〈閑話〉桜の姫、垣間見る
「……今の方、どなた?」
「あら、姫宮様、今日はいらしてたのですね」
黒いヘルメットを小脇に抱え近づいてきたのは、乗馬服に身を包んだ女子生徒だった。百合恵の側で足を止め、見学の一年生たちが去った方向へ視線を向けた後、百合恵を見て、僅かに小首を傾げた。背でひとつにまとめた色素の薄い髪は長く腰まで達し、ふわりと揺れた。
この人を、学院の生徒たちは密かに『桜の姫』と呼んでいる。ただ、三枝百合恵は『桜の精』じゃないのかな、と思うことがあった。
――造形美、という言葉がよく似合う。
まるでビスク・ドールのように硬質で完璧な美貌。それでいて、ふわふわした髪のせいか、それとも常に微笑んでいるからか、雰囲気は柔らかく、冷たい印象はない。それどころか、どこか現実感がなかった。
――何もかも完璧すぎる、というのも人間味に欠ける。
だから、桜の精かもしれない、などと思うのか、と百合恵はそっと溜め息を吐いた。
「えぇ、たまにはこちらの子にも会いたくて」
馬たちに目をやり、桜の姫の美しい相貌が綻ぶ。
――何にせよ、馬を好きでいてくれるだけで文句はない、と百合恵は思った。
「それは嬉しいこと。皆、喜びますよ」
百合恵は去っていく一年生の背を見て、先ほどの興奮を思い出す。
「今年の新入生ですよ。期待の新人を、真中様が連れてきてくださったのです。――入部してくだされば、馬術部は安泰ですわ」
「あら、百合恵様が期待するほどの方?」
「……えぇ、本格的な競技はほとんど経験がないなんておっしゃっていましたけれど、素晴らしい技術でした。ゴールドウィナーズともとても相性が良いようで。あの臆病な子が、ずいぶんと強気に伸び伸びとしていました」
「まあ……、そうなのですか」
「二年生は姫宮様がいらっしゃるけれど、一年生はどうも少し不安があったので。ああいう方が入ってくださると、私が抜けた後も心配がないのですが」
「そう……」
思案するように、桜の姫の白い指がほのかに赤い唇に触れた。
「あの方……、お名前は?」
「紫野円華様とおっしゃるそうですよ」
「紫野……円華、様」
「……そういえば、真中様が入試で一位だった、とかおっしゃってましたから、生徒会役員になるかもしれませんね。姫宮様がお顔を合わせることもあるのではないですか? ――私は、優秀な人材を生徒会で独占しないことを望みますけれど」
百合恵が本当に嘆かわしそうに呟けば、桜の姫はふふっと、笑った。
「……本当、百合恵様は馬術部が大事ですのね」
「もちろんです! 今年こそ、優勝を狙いますよ! さあ、姫宮様、存分に練習を! 馬のコンディションは万全ですわ!」
思わず力が入ってしまった百合恵に、桜の姫はくすくすと楽しそうに笑みを落とした。
勇んで練習に向かう百合恵の背を追いながら、桜の姫はもう一度だけ、既に姿を消した方向を振り向いた。
「……紫野円華、様……」
形良い唇が囁いた呟きは、百合恵にはもう聞こえていなかった。
「姫宮様ー! 何をしていらして!? さあ、お早く!」
「えぇ。今参ります」
桜の姫は踵を返すと、やる気に満ちあふれた部長の背を追った。




