26 お嬢様、作戦を練り直す
翌朝、夜明け前。
ふと覚醒すると、体が動かなかった。
――え、何、これ。
「り、り~ぐぅ~……!」
「う、は!? ね、姉ちゃん!? どした!?」
二段ベッドの下段から上の方へ呼びかけると、凌久ががばりと起きる気配がある。
慌てて梯子を降りてきた。
「か、かーらーだーが~」
「体!? 体、どうした!?」
「痛いー。う、動け、ないー」
「動けない!? なんで!? なんかの後遺症!? だ、大丈夫か!?」
なんだろう、これ、なんか覚えがある。
――そう、全力で何日も馬を走らせた時のような……あ?
「き、筋肉痛……?」
「きんにくつう? あっ! 姉ちゃん、昨日、フェンシングと乗馬したって言ってたけど、あれか!」
「えぇ……? あれぐらいで、筋肉痛……? まさか……」
「いや、そうだろ。円華姉ちゃん、最近まともに運動してなかったと思うし。いきなり動きゃ、そうなるよな。あー、なんだ。びっくりした。何時だと思ってんだよ、もー。人騒がせな」
ま、ま、円華ー!
少しは運動しときなさいよー!
ベッドの上段に凌久が欠伸混じりに戻っていく。
私はといえば、それからまんじりともせず、夜明けを迎えたのだった。
七時半きっかりに玄関のインターホンが鳴った。
「え? こんな早く、誰かしら?」
既に出かける格好で玄関で靴を履いていた母さんが慌てて玄関ドアを開けた。
「はーい。……どちら様?」
ガチャリと開けると、宣言通りそこにクリストフォロスの制服を着た譲が立っていた。
「おはようございます。円華様をお迎えに上がりました」
「は?」
びっくりして固まる母さんの後ろから、こちらも出かける支度のできた父さんが顔を出す。
「き、君は誰?」
「おはようございます。円華様と同じクラスの久遠譲と申します」
「まどかさま?」
「はい。これから毎日、送り迎えをさせていただきます」
「はい?」
父さんと母さんがぽかんと譲を見つめた。
――そりゃ、そうよね……。私もどうかと思うわ。
そこに、ひょい、と鞄を持った凌久が顔を出す。
「あっ、久遠さん! おはようございます! 本当に来たんですね」
「おはよう、凌久くん」
「はい、じゃあ姉ちゃんのこと、よろしくお願いしますねー! じゃあ、また、放課後に! はい、父さん母さんは遅刻するから、さっさと行くー!」
父さんと母さんの背中をぐいぐい押しながら、自分もスニーカーを履いて外に出ていく。
「ま、待て、凌久! そいつは誰だ!? 円華とはどういう……!?」
「姉ちゃんの専属ボディガードだよ! はいはい、父さん遅刻ー!」
「せん……!? 待て、凌久……! まだ話が……!」
「クリストフォロスのシステムらしいよー!」
「クラスメイトが家まで迎えにくる? そんな制度はないぞ! 彼氏でもないのに……!」
「いやいやあるんだって……!」
「り、凌久……!」
「じゃあ、久遠さん、戸締まり確認よろしく!」
「気をつけて行ってらっしゃい、凌久くん」
「いってきまーす!」
「ま、円華ー!」
父さんの狼狽した叫び声が遠くなり、やっと静かになった。
「おはようございます、円華様」
「おはよう、譲」
「円華様、鍵は?」
「ん、持ってきた」
忘れないようにキーホルダーをつけた鍵を持ち上げて見せる。
「窓の鍵は閉めましたか?」
「凌久が閉めてた」
「ガスの元栓は?」
「凌久が閉めてた」
「忘れ物はありませんか?」
「うん、大丈夫」
ガチャリ、とドアに鍵をかける。それを見届けると、譲が私の鞄を持った。
「だから、鞄は自分で持つと言っているでしょう?」
譲はふっと笑うだけで、返してくれない。そのまま、譲の視線が私の足元に動く。
「――筋肉痛ですか、円華様。生まれたての子馬のようですよ」
「うぐっ」
「鞄、お持ちしますね」
なんだか逆らうだけ無駄な気がしてきた。
「では、参りましょうか、円華様」
放課後は約束通り、マトリョーシカ三人組といくつかの部活動を見て回った。主に文化部中心にお願いして。公爵令嬢たるもの、筋肉痛くらいは気合いでなんとかやり過ごしましたよ、おほほ……。
昨日と同じように校舎の手前でマトリョーシカ三人組と別れると、どこで待っていたのか、譲がすっと近づいてきた。当たり前のように鞄を取り上げられる。
もう、突っ込むのも面倒になってきたので、譲のやりたいようにさせることにした。誰かに見られでもしたら、どう言い訳するつもりなのだろう。……言い訳するつもり、もしかしてないのかしら……。
「部活動見学、楽しかったですか?」
「ええ。茶道部と調理部が美味しそうだった」
すると、譲が軽く吹き出した。
「感想が『美味しそう』? 食いしん坊になりましたねえ……」
「なっ、なってないわよ……!?」
ただ、どれもものすごく美味しそうなだけで……!
