24 お嬢様、頭を抱える
帰ってきてすぐエプロンをして夕飯の準備を始めた凌久の背中に、部活動見学が楽しかったことを話すと、ジャガイモを取り落としそうにして凌久が慌てて私を振り返った。
「え? ヴィオラ弾いて、フェンシングに勝って、馬で跳んだ!? 何やってんだ、姉ちゃん!」
「え? 何って、なに? 楽しかったわよ?」
今日あったことを話せば、凌久が盛大に頭を抱えた。
「普通の公立中学の出身者は、そんなになんでもできないよ。目立ってるじゃないか!」
「……え、そ、そう? クリストフォロスじゃそうでもないんじゃない?」
「いえ、クリストフォロスでも少数派ですよ、お嬢様」
「そうだよ……、って、誰!?」
凌久が、茶の間の方から声をかけてきた男性をびくりとして慌てて振り返った。
「お邪魔しております。初めまして。久遠譲、と申します」
久遠譲が、我が家の茶の間にきちんと正座して座り、折り目正しく畳に両手をつくと、綺麗な仕草で頭を下げた。
「アンドレ……!?」
「いえ、オスカーです。――お嬢様、弟君もお嬢様のことをご存知なんですか?」
「……凌久には全部、話した」
「なんで、アンドレが当たり前の顔してうちの茶の間にいるのさ!? 姉ちゃん、説明して!」
「だから、オスカーだってば。……私だって、何がなんだか」
「……ちゃんと、アンドレと話したってこと?」
私はそっと視線を外す。
「してないのに、この状況!? なんなんだよ!」
「あ、僕のことはお気になさらず。とりあえず、お嬢様がどんな環境で暮らしているか確認したかっただけなので」
「気になるよ! ――と、とりあえず、お茶を……!」
「どうぞ、お構いなく。すぐお暇しますから」
「いや、待って! そこにいて! すぐ淹れるから!」
凌久が慌てて淹れたお茶を、卓袱台の前に正座して姿勢正しく啜るクリストフォロスの制服を着た男子生徒と、家の茶の間。――違和感しか、ない。
一口飲んで、コトリと湯呑みを卓袱台に置くと、並んで座る私たちににこり、と微笑んだ。
――若干の目眩がする。
「ね、姉ちゃん?」
「うん……」
私は、つい三十分ほど前に記憶を遡らせた。
◇◇◇
校舎の前でマトリョーシカ三人組と別れ、上機嫌で正門を潜り抜けると、横から声をかけられた。
「――部活見学、楽しかったですか?」
「ヒッ!?」
声ををかけてきたのは久遠譲だった。
け、気配消すのやめて!
正門横に、寄りかかるように立っていた譲を、びくりとして振り返る。まさか、ずっと待っていたのだろうか。
「――正解です」
いや、まだ何も言ってない!
怖いわよ、オスカー!
「日も暮れますから、ご自宅までお送りします。家の場所がわからないと、明日お迎えに上がれませんしね」
「……暇なの?」
「お嬢様のためなら、いくらでも時間なんてひねり出しますよ。お気遣いありがとうございます」
「別に気遣ってはいないけれど」
さっと鞄を奪い取られ、譲は気取った仕草で道の先を示す。
「か、返して!」
「家を教えてくれたらお返しします。さあ、参りましょうか」
鞄を人質に取られる形で、結局家までついてきてしまったのだ、この人は。
◇◇◇
「……というわけで、勝手についてきたのよ、この人は」
私が溜め息を吐いて言えば、凌久も困惑したように久遠譲を見ながら、しぶしぶ頷いた。
「……うん、まあ、ちょっと強引なアンドレなのはわかった……」
「だから、何度も言うけど、オスカーだからね?」
「僕にも姉がおりますから、一通りの少女漫画は読んでおりますよ。名作になぞらえていただけて光栄です。アンドレは一番オスカルを愛し通した男ですからね。弟君のネーミングセンスは秀逸です」
「あ、あのね、えぇと、久遠さん? 俺、凌久っていいます。あなたがうちの姉をお嬢様だと思うのは止められないけど、俺は直接ヴァイオレットの弟でもなんでもないから、普通に年下の男に対する扱いをしてもらえませんか?」
凌久が心底困ったように言えば、久遠譲はふっと笑った。
私の方をちら、と見て何やら「ふむ」と頷く。
「……よく似たご姉弟ですね。素直さは違いますが、求めてくるものが同じですね。――いいでしょう。君の言い分には一理あります。凌久くん、でいいかな?」
凌久がほっとしたように頷いた。
「良かった……。年上の人から敬語使われるの、落ち着かないと思ってたんだよー。話せばわかってくれる人じゃん、姉ちゃん」
いや、違う、凌久!
この人私に対しては一切譲らないのよ!?
元主人に対しての方が強気ってなんなの!?
「……ちょっと。ずいぶんあっさり呼び方を変えたわね。私と大違いじゃない」
「当たり前でしょう。あなたは特別なのだから。僕がどれだけ待ったと思っていらっしゃるのですか? 人前ではしないと約束したから、ここでなら構わないでしょう?」
「今も凌久がいるでしょ!?」
「凌久くんはすべてご存知だと伺いました。なら、いいじゃないですか」
「……不毛な会話してるね。なんとなく、姉ちゃんの困った意味がわかったよ……」
でしょう!? 面倒くさいでしょう!?
「ま、いいや。早いとこ本題に移ろうよ」
あっ、凌久! 私のことは無視!?
