29 お嬢様、生徒会室に踏み込む
特別棟の特別教室は、本校舎と同じようにドアは引き戸だが、生徒会室だけは違った。深い焦げ茶の重厚な二枚扉で、ドアノブは真鍮に見えた。重々しく開けられた扉の先にはサンルームのように明るく、広々とした部屋が広がっていた。
「どうぞ入って――紫野くん」
扉を押さえた会長はにこりと笑って私を促す。
思わず譲を見上げれば、彼も頷いて私の背をそっと押した。
一足踏み入れたそこは、ふかり、と厚い絨毯に覆われていた。
繊細な模様が編まれた高級な絨毯に思わず目を奪われ、一歩室内に入ればその天井の高さに溜め息を吐く。
広々とした空間にはいくつかソファーとテーブルのセットが置かれ、奥の方には楕円形の大きなテーブルと美しいさまざまな椅子がぐるりと設置されていた。その向こうは大きくとった窓と、さらにその外はテラスのようだった。
ヴァイオレットの屋敷のサロンよりは狭いが、居心地良さそうな空間は負けず劣らず、という風情だった。
背後でガチャリ、とドアの閉まる音がして振り返る。
「校内でも有数の陽当たりの良さなんだよ。明るいでしょう? ――ようこそ、生徒会室へ」
不思議と足音がしない歩き方で会長が部屋の中央へ歩いていく。
会長はどうも猫のように、軽い歩き方をする。近づくまで気配を感じなかったのはきっとこのせいだ。その場にいると存在感はあるのに、背後に立たれると気配を感じさせない。
それを意識してやっているとするならば、少し恐ろしい、と思ってしまう。
「全員はいないけど、現生徒会役員を紹介するよ。どうぞ、奥のテーブルへ。――みんな、新しい役員候補がいらっしゃったよ」
会長がそう声をかけると、方々のソファーからぱらぱらと人が立ち上がった。
男子生徒も女子生徒もいる。皆、にこやかにこちらを見ているが――こういう雰囲気は覚えがあった。
ヴァイオレットだった頃の社交界。にこやかに微笑みながら品定めをする貴族たちのあの雰囲気だ。
自然と背筋が伸びる。そんな私に譲はそっと近づいて囁いた。
「……大丈夫ですよ。僕がお守りしますから」
私はこくり、と頷いた。
落ち着いたら、紅茶の香りに気がついた。ずいぶんと薫り高い。――銘柄はわからないがおそらく高級品だ。そして、甘い香り。たぶんお菓子の。美味しそうな……。
ゆっくりと大テーブルに近づいていく。
生徒会室にいた生徒がテーブルにつき、会長が指し示した席を譲が引いてくれる。その席に座る。
「僕から自己紹介しようか」
会長が、にこり、と笑った。
「僕は黒川満。三年生で、会長だよ」
「はじめまして。紫野円華です」
「久遠から概要は聞いてる?」
「簡単なことだけですが」
「聖クリストフォロス学院は、とにかく生徒主体、ほとんどの行事が生徒会主催で執行部は常に人手不足なんだ。選挙に立候補できる人材も限られてる。来期の生徒会執行部役員の確保のためにも、優秀な人材は積極的にスカウトするようにしているんだ」
「はい。そう、伺いました」
会長は軽く頷く。
「君にも良かったら、事務局員として手伝ってほしいんだ」
「事務局員……」
「正式な役員じゃなくて、ボランティア、みたいなものなんだけど」
会長がそこまで言った時、目の前にカチャリ、とソーサーに乗ったカップが置かれた。白地にほんのりと花の柄が浮かぶ美しい茶器だった。繊細な薄いカップに紅い茶が映える。ふわり、と香る紅茶の薫りに、差し出された長い指を思わず辿る。
「――会長。まずは、生徒会の役員を紹介なさったらどうですか」
差し出したのは譲だった。
見れば、譲の他に眼鏡をかけた女子生徒が、紅茶を配っていた。
「今日のお茶は久しぶりに久遠様が淹れましたのよ」
眼鏡の女子生徒が会長にお茶を出しながら、そう口添えた。
「ああ……、久しぶりだね。久遠のお茶は美味しいから。彼にお茶を淹れさせられるのも生徒会特権だね」
会長がひと口飲んで、美味しそうに目を細め、それから私にも促す。
「良かったら、どうぞ」
私はありがたく、お茶をいただいた。かぐわしい紅茶の香り。
――美味しい。
紫野家ではまず口にできないような、高級な茶葉が使われている。
さすが、譲が淹れただけあって、私の好みによく合っていた。
……そうだ、オスカーはヴァイオレットによくお茶を淹れてくれた。
作法の教師より、よほどオスカーの方が美味しいお茶を淹れられた。王妃殿下もいらっしゃるお茶会ではオスカーのやり方を真似て、褒められたことがあった。
たとえ、そばにいなくても、オスカーはそうやって私を助けてくれた。
――今は譲が、そばにいてくれる。
そう思うと、少しだけ気持ちが落ち着いた。




