22 お嬢様、見学する(4)
今日の最後は真中様の所属されている部活動だった。
校舎からかなり離れたところまでてくてく歩く。
三人と一緒なので、今日は迷う心配もない。
お天気も良くて、緑も気持ちいいし、道に迷わないでお散歩気分なのは楽しい。
しばらく小道を歩くと、急に開けた広場に出た。
「……あら」
青い空の下に広がるのは、立派な馬場だった。
何頭もの馬が、馬場の中を駆けていた。
「……乗馬ですか?」
「ええ、私、馬術部に所属していますの」
真中様がにこりと笑って、馬を差し示した。
そして、練習中の生徒に手を振る。
「部長。見学者を連れてきましたわ」
鹿毛の馬に乗ったひとりの女生徒が、軽快な足取りで馬を走らせ、私たちが立つ柵に馬を寄せた。馬を降り、轡を持って近づいてきた。
「ようこそ、馬術部へ。どうぞ、ゆっくりご覧になっていってくださいね」
「三年生で、部長の三枝百合恵様です。インターハイにも出場された実力者ですのよ」
真中様が部長を紹介してくれた。
――インターハイ……って、何かしら? ……ああ、高校生が出場するスポーツの全国大会のことね。
ブーツに、ブレザーのようなかっちりした乗馬服に身を包み、髪はすっきりとまとめて黒い帽子を被っていた。姿勢良くきびきびとして、人をまとめる立場にある人、という感じがした。
三枝様はにこにこと私たちを眺めていたが、私に目を止めると軽く首を傾げた。
「――あなた、見かけない方ね。外部生かしら?」
「はい。高校からクリストフォロスに入学しました」
私が頷くと、三枝様が真中様を見て、きらり、と目を光らせた。
「と、いうことは、真中様?」
「ええ、部長。まだどこにも所属されていませんわ」
「素晴らしい!」
がばり、と音がしそうなほど乗り出し、柵越しに私の手を握った。
「あなた、お名前は!?」
「ゆ、紫野、円華、ですけれど……?」
「初めまして、紫野様。あなた、乗馬のご経験は!?」
「ええと……。経験と呼べるほどのものは特には……」
「なるほど、結構! 初心者でももちろん大歓迎ですわ! まずは体験なさって? きっと、乗馬の楽しさにお気づきになりますから!」
「た、体験……?」
――圧が、すごい。
三枝様は私の手を握ったまま、真中様を振り返る。
「真中様、乗馬服、部室に予備がございましたでしょう? 貸して差し上げて!」
「かしこまりました。さ、円華様、参りましょう」
「え、あの、どこへ?」
「こちらへいらして」
三枝様から真中様へ私の手は渡されて、真中様がおっとり微笑みながら、ぐいぐい馬場の近くに立つ建物へと私を引っ張っていく。振り返れば、小田様と大原様が優雅に手を振っていた。
「え? 小田様と大原様は?」
「彼女たちは中学の時に体験されてますから、いいのです。さ、お早く!」
――ええ!? 私だけ!?
あれよあれよという間に制服を脱がされ、渡された乗馬服に着替えさせられる。
着替えて見せると、真中様は「ほぅっ」と溜め息を吐いた。
「――思った通り。よくお似合いですわ、円華様」
「あ、ありがとう……?」
「よし! では、参りましょう」
ぽん、と頭に何かを乗せられ、またまたぐい、と手を引かれる。
黒い帽子だと思っていたものは、ヘルメットのようだった。
思いのほか強引だった中マトリョーシカさんに連れられて、馬場に戻る。
そこには小田様と大原様と、先ほどとは別の馬を連れた三枝様が待っていた。
「よくお似合いですわ、紫野様。では、あちらの馬場に移動しましょう」
隣に少し小さな馬場があった。
幾人か、初心者らしき生徒を乗せて轡を引いて歩いている人がいる。こちらはおそらく、練習する部員とは別の、見学者用なのだろう。
「我が部の馬は共用です。ほとんどが元競走馬なのですよ。その中でも特別大人しい子をつれて参りましたから、安心なさってね」
連れてこられた馬は確かに大人しくて美しい馬だった。
美しい白毛になりかかっているが、芦毛特有の灰色の斑点のような模様が見えた。
「ゴールドウィナーズ号です。現役時代は大人しい性格が祟ってそれほど活躍できなかったのですけど、引退した今は、とても乗りやすい優しい子ですわ」
大きな黒い瞳に長い睫、それが私をじっと見つめていた。
