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〈閑話〉中マトリョーシカ、心酔する(3)

 その日のお昼に大原様と小田様と一緒に、円華様を食堂にお誘いすると快く応じてくださいます。円華様は食堂の雰囲気を気に入られた様子で、周囲を見渡しては感心したように頷かれております。美味しそうなお弁当も持参されていましたが、食堂のメニューにも興味があるようでした。カフェの話をすれば、目をきらきらさせていらっしゃいます。良かった、そういうものがお好きな方で。そのうち、お茶をしながらお話できるほど仲良くなれるといいな、などと夢想いたします。


 円華様は、私たちが他愛ない話をするのをまるでずっと年上のお姉様がじゃれ合う子犬でもご覧になるように、穏やかな表情で楽しそうに眺めていらっしゃいます。そんな表情を見るにつけ、今朝の久遠様のやり取りは夢かしら、と思ってしまうのですが……。


「……あの、どうして久遠様はここにいらっしゃるのですか?」

 

 戸惑うように小田様が尋ねました。――そう、なぜか私たちのテーブルに久遠様が一緒について優雅にクラブハウスサンドを口になさっているのです。


「あ、僕のことはお構いなく。勝手に食べてるんで」


 掌を軽くひらひらさせて、なんでもないことのようにそうおっしゃいますが――構わないわけにはいかないではないですか……!

 幼稚園の頃から久遠様とは共に学んで参りましたが、今までこのような事態は一度もございません。私たちのように平凡な生徒と、属するグループも違うのです。当たり前のように同じテーブルにいるにはあまりに異質すぎるのですよ!


「いえ、あの、もしかして円華様とお約束されてましたか?」


 もしや、今朝そんなお話になっていたのでしょうか。

 立ち聞きしたとはさすがに言えなくて、そんな曖昧な訊き方になってしまいました。もちろん、大原様や小田様にも、今朝見たことはお伝えしていません。


「それでしたら、私たち、今日はご遠慮いたしますけれど……」


 しかし、大原様もやはりこの状況が異常だということは当然思っていらっしゃるでしょうから、困ったようにそう提案なさいます。

 すると、久遠様がお答えになるより先に、円華様がにっこり微笑まれました。

 思わずその笑顔に見惚れます。


「いいえ。お約束などしていません。この方が勝手についてきているだけですわ。お気になさらなくて結構ですわよ」


 お顔は優しいのに、まるで容赦のない言葉です。言われた久遠様の方はこたえるどころか、面白そうに、にやりと笑いました。


「冷たいなぁ……紫野くん。生徒会の勧誘がまだ途中なんだから。昨日は突然帰ってしまったし……」


 久遠様は様付けで呼ぶこともなく敬語でもなく、いつもの口調でそうおっしゃいます。今朝のお二人はやっぱり夢だったのかしら……。


「それでしたら昨日お断りしたはずです。生徒会には入りません」


 つん、と顎を上げて素っ気なく円華様がそうおっしゃいます。私たちは、それに驚いてしまいました。


「あら、円華様、生徒会はお断りされるのですか?」


 大原様が目を丸くして不思議そうに円華様に訊けば、小田様も顎のあたりに手をやって小首を傾げるようにしています。


「そうですわよ、もったいない……。生徒会は優秀な方しか入れないので、私たちなんかは入りたくても入れないのですよ。全生徒の憧れですのに……」

「そうだよ、もっと援護して。放課後、改めて生徒会室に案内するよ、紫野くん」


 楽しそうに久遠様がそう言えば、円華様は興味なさそうにきっぱりと首を振りました。


「今日は皆様方とお約束しています。こちらが先約ですのよ、少しは遠慮なさったら?」

 

 思いのほか、円華様が強い口調でおっしゃいます。お二人が険悪にならないか、私たちは、はらはらしてしまいます。


「あ、あの、円華様、私たちはまた今度でも……」

 

 私がそう言いかけると、隣にいた円華様が私の手をそっと取り、きゅっと握りしめました。

 驚いて目を上げれば、そこにはマリア様のように微笑まれる美しく気高い方がいらっしゃいました。私は初めて正面から真っ直ぐ見つめられて、どうしていいかわからなくなります。


 ――だって、こんな美しい……、いえ、格好の良い方にこんな至近距離で見つめられて、手を握られるなんてことなかったのですもの……!


 気品があってお美しい方とは思っていましたが、なんというか美人というより、もうハンサムなんですよ……! 絶対、髪を切って男装されたら、久遠様なんて霞むくらいの絶世の美男子になりますわよ……!


