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お嬢様は平穏無事な日常をお望みです  作者:
第三章 一年生 春
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28 お嬢様、再び渡り廊下を渡る


「円華様、ずいぶん気落ちしてるように見えますが、どうしましたか?」


 相変わらず校門で合流し、当然のように鞄を取り上げられて、一緒に帰りながら譲が不思議そうに訊いてくる。がっくりきているのはお金問題なのだが、とりあえずそれは置いておいて、宗像むなかた先生のことを話すことにした。


「……あなた、担任に不審がられているわよ」

「不審、って」


 首を傾げて思い当たる節を探したのか、譲がふっと笑った。


「……ああ、円華様を特別扱いしてるから。それを?」

「そう。……もう少し、他人に興味持った方がいいわよ。ほら、あなた、きっとこちらでも当たり障りなく皆に優しくしたのでしょう?」

「よく、ご存知で」

「……やっぱり」 


 敏感な人なら、譲の胡散臭い微笑みにきっと気づくはずだ。

 譲は苦笑、とも違う笑みを零した。複雑で、少し寂しげで、それでいてどこか嬉しくて堪らないとでもいうような。


「……特別な人は作る気がしなかったので」


 譲が、私から視線を外して、遠くを見たような気がした。

 口元に綺麗な微笑みがあった。


「あなたに出会えた時、あなた以上に大切な人がいては困るから……」


 ふと、私はオスカーの記憶を持ったまま生きてきたこの人の年月を思い出して、胸が苦しくなる。――もしかして、本当にずっと、ひとりで過ごしてきたのだろうか。出会えるか出会えないかわからない、私のために。

 そこまでの義理立てはいらない――とは、軽々しく私は言えなかった。

 オスカーなら、きっと本当に自分の意志を通してきたのだろう。

 ヴァイオレットはそんなことは望んでいなかったが、結果としてそれを強いてしまった。苦い想いが胸に重い。


 ――オスカーは、もう自由になっていいはずなのに。

 

 今世なら、オスカーは解放されるかもしれない。いや、もう解放されなければならない。

 私が望むように生きられるなら、オスカーも譲としての人生をきっと選べるだろう。そうなってほしい。


 ――それにはきっと、私はそばにいない方がいいのだろうけれど。


「……少しは、自分の幸せを考えて」


 だが、そばにいないで、とは言えなかった。

 私から離れなさい、と命令もできなかった。

 呟くように、そう言うのが精一杯だった。


 譲が軽く息を吐くようにして、私に視線を戻した。


「……今が、一番幸せですよ」


 そして、いつものように微笑む。


「あなたに変な虫がつかないよう、存分に特別扱いすることにしましたから、覚悟しておいてください。周囲に気づかれたり誤解されるなら、そうさせておきます。むしろ好都合ですよ。僕というガードを軽々飛び越えるような奴でないと、あなたの相手とは認められません」

「あなた、お父様の代わりにでもなるつもり?」

「お父上よりも手強いつもりですよ。――そんな相手が現れないことを望みますけど、ね」

「私が結婚するのも大変そうね」


 現代日本なら、独身のまま過ごすことが肩身の狭いことでも特別なことでもないようだ。記憶を探ってみても、円華のプランの中に『結婚』という文字は一切浮かばなかった。むしろ、真剣にひとりで生きていく将来を考えていたようだ。

