23 お嬢様、見学する(5)
「障害?」
「はい、あちらの馬場でぜひ!」
「は、え?」
ぐい、と手を引かれた私たちの間に真中様が慌てて入った。
「お待ちください、部長! いきなりそれは体験の域を超えていますわ! 怪我をされる危険性も……!」
すると三枝様はぐりん、と真中様に顔を向け、首を振った。
「あなた、この方の手綱捌き、ご覧にならなかったの!? 必ずできるに決まっています! ――ね!? 紫野様!」
「……やったことありません」
「まさか!?」
「いえ、本当に」
私は、三枝様が連れて行こうとしたもうひとつの馬場の方へ目を向けた。
――なるほど、障害物を飛び越える競技ね。
棒が何本か渡してあるその上を軽やかに飛び越える馬が何頭もいた。
「あれを飛び越えればいいのですか?」
私が訊けば、三枝様がわくわくした表情で頷いた。
「ええ。あれだけ走らせられるのです。飛び越えるだけなら決して難しくはございませんのよ」
「わかりました」
「ええ、ですからね、誰でも最初は初心者ですもの……え!? 今、何て……?」
そちらの馬場に向かい、ゴールドウィナーズに再び乗る。
私が障害物の方へ目を向けると、ゴールドウィナーズは嬉しそうに走り出した。跳び方はこの子が知っている。やりたいようにやらせてあげればいいはずだ。
ゴールドウィナーズが行きたい方へ、体を任せる。
目の前に迫った三段の棒を渡した障害を、軽やかに飛び越える。
ふわりと、羽のように柔らかな跳躍だった。
とりあえず、ひとつ跳んでゴールドウィナーズは大きく旋回すると、三枝様の前に得意そうに綺麗な足取りで戻った。
私は楽しくなってしまって、くすくす笑う。
――この子の、得意そうな顔……!
「素敵よ、ゴールドウィナーズ! 綺麗に跳べたわね」
私が褒めてあげると、嬉しそうに嘶いた。
「素晴らしい……! なんて優雅な跳躍かしら!? 本当に初めてですの!?」
「はあ、まあ、ふざけて柵を跳んだことはありましたから……」
――あとは、全力で逃亡しないといけなかった時に。
ヴァイオレットの愛馬、白雪号は本当に素敵な馬だった。白雪のように真っ白な気高い雌馬。……最後まで嫌がることなく走ってくれた。優しい目が、少しゴールドウィナーズに似ていた。
「よろしい。――では、次は私が見本を見せますから、同じコースで繰り返してください」
「……え? これで終わりでは?」
「何をおっしゃっているのですか!? 部活動の時間にはまだまだ余裕がありましてよ!?」
いや、部活動に来ているわけではなくて、単に見学だけのつもりだったのですけれど?
「はっ!」
私が反論する間もなく三枝様は颯爽と馬に乗ると、華麗に障害物を飛び越えて行く。部長で全国大会出場者ともあって、動きに無駄がなく、正確だった。
前世ではあまり障害物を使った競技はなく、初めて見るものだったが、彼女の手綱捌きの見事さは私にもわかった。
貴族令嬢というものは嗜みに乗馬もするものだが、騎士と違って真剣味が足りなかった。そこに求められるのは美しさや優雅さだった。――私にはそういうところが足りない、とよく教師に溜め息を吐かれたものだった。でも、ねえ? 乗っていれば馬の力を存分に出してあげたくなるし、兄の颯爽と乗りこなす様は格好良くて、真似したくなってしまうものだった。
大原様がやっていたフェンシングにしてもそうだが、ここでは女性が全力を出しても褒められこそすれ、はしたないと窘められたりしないようだ。
――自由、ね。
戻ってきた三枝様は、軽く息を弾ませていた。頬は紅く上気して、期待に満ちた眼差しが私を見つめる。
「さあ、紫野様! できそうですか!?」
「ぶ、部長? あの、さすがにそれは無謀では?」
おろおろしたように、真中様が声をかけてくる。しかし、三枝様はくわっと目を見開いて真中様を見る。
「いいえ! 何事も、やってみないことには判断できないものですよ。できないと決めつけてしまっては、すべての可能性はそこで断たれるのですから。貴重な機会は逃してはなりません。さ、真中様、計測の準備を!」
