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お嬢様は平穏無事な日常をお望みです  作者:
第三章 一年生 春
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27 お嬢様、担任と話す

 翌日、朝のホームルームが終わると、担任の宗像(むなかた)先生に呼び止められた。


「紫野くん。この前言ってた申請書渡すから、放課後にでも化学準備室に来てくれ。すまなかったな、遅くなって。バタバタしてたのが、やっと少し落ち着いたよ」

「お忙しいところ、ありがとうございます。放課後、伺います」


 アルバイトの申請書のことだ。

 先日、先生にお願いしていたのだった。

 新学期開始直後で、先生も忙しかったらしい。申請書の記入方法などの説明に時間を取らねばならないから、少し落ち着くまで待ってくれないか、と言われていた。


 部活動の見学に行く前に化学準備室に向かう。

 化学準備室は特別棟の三階にある。化学室の隣にある準備室のドアをノックする。


「どうぞ」


 中から宗像先生の返事がする。


「失礼します」


 声を掛けてからドアを開けた。

 入るとコーヒーの香りがした。 

 窓際にある流しの前で、立ってカップにコーヒーを注いでいた先生が顔だけ振り返って私を見た。気のせいでなければビーカーから注いでいる。あちち、と先生が呟いた。……そりゃあ、熱いでしょうよ。取っ手もないガラス容器なんですから。よく持てますね。というより、実験器具でコーヒーを入れるのはどうなんでしょう。


「おう、悪いな、わざわざ来てもらって。そのへん、適当に座って」


 無精髭にスクエア型の縁なし眼鏡、白衣にボサボサの髪。

 たぶん、父さんと同じくらいの年だと思う。真っ当な勤め人には見えない。教師という堅苦しさよりも研究者という風情がある。


 化学準備室の壁面は上半分がガラスのキャビネットで、下半分は引き戸になっている。キャビネットには化学関係の本や何かのファイルがぎっしりと、若干あふれ気味に収められている。