「いいえ。私は皆様とのお約束を優先したいです。部活動に大変興味がございますの。昨日から楽しみにしていたのですよ」


 私たちにはマリア様のような微笑みを見せて、そのまま今度はブリザードが吹きすさびそうな冷たい笑顔を久遠様へ向けられます。


「私の楽しみを奪うなんて、ひどい方。せっかく新しいお友達ができそうなのに。友人との語らいも邪魔されるのですか?」


 固唾を飲んで見つめていると、当の久遠様は気分を害すどころか、くすり、と笑みを落とされました。


「怖いなぁ、お嬢様。わかりましたよー。――じゃあ、生徒会に勧誘するのはまた今度にするよ。代わりに放課後、僕もご一緒してもいいかな?」


 く、久遠様、心臓強い!?

 私だったら、この氷のような笑みに耐えられそうにないのに……!

 な、なぜ、笑顔!?


「いや、だから、違う……! ゆ、……久遠様、遠慮して!」


 円華様はダン、とテーブルを叩きそうな勢いです。

 小田様がびくりと震えて、私以上にわけがわからない様子で、久遠様に提案しかけました。

  

「く、久遠様も良かったらご一緒に……?」

「冗談だよ。あんまりやりすぎると嫌われそうだ。――でも、僕はまだ諦めてないからね? また今度ね」


 さすがに久遠様も冗談が過ぎたと思われたのか、食べ終わった皿を持って立ち上がりました。去っていくその背中を私たちはあっけにとられて見送ります。そして、視線はそのまま円華様の方へ集まってしまいます。


「円華様、久遠様と、その……何かございましたの?」

「いいえ、特には何も」

「そう……なのですか?」


 にこり、と何事もなかったかのように円華様は微笑まれます。


「さあ、お昼の続きをいただきませんか? お昼休みが終わってしまいます」

「え、えぇ、そうですわね……」


 結局、それ以上は突っ込むこともできず、波乱のお昼休みは終わったのでした。






 放課後の部活動見学会では、もう、驚きっぱなしでした。

 管弦楽部へ行けば、円華様が絶対音感の持ち主で、技巧的なのにどこか切ないヴィオラの曲を弾きこなし、フェンシング部では華麗な剣捌きを見せ、我が馬術部では見事な馬術を披露なさいました。


 ゴールドウィナーズと円華様が楽しそうに走っておられる間、私たちはそれをぽかんとして見つめてしまいます。


「ね、ねぇ……、円華様って公立中学の出身っておっしゃってましたよね?」


 小田様が思わず、という風に呟きます。

 私と大原様も、ぽかん、としたまま疑問が湧き出すままに呟いてしまいます。


「お家もごく普通のお宅だって……」

「あんな高度な曲をぽん、と書いてしまうような作曲家が出入りするお宅って……?」

「公立中学の方って、あんなにいろいろできるものですか……?」


 しばらくの間の後、私たちは目を見交わしてしまいます。


「――円華様って、一体、何者……?」






「今日はとても楽しかったです。案内してくださって、ありがとうございます、皆様」

「どこか入りたい部活動はございました?」

「できれば、他にもまだ、見てみたいです」


 ぜひ、馬術部へ! と言いたいところを我慢して、私は微笑みました。


「では、明日からもよろしければ一緒に回りましょう」

「ええ、ぜひ」


 日も傾きかけた頃、三つの部活動の見学を終え、円華様と私たちは校舎の手前で別れました。


「ご機嫌よう、皆様」

「ご機嫌よう、円華様」


 挨拶をして帰っていかれる円華様を見て、思わず三人共溜め息を吐きました。

 そして、目を見合わせます。


「――あと、一時間ほどならカフェ、開いてますわね……?」


 小田様が呟けば、私も大原様もこくり、と頷きました。

 私たちは食堂の方へ足を向けました。






 ぽつりぽつりと勉強したり、お話をされたりする方がまばらにおりますが、部活動もそろそろ終わりのこの時間まで残っていらっしゃる方は少ないです。昼休みのようなざわめきはなく、ただ、静かなピアノ曲が流されています。

 温かい紅茶を三つ頼み、席についてそれをこくり、と飲むと、やっと少し興奮が収まるような気がいたします。


「――驚きましたね」


 大原様が溜め息を吐くように口を開きました。


「入試一位の才女で」

「音楽の素養もあって」

「あの身の軽さに、乗馬の腕」

「久遠様にあれほど興味を示されているのに、むしろ迷惑そうなくらい素っ気なくて」

「それなのに、私たちにはとても優しくしてくださって」

「綺麗ですし」

「英語もとても、お上手でした……」

「そう、英語も……って、あら? 今日英語なんてございました、小田様?」

「いいえ、大原様」


 はっとして、私は口を抑えました。


「真中様……! 英語なんて、いつお聞きになったの!?」


 ぐりん、と二人に詰め寄られて、慌てます。


「ひぇっ……! あ、あの、実は今朝方、久遠様と円華様が何やら英語でお話されているところに通りかかってしまって……! あ、な、内容はわからなかったのですけど……!」