近寄って、そっと首筋を撫でてみる。嫌がる素振りも見せず、本当に静かな佇まいの馬だった。
「あら、紫野様、動物はお好き? 初めての方は大きさに驚くのですが」
「大抵の生き物は好きです。それに、馬は近くで見たこともありますから」
「それは良かったわ。少し乗ってみます?」
「ええ、お願いします」
私は馬の目を覗き込んだ。
――可愛い子。
「よろしくね。乗ってもいいかしら?」
私が馬に話しかけると、こちらの言葉がわかるかのように頷いた。賢い子だ。
「では、踏み台を今お持ちしますから――って、え!? ゆ、紫野様!?」
驚いた三枝様の声が眼下から聞こえた。
私の視界はふわりと高くなっている。
「初心者ですよね!? 踏み台もなしにひとりで乗れるのですか!?」
「えぇと……? 先ほど乗っていいっておっしゃいましたよね……?」
「は、はい、言いましたけど……、初心者と伺っていましたので、驚いて」
「――昔、少し乗ったことがあって」
もちろん、ヴァイオレットだった頃のことだ。
乗馬は貴族女性の嗜みだった。ただ、兄と違って軍用馬に乗ったことも、競技会のようなものに参加したこともなかった。王子の遠駆けなどに付き合うために習ったようなものだ。――あまり走らせると、殿下を置いてけぼりにしてしまうので、愛馬をなかなか全力で走らせることができなかった。あの馬にとっては可哀想なことだった。
「お遊びのようなものです。皆様のように真剣に学んだことはありませんし、競技のルールもわかりませんから、ほぼ初心者と申し上げて間違いありません」
円華の記憶では、馬に乗ったことはない、と言って間違いなかった。唯一記憶にあるのは本当に小さい頃、連れられて行った動物園でポニーに乗せてもらったことくらいだ。
正直、円華の体できちんと乗れるのか自信がなかった。
――だが、思った以上に体は想像した通りに動いた。
完全にヴァイオレットだった頃と同じかと言えば、それには劣るが、十五年間まともに馬に乗っていなかった割には乗れるようだ。
「ああ……、裸馬に乗るのもそれほど得意ではありませんから、鞍をつけていてくださって良かったです」
「裸馬!? 新入部員にそれほどの技量は求めていませんわよ!? あなた、充分経験者ではないですか」
「……そう見えるなら、きっとこの子のおかげですね。――いい子ね。乗せてくれてありがとう、ゴールドウィナーズ」
そっと手を伸ばして首筋をポンポンと軽く叩くと、ゴールドウィナーズはブヒン、と返事をするように嘶いた。
そしてゴールドウィナーズが軽く私を振り返った後、前へ出たそうな素振りをする。
「三枝様、少し走らせても?」
「え? え、えぇ。私の介添えは必要ないようですわね。どうぞ、一周回ってみてください」
三枝様の許可を得て、ゴールドウィナーズの馬首を進行方向に向けた。私がほとんど合図しないでも、常歩で歩き出す。……ああ、うずうずしているのが伝わってくる。
まずは常歩で。徐々に速度を上げる。
――もっと、走りたいのね。そうね、いいわよ、ゴールドウィナーズ。走ってみて……!
「はっ!」
軽くかけ声をかけると、駈歩に変わった。本当に僅かな合図で走り出す。反応のいい馬だ。私はゴールドウィナーズの走るのに任せて、体の力を緩める。緩く握った手綱からは彼の楽しさが伝わってきた。
――うん、私も楽しいわ!
すぐに一周走り終わってしまった。柵の内側には三枝様と、踏み台を抱えたまま固まっている真中様、柵の外側にはぽかんと、私を見つめる小田様と大原様がいた。
三枝様の前まで戻ると、私はゴールドウィナーズから降りた。
「ブヒン……!」
ゴールドウィナーズが私に鼻を寄せた。
私はくすぐったくて、笑いながらその首筋を軽く叩く。
「……うん、そうね、走り足りないね。でも、ごめんね、体験に来ただけだから……」
そうして、呆気に取られたように見ている三枝様に手綱を返そうとした。
「ありがとうございました。とても楽しかったで……はい?」
差し出した私の手を手綱ごと三枝様がぎゅっと握っていた。
あ、あの、離してくださらない?
「紫野様!」
「は、はい?」
「ぜひ、障害もやってみませんか!?」