 部屋の中央に机が四つ。島のように置かれ、先生は奥にある窓側の席に座った。他にも化学教師はいるはずだが、今は宗像先生ひとりだった。

 適当に座って、と言われたが、他の先生の席なのではないだろうか。

 勝手に座ってよいものか、私が躊躇していると、先生が隣の席の椅子をガラガラと自分の横に引き寄せた。


「ん。どうぞ」


 手で示されたので、座らせてもらうことにした。


「失礼します」


 礼を言って座る。


「コーヒー飲むか?」

「いえ、結構です」


 ビーカーで入れたものはあまり飲みたい気がしない。

 私が首を振れば、先生は苦笑した。


「実験用のビーカーじゃなくて、コーヒー用だから安心して飲んでくれて大丈夫だけど」

「お気遣いありがとうございます。ですが、用紙をいただいたらすぐおいとまいたしますから」


 にこり、と微笑めば、先生は少しだけ肩を竦めた。


「そうか。じゃあ、忘れないうちに用紙の方、渡しとく」


 そうして、申請書を渡された。細々した書き方の説明などを受けるが、すぐにそれも済む。


「必須なのは、保護者の署名と捺印、あとは勤務先の責任者の署名捺印。それと君自身の志望理由だな」

「はい」

「それを提出してもらって、学校側で調査と検討をする。結果が出るまでに、提出後だいたい一週間くらいは待ってもらうことになる。悪いが、決まりだからな」

「はい。わかりました。ありがとうございました」


 私は立ち上がって軽く礼をした。

 さて部活動見学に行こう、とドアの方に行こうとすると、先生に慌てたように引き止められた。


「待て待て。申請書渡すためだけにわざわざ呼び出したと思ってるのか?」

「はい?」


 申請書以外に用が何かあるのだろうか。

 まだ学校も始まったばかりだし、注意されるようなことをしたつもりはない。


「申請書以外に、何かご用事が?」


 すっかり首を傾げてしまい、そう問うと、苦笑して宗像先生は頭をガシガシ掻いた。


「……まあ、座れ」

「はい」


 小さく溜め息を吐いて、宗像先生もガシャリ、と乱暴に椅子に腰掛けた。


「紫野くんは、外部生だろう。どうだ、クリストフォロスは? 何か困っていることはないか」

「困っていること……」


 今のところは特にない。強いて言えば譲の生徒会への勧誘が面倒といえば面倒だが、困っている、というほどではない。


「四日しか経ってませんから、困るとか困らないとかいう段階ではありませんけれど」

「一日いれば居心地悪いかどうかはわかるだろう。外部生は馴染めなくて孤立してしまう生徒も少なくないから、早い段階からまめに声をかけることにしてる」

「そういう意味なら、ご心配には及びませんわ。皆様によくしていただいております」

「……君の近くに、久遠をよく見かけるが」


 宗像先生の眼鏡の奥の瞳が、一瞬探るように光ったように感じて、どういうわけかひやり、とする。

 もしかして、前に譲が「僕はあなたの従者ですから」とか言っていたのを誰かから聞いたのだろうか。それとも、譲が行き帰りに私の鞄持ちをしているところを見られたのだろうか。

 ああ、迂闊と言えば迂闊な心当たりがありすぎる……!


 私は僅かに首を傾げて、殊更にゆっくりと笑みを作る。

 

「久遠様には、いろいろと教えていただいております。初日に校内で迷っているところを助けていただいたご縁で、気にかけてくださっているようです。あとは生徒会に勧誘されているので、近くにいるように見えるだけでしょう。何か問題がございますか?」

「ああ……、いや、そう警戒しなくていい。少し気になっただけだから」


 宗像先生は警戒、という言葉を選んだ。容易に騙されてはくれない人のようだ。年の功なのか、それとも観察眼が鋭い人なのか。

 私が笑みを深めると、軽く笑ってふっと息を吐いた。先生もゆっくりと、コーヒーを一口飲む。


「すまないな。クリストフォロスは自主性を重んじる校風だから、生徒同士の付き合いにとやかく口を出すつもりはないんだが……。久遠が特定の誰かに入れ込んでいるように見えるのが、不思議でな。そういうタイプではないから」

「私だけが、特別仲良くしているわけではないと思いますよ。入学したばかりで何も知らないので、他の方よりは気にかけてくださってるとは思いますけれど。校内で迷子になっているところを見つけてもらったので、危なっかしく感じていらっしゃるみたいですね」

「……そうか」


 ――これは、正直苦しい言い訳、だ。

 明らかに譲は私を特別扱いしている。けれど、その理由を話せるわけがない。

 それにしても譲、教師にまで気づかれるほど、今まで他の生徒にそっけない態度取っていたのかしら?

 ……まあ、そういえば、オスカーは当たり障りなく微笑んで敵は作らないけれど、私以外には興味も関心もない、という性格だった。変わってないのね、譲。それを周囲に気づかれるほど、露骨にしていたとは思えないけれど。むしろ、宗像先生の方が生徒をよく見ているのだろう。


「先生は高校の教師なのに、入ったばかりの一年生の性格まで把握されているのですか?」


 それを、少し不思議に思うから訊いてみる。すると、宗像先生は「うん」と頷いて説明してくれる。


「中高の授業は兼任してやるからある程度はな。特に生徒会役員をやるような生徒は目立つから俺だってさすがにどういう生徒かはわかってるつもりだよ。――アレが、当たり障りのない笑顔を振りまくんじゃなくて、本当に嬉しそうに笑っているのは珍しい気がしたんだ。……まあ、君が困ってないならそれでいい。万が一、困るような事態になったら、気軽に声をかけてくれれば」


 宗像先生はおどけるようにコーヒーを持ってない方の手を軽く挙げた。


「頼りない担任教師でも、何かの役には立つかもしれん」


 おどけた物言いに、思わずくすり、と笑ってしまう。


「まあ、久遠に限らず、個性の強い生徒も多いから。――特に生徒会役員には。優秀は優秀なんだけどな。優秀がゆえに取り巻きも少なくない。トラブルに発展することは少ないとは思うが……、もし何か手に余ることがあればすぐに言うように」