「どうして教えてくださらなかったの、真中様?」

「え、えぇと、た、立ち聞きになってしまったので、はしたないかと……。お願いします、お二人には黙っていてください……!」


 しどろもどろで答えます。それでもなんだかお二人の妖しげな雰囲気はどうしても口にできませんでした。言ってはいけないような気がしたのです。

 幸い、大原様も小田様も納得してくださいます。……良かった。


「あの……、私、円華様のファンになってしまいました……」


 ほうっと、小田様が溜め息混じりにおっしゃいます。私は、その手を思わず握りました。


「わ、私もです……! 素敵な方だと思いません!?」

「ええ……! ぜひとも仲良くしたいですね……!」


 そこに、さらに大原様の手がガシッと重なります。


「私もです……! でも、ひとつ、気になることが……」

「大原様?」

 

 手招きした大原様に、私たちは頭を寄せます。


「――円華様、何かご事情があるのではないかしら?」

「ご事情?」

「えぇ。思い出してご覧なさいませ、今日の円華様の発言を」

「と、おっしゃいますと?」

「ほら、全部過去形でしたでしょう?」

「過去形?」


 大原様はひとつひとつ、気になったところを挙げていかれます。


 ――例えば、ヴォオラ。ずっと触っていない、とおっしゃっていました。今は弾ける環境にない、と。作ってくださった作曲家の方にももう会えない、と。

 ――あるいは、乗馬。やはりこれも昔やったきり、だとおっしゃっていました。

 ――海外にいたかのように流暢な英語を話されるのに、出身はすぐ近くの公立中学で。

 ――何より、お弁当がすごく庶民的でした……!


「あの……、もしかしたら、ですけど、円華様、紫善グループの創業家のご関係者ではないですか……?」


 小田様が、おずおずとそうおっしゃいました。


「え!? でも、私、あそこのパーティー何度か行きましたけれど、円華様にお会いしたこと一度もありませんわよ?」


 大原様が、首を傾げました。大原様のお父様は老舗メーカーの社長でいらっしゃるので、大手商社の紫善ともお取引があるそうです。会社のパーティーで、紫善グループの創業家、紫野家ともお付き合いがございます。


「創業家の方でしたら、公立中学には通わせられないでしょうし……、ご自宅も確か成城の方でしたから、そもそも校区ではないですよ?」

「えぇ、創業家ではないとは思うのですけど……、ただご親戚とか遠縁の方までは存じ上げませんから、そうではない、とも言い切れませんでしょう?」

「紫野、なんて特徴的な苗字、なかなかお会いしませんしね」


 ただ、もしかしたら何かご事情がおありなのかもしれません。

 紫野家とは関係を切られていらっしゃる、とか……。

 も、もしかしたら、久遠様とはそのご縁でかつてのお知り合いとか……?


 いろいろと、憶測が飛び交いましたが、私たちは決意しました。

 何かご事情があるなら、無理にお尋ねしないこと。

 円華様がそれをお話されたくないのなら、触れないこと。

 そして、もし周りがそのことでとやかく言うようなら――紫善グループは少々強引な手も使われることがあって、敵対心をお持ちの方々もいらっしゃるようですので――私たちが全力でお守りしよう、ということ。


 そうしてお守りしたい、と思えるほど、円華様は魅力的な方でした。

 私たちを「お友達」とおっしゃってくださった方を、その方がそう望まれるならお友達として、お付き合いしたいのです。


「――そして、なんとしても我が部へ!」

「え、えぇ? 真中様、そんな理由!?」

「何をおっしゃいますか! 仲良くなってナンボですわよ!? いざ、新入部員確保!」

 

 私が拳を握ってそう言えば、大原様が呆れたように遠い目になりました。


「……ほんと、三枝様に似てきましたね、真中様……」

「え、まさか!?」


 心外です! 三枝様に似てるなんて! ……え、似てるって、本当に? じょ、冗談、ですよね……?


 小田様が小さく吹き出すように笑われました。


「とりあえず、新しいお友達ができそうですわね」


 小田様の言葉に私たちも頷きます。

 そう、これから、わくわくするような毎日が待っているような気がします。

 あの、素敵な方にすっかり魅了されてしまったのは、事実ですもの。

 そうして私たちは、カフェの閉店時間まで、明日はどこの部活動を回ろうか、相談しました。






◇◇◇






 ――その方が教室に入ってきた瞬間、世界が変わったような気がしました。


 花の香りと共にいらした、ミステリアスな新入生。

 ……そう、高校一年生の春。確かに私の世界は心踊る方へ、変わったのでした。

 

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