、幻滅してるだけ」

「やめますか? ――いいですよ。こんな、騙し討ちのような方法でしたし。生徒会の面々も、心配してましたよ」


 私は顔を伏せたまま、頭を撫でる譲の手を握った。


「……やるって言ったからにはやるわよ」


 そろっと目を上げれば、苦笑するような譲の笑み。

 悔しくなって、譲の右手を掴んで下ろすと、両手でぎゅっと握った。

 正面から、譲を睨む。


「その代わり、毎日美味しいお菓子を焼いてちょうだい。当然、材料費は生徒会持ちよね?」


 譲はくすぐったそうに微笑むと、私が掴んでいない方の手で私の両手を取り上げた。軽く口づけられる。


「御意。日替わりでご用意いたします」


 私たちのやり取りに、凌久は呆れたように溜め息を吐いた。


「……食べ過ぎて、太らないでよ」

「……うっ」


庶務の山口麻衣が意外とお菓子に詳しい理由とは?

彼女の部活動での一日を番外編に書きました。同時更新しています。

https://book1.adouzi.eu.org/n3902hi/5/


よろしければ、そちらもどうぞ。

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