「他には?」
「そうねえ……。箏曲部とか華道部とか、日本的な部活動は面白そうね」
ただ、マトリョーシカたちに聞いたところ、華道と茶道に関しては希望者は補修授業を受けることもできるようだ。本格的に師範など目指すのでもなければ、部活動でなくてもいいのでは、とアドバイスをもらった。
「生徒会も美味しいですよ?」
「あら、まだ勧誘するつもり? ……ん? 美味しいって?」
「文字通りですよ。円華様、見たら入りたくなりますよ」
「は、入りたくなんか、ならないわよ……!」
そんなことを話しているうちに家に着いた。
「さて、凌久くん、食べながらでいいから、このノートのことだけど」
「はい」
私と凌久は譲の用意したお夕飯をいただきながら、頷く。
今日のメニューは昨日の残りの肉じゃがを副菜に、メインは鶏胸肉を使った「よだれ鶏」というメニューらしい。すごい名前。茹でた鶏肉に香辛料の効いたソースがかかり、付け合わせの野菜も美味しい。
「まずね、君は漫画と小説の読み過ぎです」
「うぐっ……」
パクパクと白米を掻き込んでいた凌久が咳き込む。
「……まあね、内容はともかく、面白い考察だとは思うよ、この分類とか」
「そ、そうですか……」
「で、一番の問題なんだけど」
「は、はい……」
「――前提になってる『目立つな』、というのがそもそも無理だ」
「……う。そ、そうですか……」
手が止まっている凌久をよそに、私は美味しく鶏料理をいただく。ふふふ、和食も美味しいけれど、中華料理も美味しいわねぇ……。
「このノートの『作戦』とやらには、ヴァイオレット様の基本スペックが考慮されていない。君はヴァイオレット様の能力を知らないから仕方ないけど、この方は、放っておくと勝手に目立ってしまう。乗馬とフェンシングとヴィオラを例にしても、本人が思っている『普通』と一般生徒の『普通』が違うんだ」
「それは、薄々俺も思ってました……」
「大体今日だって、手芸部で馬鹿みたいに複雑な刺繍を披露していたし、初見で箏曲部で琴を弾きこなしたし、華道も茶道も一度見ただけで、一通り作法を披露してしまったらしい。既に手遅れだ」
――譲、うちで夕飯作っていたはずなのに、なぜ私の行動を把握しているの……?
怖いわ……!