「は、はい!」
「紫野様、ご準備はよろしくて?」
「――はい。経路は覚えました」
パタパタと真中様が何かを準備しに行き、見学のマトリョーシカ二人組が、驚いたように私を見た。
「今の短時間で覚えたのですか、紫野様?」
「……ええ、大丈夫だと思います」
「本当にご経験はないのですか?」
「本格的なものは、何も。ただ、競技会でもないですし、ゴールドウィナーズもまだ跳びたそうにしてますから」
「結構! 真中様、準備はよろしくて!?」
戻ってきた真中様が息を切らせて、言葉もなく頷いた。
「では、紫野様! 合図しましたら、スタートなさって!」
私はスタート位置まで、ゴールドウィナーズを進め、ピタリと止める。
「ゴー!」
三枝様の合図とともに、まずは軽く回り込んで歩かせ、徐々に速度を上げてひとつ目の障害を飛び越える。ゴールドウィナーズは力みもなく軽やかに跳んだ。そのまま速度を落とさず、その先の障害に目をやれば、心得たようにゴールドウィナーズが最短距離で走り、次々と跳んでいく。
――ああ、気持ちがいい。
ゴールドウィナーズは賢い馬だ。この馬場の障害も跳び慣れている。最短距離はゴールドウィナーズの方がわかっているし、任せておけばいい。私はただ、経路を間違えなければ、それでいい。
――空が、広い。
家の近くは緑がなくはないが、建物も多くて、部屋も狭い。特にそれを嫌だとは思わないが、やはり広々としたところは気持ちがいい。この学校の無駄に緑が多くて広々としたところは、ヴァイオレットの暮らした屋敷の雰囲気を思い出させた。
最後の障害を飛び越えて走り抜けると、小さなどよめきが起こった。
いつの間にか、部員や見学者が集まっていた。
三枝様のところまで戻り、ゴールドウィナーズの足を止めると、少し物足りない気もした。
――うん、もっと、走りたいね、ゴールドウィナーズ。私もよ。
「真中様!?」
「はい! 減点なしで、一分切ってます! 部長! 姫宮様や部長には敵いませんけれど、下手な部員よりずっと速いですわよ!?」
「素晴らしい!」
馬を降りた私に、がばり、と三枝様が抱きついた。
「今すぐ入部なさって、紫野様!」
「は? え、ええと? く、苦しい?」
上気した頬、キラキラした目。はあはあと、息を上げる三枝様は抱きつくのをやめたが、両の二の腕をガシッと掴んで離さない。
――なんか、こういうの、前にもあったような……? ああ、蛍だ。
「私たちと一緒に、御殿場を目指しましょう!」
「ご……?」
困惑してマトリョーシカ三人組を振り返ると、苦笑したように三人がおっとりと教えてくれた。
「野球で言う甲子園のことですよ」
「ラグビーで言えば、花園」
「サッカーで言えば、国立競技場」
「吹奏楽なら普門館」
「競技かるたなら近江神宮」
「……えぇと、他にそういうの、ございましたっけ?」
三人が口々に言う。最後に三枝様がガシッと拳を握って見せた。
「駅伝で言うなら箱根! 歌手で言うなら武道館ですよ! いざ、御殿場!」
……よく、わからない。
「あの、まだ、入部すると決めたわけでは……」
「何ですって!? 私をここまでその気にさせておきながら!?」
いや、そちらが勝手にその気になったのですよ!
「か、考えさせてくださいませ!」
もっとゴールドウィナーズと一緒にいたかったが、このままここにいると三枝様に無理矢理入部させられそうだったので、早々に手綱を返した。ゴールドウィナーズに挨拶して、今日の部活動見学は終了にした。
番外編にヴァイオレットと兄のお話を書いています。
馬やレイピアが出てきますので、良かったらそちらもどうぞ。
https://book1.adouzi.eu.org/n3902hi/4/
次話から少し閑話が入ります。
入学してからのお嬢様をマトリョーシカ視点で語ります。
重複するシーンがありますが、ご了承ください。