「本題とは?」
久遠譲が軽く首を傾げた。
「久遠さん。あなたは姉ちゃんの味方?」
凌久は居住まいを正すと、真っ直ぐ久遠譲を見つめて、あまりに直球な訊き方をした。
「り、凌久!」
「俺は久遠さんに訊いてるの。――姉ちゃん、俺、言ったよね? 姉ちゃんを守れる男じゃないと許さないって。姉ちゃんにはあの学校で、どうやったって事情を知ってる味方が必要だよ。俺はずっと側にはいれないんだから。……どうなんですか、久遠さん。あなたはヴァイオレットと同じように、うちの姉のことも守ってくれるんですか?」
久遠譲は私を見つめてから目を閉じると、再び開けた時は強い光を放って、真剣に頷いた。
「……あえて、オスカーとしての言葉遣いにさせてもらうよ。これは、お嬢様にも聞いてもらいたいので」
凌久を強く見つめた瞳が、そのまま私の方に向けられる。
「もちろんです。この、命に代えても。今度こそ、この方を幸せにするのが僕の使命です。……そのために、それだけのために生きてきました、長い時を。ヴァイオレット様に会えると信じて。それが、この記憶を持って何度も転生している意味だと思ってきました」
「え、ま、待って! 久遠さん、何度も転生してるんですか!?」
「通算六度目です」
「六!? あれ、姉ちゃん、前世ヴァイオレットだよね? 間になんかはさんでる?」
「え、わ、わからない……。ヴァイオレットの記憶しかないけれど……」
「よろしいのですよ。おそらく、僕はあなたを守るために、長い時を生きる必要があったのです」
「ち、ちなみに前はどのような……?」
凌久! 好奇心が隠せてないわよ!?
なんでそんなにキラキラした目をしてるのよ。
「それぞれ違う外国人に三度。日本人は今回を入れて三度。軍人、狙撃手、格闘家、スパイ、一流企業の会社員、有名政治家の秘書、医者、弁護士、芸能人なんかもありました」
「職業が人生の数より多くない……?」
「まあ、いろいろと。その時によって。とにかく、お嬢様に出会えた時に役立つようにあらゆる経験は積んだつもりです。今回は生家のステータスが比較的高くて、持って生まれた能力値が高いので、もしやと思っておりました。今世でも『道』がつくものは一通り押さえておきましたから、護衛としても有能なつもりですよ」
「それにしても、全部地球上の国なんだ……。なんでだろう?」
凌久が不思議そうに呟くと、久遠譲が頷いた。
「僕もそれは疑問だった。何度生まれ変わっても、この世界しかない。特に日本人は三度目だ。たぶん、お嬢様が生まれてくるのは日本人なのかもしれない、と思っていた」
面白そうに聞いていた凌久も、はっとして思い出したかのように、探る目で久遠譲を見た。
「思ったよりも設定がぶっ飛び過ぎてて荒唐無稽な気もするけど……。久遠さんは、オスカーで間違いないんだよね? ヴァイオレットを一番に守る人」
『断言していい。私はヴァイオレット様の忠実な僕。専属従者です』
あえて、久遠譲が私だけに理解できる言葉で言った。それはオスカーしか話せない言葉だから。
ちら、と私を見る凌久に私は頷いた。
――この人が、オスカーなのは、おそらく間違いはない。
「――姉ちゃんが間違いない、と思っているなら、俺はこの人を信用するよ。あとは、姉ちゃんが自分で話して納得して。オスカーに会ったら一番に言わなくちゃいけないことがあっただろう」
「り、凌久……」
「俺は、なんでこのことだけ、姉ちゃんがぐずぐずしてるのか、わからない。ヴァイオレットだったらきっと、さっさと言ってるはずだ。俺の知ってる紫野円華って人だって躊躇する人じゃない。どっちの記憶でもいいよ、思い出してみろよ。そうだろ?」
ぐっと、私は言葉に詰まる。
――そう、ヴァイオレットなら、躊躇わず言うはずだ。
円華でも? ……正直、円華のことは掴みきれていない。ただ、凌久が言うなら、円華もそういう女の子だったのだ。
「俺、隣の部屋行ってるから。二人でちゃんと話せよ。……じゃないと、あのノート、久遠さんに見せるぞ」
「ノ……!? り、凌久、それは……!」
「あのノート、好きにしていいって言ったのは姉ちゃんだぞ。俺は本当なら今すぐ見せたいくらいだ。でも、それじゃだめだろ。せっかく会えたんだから、ちゃんと言葉で言えよ。……人生が、突然終わるかもしれないって、一番知ってるのは姉ちゃんだろ?」
「凌久……」
「今度は後悔しないようにしろよ。それでこそ、転生した意味があるじゃないか」
真剣な凌久の言葉に返す言葉もない。
そうだ、ただひとつの心残り。それを、果たせるのなら。
ヴァイオレットなら――そして、今の紫野円華も、どんなに怖くても毅然と顔を上げて、言うべきことを言う。
――なぜ、そんな簡単なことを忘れてたのだろう。
凌久が久遠譲に向き直って、深く頭を下げた。
「久遠さん。お願いします。どうか、姉の味方になってください。これから、姉が話すことを受け入れて、許してやってください。お願いします」
そして居間に私と久遠譲を残すと、子ども部屋に行ってしまった。
私は、改めて久遠譲に向き直った。
「お嬢様。あなたが僕に許しを請う必要などございませんよ。僕は、世界中が敵になっても、最後まであなたの味方です」
久遠譲はさらりと、そんなことを言う。
……そう。オスカーなら、きっと、そう言う。
手が震えた。
深く、息を吸う。
――そして、吐く。
『……聞いて、オスカー。私、死ぬ時に願ったの。願わくば、と』
これは、久遠譲ではなくオスカーにしたい話だから、日本語は使えなかった。
本当の、気持ちを、話す。だから、あの国の言葉を、使おう。
『……願わくば、あなたと、別の世界で出会えたら、と』