 私も別に結婚しなくても全く問題ないのだが、そうすると本当に譲はずっと私が縛りつけてしまうことになるかもしれない。それが、少し、怖い。


 冗談のように軽く言えば、譲も軽い調子で返してくる。


「……き遅れたら、責任取りますよ?」

「そうならないことを願っているわ」


 ――心底、そう思うわ。

 可愛くて、優しい、譲だけを大切にして愛してくれる彼女ができるといい。

 彼を、幸せにしてくれる、誰か。

 必ず、どこかにいるはずだ。

 彼がその人に出会えたなら、私は全力で応援する。

 そう、心の中で誓った。






 私を家まで送り届け、帰りしな、譲が思い出したように言った。


「明日で短縮授業が終わりますけど、明日こそ生徒会室までお付き合い願えませんか。部活動見学は粗方終わったのでしょう? 今度こそ、僕に付き合ってください」


 ――雨に濡れた子犬のような目でこちらを見るのはやめて。


「う……、わ、わかったわよ。行くだけよ? 顔を出したらすぐ帰るから。それで勘弁してちょうだい」


 雨に濡れた子犬は、急ににやり、と笑う。


「結構です。来てくださるだけで」


 なんか企んでないかしら……。

 行ったら断れない予感をものすごく感じながら、帰っていく譲に手を振った。






 翌日、放課後。授業が終わるや否や、ノートなどを片付けている間に机の前には譲が立っていた。身支度完璧で、顔には微笑み。


「今日は逃がさないよ? 紫野くん」


 にっこりと微笑む譲に、私は思わず溜め息を吐きそうになる。


「……わかっています。付き合いますわ」

「では、お嬢様。こちらへ」


 教室の出口へ優雅に手を差し伸べた。


「それ、やめてくださいって言いましたよね?」


 譲は悪びれた風もなく楽しそうにくすり、と笑った。


「失礼。では、聖クリストフォロス学院生徒会室へご案内するよ」


 私はとうとう溜め息を吐いてしまった。


 ――仕方ない。行きたくはないけれど。


「それでは皆様、ご機嫌よう」

「ご機嫌よう、円華様」


 溜め息を振り払うと、教室に残っていたマトリョーシカ三人組やクラスメイトに挨拶して、譲の後を追う。


 初日に辿った経路を改めて歩く。

 本校舎の一階へ降り、特別棟へ向かうため渡り廊下を通る。廊下の左手に目をやれば、あの日舞い散っていた桜はもうほとんど散ってしまっていた。葉桜の緑が眩しいくらいだ。

 少し前を歩く譲の背中を見る。

 ――あの時は、まだ譲が誰だかわかっていなかった。

 たった数日でこんなことになるなんて。予想もしていなかった。


 そんなことをぼんやり思っていると、ふと足を止めて譲が振り返る。


「――何?」


 その頬が微笑を湛えているので、問えば譲は笑みを深める。


「いいえ。この前は、ただの同級生だと思ってここを歩いていたのに、と思って」


 歩き出した譲について、私も歩き出しながら苦笑した。

 ……同じことを考えている。


「あなたはずいぶんと強引だったけれど、ね」

「――お許しください。何しろ必死だったもので」

「……会えて、良かったわ」


 私がそう呟けば、驚いたように振り返った。

 

「? そうでしょう? 何驚いているのよ」


 譲が慌ててパッと前を向いた。長い指がその顔の半分を覆う。

 ほんのりと赤くなっているようで、逆に私が驚いてしまう。

 何、その反応?


「……い、いえ。予想していない発言だったので」

「なぜ、赤くなるのよ? 当たり前でしょう? あなたに会えて、嫌なわけないでしょう?」


 そりゃあ、避けてたりもしたけれど。

 あれはオスカーにしてしまった取り返しのできないことを悔いていたから。怯えていたのだ。オスカーを――譲本人を嫌っていたからでは決してない。


 ――譲の今までのことを考えたら、本当に会えて良かったと思っている。

 譲のために、何かできることがあるなら、私はしていかなければならない。

 二人でいると昔の関係に戻ってしまうから、つい『お嬢様』と『従者』になってしまうのだけれど。

 ……返しても返しきれない恩があるのだ。

 譲本人には言うつもりはないけれど、少しずつ、返していければと思っている。


 特別棟を三階まで上がり、長い廊下を奥へ向かって歩いていく。


「……嫌がられていると思っていました」

「それは、困るようなことをあなたがするからでしょう。もう主従ではないのだから、その辺りはわきまえていただかないと、私も困るの」

「……難しいですね」

「普通に同級生として接してくれたらいいのに」

「…………難しいですね」


 二回言ったわね。


「努力なさって、譲様」

「ふふっ……、善処します」

「……あなたのこと、嫌いになれるわけないでしょう? わかっていて?」

「――御意」

「だから、それが大げさだって言ってるのに……」

「――ずいぶん仲良しだね?」


 突然、二人の会話に第三者の声が入って私たちはびくりと足を止めて声の主を振り返った。


 そこには、不思議そうにくるりと目を見開いた男子生徒が立っていた。

 中肉中背、真面目そうなおとなしい顔立ち。襟章は『T』――三年生だ。


『け、気配しなかったわよね……!?』


 思わず、前世の言葉で譲に囁いてしまった。譲が渋い顔でこくり、と頷いたあと、顔ににこりと胡散臭い笑みを貼り付けた。


「会長。いつからそこに?」


 会長なの、この方!?

 

「んー? 今さっき」

「……どのあたりから聞いてました?」

「『努力なさって、譲様?』」


 セ、セーフ!? 主従、とか聞かれてない!?


「よりちょっと前?」


 セーフじゃない!?


「生徒会室の近くでいちゃいちゃしてるから思わず気配殺しちゃったよ。君に恋人がいたなんて知らなかったよ。びっくりした」

「あの、別に恋人とかではございませんから……! 誤解なきようお願いします……!」


 私が慌てて訂正すれば、会長は「ふうん?」と不思議そうに呟いた。


「そうなの? 別に否定しなくていいのに」

「いえ! 本当に! 久遠様の名誉のためにも! 恋人などと言われては困ります!」


 そこで会長はくすり、と笑った。


「そんなに全力で否定したら久遠が可哀想だよ。ほら、無になってる」


 はっとして譲を見れば、遠い目をした彼がそこにいた。なんでちょっと悲しそうなのよ!? 事実じゃないって否定しなさいよ!


「……会長。彼女が紫野円華くんです」

「あっ、そうなんだ。振られ続けてるから仲悪いのかと思った。なんだー、口説き落としたのかー」

「残念ながら今のところ落とせてはないですが……。とりあえず、見学に」

「全然仲良さそうなのに。ね、カノジョさん?」

「あの、だから、違います……!」

「まあまあ、そんなこと言わずに」


 にこにことして、会長は私たちを追い抜き、少し先、廊下の突き当たりのドアに手をかけた。カチャリ、とドアノブに手をかけ、それを開いていく。


「さあ、どうぞ、生徒会室へ」


 開いた先に、生徒会室があった。

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