「はい。お気遣い、ありがとうございます」






 化学準備室を出て、遅れて部活動見学に合流した。

 今日はアーチェリー、演劇、ラクロス、テニス、など運動部系を中心に回って、どれも楽しそうだった。弓は多少やったことがあったから、久々に引かせてもらって楽しかったし、他のスポーツは体験したことがないものだったから興味深い。演劇部は運動部ではなく文化部だけれど、体力作りもかなりやるらしく、どちらかというと運動部寄りの部活動だ。

 演劇は観たことがあっても実際に舞台に立ったことはなかったので、舞台装置や衣装など一から作り上げていく、というのは面白そうだった。演じる、という面では日常生活が周囲が望む「公爵令嬢ヴァイオレット」としての演技の連続だったから、馴染みがないわけではないけれど。架空の物語の登場人物を演じたことはない。


「円華様が演劇部で演じる姿も見てみたいものですね」


 真中まなか様が、そんなことを微笑みながら言う。

 ――どうかしら。「王子の婚約者」「未来の王妃候補」「悪役令嬢」など、望んでもいないものを散々演じたものだが、正直、これ以上何かを演じるのはうんざりな気もする。まあ、物語の役なら楽しいのかもしれないが。もし演劇部なら何かを作ったりする裏方の方が楽しそうだ。


「まあ、真中様。演劇でしたら、学園祭でもありましてよ。それでしたら演劇部でなくても、円華様の姫君姿など見られるのではないですか?」


 小田様がそう言えば、大原様も楽しそうに手を打つ。


「『ロミオとジュリエット』なんかも素敵ですよ! ぜひ、今年の学園祭は劇を提案いたしましょう」

「そうですね、ぜひ!」


 三人がふふふ、と笑い合っている。

 学園祭ってなんだっけ……? と一瞬思いかけて、円華の記憶で手作り感あふれる祭の風景が思い浮かぶ。……そうだ、円華の学校にもあった。いろいろな出し物をしたり、模擬店をやったりして、校外の来客をもてなす生徒主体の行事のことだ。

 円華の記憶では、楽しい、という感情は一切感じられなかったが、三人の様子では楽しい行事なのだろう。学校案内のパンフレットの、年間行事の欄を思い出すが、確か十一月だったはずだ。


「学園祭って、十一月ですよね? 皆様、ずいぶん、気が早いですね」

「あら」

「まあ」

「そうですわね……うふふ」


 三人は顔を見合わせて笑う。可愛らしい、マトリョーシカたちですこと。


「でも、出し物の根回しは早いうちからしませんと」


 小首を傾げてうふふ、と笑う姿は可愛らしかった。――が、あの、私は別に役者としては出なくてよいのですから。それはきちんと覚えていてくださいね?


「あ、そういえば円華様」

「はい、なんでしょう」


 ふと思い出した、というように真中様が声を上げて、ごそごそと鞄から何か出す。


「こちら、部長から渡すように言われておりまして」

「三枝様から?」

「ええ」


 見れば何か記載された数枚の紙である。馬術部部長、三枝百合恵様から何やら預かってきたようだ。


「我が部の説明と、年間の予定、入部するにあたって必要な物の一覧と部費の金額、あと入部届です」

「必要な物……部費……」

「あ、私も。こちらフェンシング部の分ですわ」

「管弦楽部のものもどうぞ」


 あとの二人からも似たようなものを渡される。思わず、その紙を凝視する。

 部費……用品……、部費!

 お金……!

 うーん、と思わず唸りそうになる。

 そうか、所属して活動するにはお金がかかるのね……。


 紙に目を落としてみれば、物品も含めると結構な金額が記されていた。


「今日であらかた見学は済んだと思いますけれど、円華様、いかがですか?」


 三人が期待に満ちた眼差しでこちらを見つめてくる。

 私は、内心「ああ……」と唸っていた。


「えぇ……、説明書をありがとうございます。よく、考えてみますね」

「ええ、それがよろしいかと思いますわ」

「円華様がどこを選ばれるのか、楽しみにしてますね」

「お決まりになったら私たちに、ぜひ一番に教えてくださいませね」

「えぇ、もちろん。いろいろご案内してくださって、ありがとう」


 ご機嫌よう、と三人が笑顔で手を振るのに見送られて下校した。


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