「姉ちゃん……!」
「凌久、おかずいらないなら、私、食べるわよ?」
「食べるよ……! じゃなくて、聞けよ! 何、やってんだ!?」
あ、いらなくはないのかな。
「円華様。お腹すいてるならおかわりありますよ」
「ん、じゃあ、お願い」
「凌久くんはもう少し食べなさい。育ち盛りの割に、おかずにタンパク質が少なすぎる。いくら節約したいからって、それじゃあ背が伸びないよ。節約レシピとかいくつか教えるから、ちゃんと食べなさい」
「母さんかよ! ……ていうか、集中できないから! もう、ごはんか話かどっちかにして!」
「食材の差し入れをしたいところだけど、ご両親が気にされるだろうからねぇ」
「久遠さん! 聞いてますか!?」
「聞いてる。ちなみに料理と言えば、円華様、調理部では相変わらずだったようですね」
「う、うるさいわねぇ」
「聞いてない……! 聞いてないじゃないか!」
「聞いてるよ。つまりね」
台所に行って戻ってきた譲がごはんとおかずのおかわりを渡してくれた。うふふ。
卓袱台の向かいに改めて座りながら、譲が凌久に答えた。
「――もう、目立つことは諦めて、それが不自然じゃない立場に置く。それしかないと思う」
「それって……?」
「生徒会役員だ」
「やっぱり……!」
凌久が諦めてごはんを食べ始める横で、今度は私がごはんを喉に詰まらせる番だった。
「い、嫌よ!」
譲が不思議そうに、首を傾げる。
「円華様は頑なに断りますね。いい加減、理由を教えてください。でないと対策が練れません」
私はそっと目を逸らす。
「ぶ、部活動が……」
「それは考慮しますよ。役員の中には部活に加入してる者も多いです」
「えぇと……あっ! アルバイトしたいから……!」
「アルバイト?」
「そう。黙っていたけれど、本当はアルバイトをしようと思っていたから。アルバイト先も、もう決まっているの」
「……それほど、家計が逼迫しているのですか?」
「うちは確かに裕福じゃないようだけれど……、父さん母さんの名誉のために言うけれど、決してそういうわけじやない。これは自分で決めたことよ。ヴァイオレットの時も、自分で自分の費用は稼いでいたでしょう? それと同じよ」
「なるほど……。どこでやるのですか?」
「蛍の家」
「蛍?」
「久遠さん、蛍ちゃんってのは姉ちゃんの親友で、家がお好み焼き屋さんなんです。――クリストフォロスって、アルバイト、届出せばできるんですよね?」
凌久が私の言葉を補足してくれる。
譲は頷きながら、少し考え込むような素振りを見せた。
「――労働については推奨されている。家の仕事を手伝ったりする生徒は多いし、起業も積極的に後押しする制度がある。アルバイト先に問題がなければ、許可されると思うが……」
譲の長い指が、その顎に触れる。ちらり、と視線を投げられた。
「アルバイト先については後で調べさせていただきます。……でも、円華様、本当にそれだけですか?」
「え……」
「アルバイトの時間についても考慮できると思います。……何が不安なんですか?」
「不安って……別に」
「円華様。僕に嘘は通じませんからね。他に、理由があるでしょう?」
「う……」
「姉ちゃん。言ってみたら?」
凌久が窺うように私を見た。
私は――口に出すことを躊躇った。
「円華様」
ただ、譲は許してくれない。じっと、私のことを見つめてくる。
……知っている。オスカーはこういう時、決して譲らないのだ。
私は、深く溜め息を吐いた。
「……王子が」
「王子?」
「そう、呼ばれている人がいるのでしょう?」
「ああ、鷹雅ですか? 彼が何か?」
「姉ちゃんのトラウマらしいですよ、王子様」
譲は少しだけ気遣う表情になった。
「か、関わるのが、嫌なの……」
「円華様……。彼は王族ではないですし、ただのあだ名ですから。あの王子とはだいぶ違いますよ」
「わかっているわ……わかっているから言いたくなかったの。失礼なこともわかっている。でも、生理的に受けつけないのよ……」
茶碗と箸を置いて、私は膝の上で手を握りしめた。
ふう、と譲が息を吐くのがわかった。
ふと目を上げると、近くに譲がいた。私の握りしめた手をそっと取られる。
「大丈夫ですよ、円華様。僕が近くにいてお守りしますから。――それに、会えばわかります。彼は悪い男ではないですから」
右手の指に、触れるか触れないかの口づけを落とされる。
そっと触れる唇の感触に、ヴァイオレットだった頃を思い出す。
目を上げると、にこり、と譲が微笑んでいた。
「もし何かあれば、今度こそ、僕が再起不能にしますよ。今世では身分など関係ありませんからね。逆に実家の権力でもなんでも、ありとあらゆる使えるものは使って、この世から抹殺してやりますよ。いや、むしろ死んだ方がましだという思いをさせてやりますよ。人を効果的に痛めつける方法は、いくつも学んでいますから。どうぞ、安心してください」
にこり、じゃないわよ! 全然目が笑ってないじゃない!
こ、怖いわよ、譲……! そこまでは、望んでいないから……!
「く、久遠さん、闇深……!」
凌久と私は、そんな譲に震えた。
この日の円華父の職場での様子を番外編に書きました。同時更新しています。
https://book1.adouzi.eu.org/n3902hi/3/
よろしければそちらもどうぞ。




