17 お嬢様、捕まる
彼のあとについて教室を出た。
実際にあれこれと、校内を紹介してくれながら歩く。
会話が途切れたところで、私は気になっていたことを尋ねた。
「生徒会役員の方は、外部生の入試の成績をご存知なのですか?」
本人さえ知らない成績を、教師でもない生徒が知っているのは、普通なのだろうか。
私の口調から非難の匂いを感じたのか、彼は少しだけ困ったように苦笑した。
「生徒会特権だね。クリストフォロスは昔から、生徒会の力が強いんだ。――ただ、全員分ではないよ。上位十名程度の入試の順位と名前くらいだよ。細かな点数なんかは知らされてはいない。外部生は優秀な人が多いからね。早いところ、生徒会に確保しておきたい、という……、気分を害したかい?」
「いいえ。別に非難しているわけではございません。ただ、入学式で挨拶されていた方が一位の方かと思っていたので、少し驚いただけです」
「ああ、鷹雅か。彼は内部生だよ。大抵中学で生徒会長だった者が、入学式で挨拶するようだよ」
「そうなのですか」
なるほど。だから挨拶にも慣れているように感じたのか。やはり元々、そういう立場の人だったのだ。落ち着いていたのも納得だ。
久遠譲はくすり、と笑った。
「君も彼が気になるクチかい? ウチの王子を良かったら、後で紹介するよ。彼は高校でも生徒会役員になる予定だし」
「……王子?」
私はその言葉に引っかかって、思わず呟いた。ぞわり、と鳥肌立つように嫌な言葉だった。
足を止めて眉を顰めた私を、彼が振り返って不思議そうな顔で見た。
「ああ……、あだ名だよ。ほら、彼、名字が『北大路』だろう? 容姿も家柄も成績なんかもいいから、昔から内部生仲間の間ではそんな風に呼ばれてる。ファンの女の子は多いよ」
「……そうですか。いえ、特に興味ありませんから、お気遣いなく」
王子、と呼ばれる人種にろくなものはいない。なるべく近づかないようにしよう。生徒会に入ると自動的にその王子様とやらとお近づきになってしまうのなら、断った方が無難かもしれない。
――このままついていくと、なし崩し的に生徒会とやらをやらされるのではないか、という嫌な予感もした。
「生徒会役員って、選挙で選ぶものではないのですか」
まず、そもそもそこが疑問だ。既に生徒会役員になる者が決まっている口振りだし、生徒会に入る予定の者が他の役員を選べるような前提で話している。
だが、円華の常識だと、生徒会というのは選挙で選ぶことが普通なようだ。実際、円華の中学校ではそうだった。
少し前を歩く久遠譲に訊けば、ああ、と頷いた。
「もちろん、選挙は行う。でも、その選挙に出るには生徒三十人分の推薦がいる。ひとクラス分くらいだね。それくらいの人望がない者は生徒会役員に立候補できない」
「――では、私はそもそも無理ですね」
入学したばかりで、私には知り合いと呼べる人さえほとんどいない。幼稚園から付き合いのある人たちと比べて、私を推薦するような酔狂な人が三十人もいるとは思えなかった。
「どうだろうね? 君なら大丈夫そうだけど……」
どういうわけか、久遠譲は面白そうに私を見た。
くすり、と笑うと、先に立って歩く。
「ひとつ、方法がある。現会長の推薦があれば、それだけで立候補できる」
「たったひとりの?」
「そう。それだけ生徒会というのはクリストフォロスでは強いし、そもそも人望ある人でないと会長にはなれない。その人が選ぶ人物なら確かなはずだ、という理屈でね。だから君も、これから会う会長に認められればいい、というわけ」
「入試の成績優秀者、というだけでは人となりはわからないと思いますけれど」
「まあ、そうだね。ただ、ひとつ生徒会役員を続ける条件があって」
「――途中で辞めさせられることもあるということですか?」
「そう。定期テストの順位が五十位よりも悪くなってしまうと強制的に辞めさせられる。学院側は、まずは学業第一と考えているから。基本的に生徒の自治に口は出さないけれど、そこだけは厳格なんだ。学業と両立できない者には務まらない。だから、最初から成績上位者を捕まえておきたいんだ。途中で辞められても困るから」
「選挙は形ばかりのもの、ということですか」
「――結果的にはそうなっているかもしれないね」
つまり、それだけの能力が担保されている人でなくてはならないのだろう。中学校で辞めずに生徒会役員を務められた者は、そもそも人望も能力もあるということだ。
「形ばかりの選挙、というところが納得できない?」
「いえ、合理的な方法だと思います。ただ、現代的ではないな、とは少し思いますけれど」
久遠譲は軽く苦笑した。
「……まあ、かつての特権階級が運営していた生徒自治会が生徒会の前身だから、こういう先に人選ありき、という形が今も続いているし、生徒会にはそれなりの特権も未だにある。――それ以上に大変だし、責任も重いからやりがいはある、と言い訳くらいはしておこうかな」
生徒会室は特別棟である隣の校舎にあるそうだ。どうもそちらに向かっているらしい。特別教室ばかりがある特別棟は、本校舎と渡り廊下で繋がっていた。
一階に降り、渡り廊下に足を踏み入れたところで、私は足を止めた。
一階の渡り廊下は壁がなく、屋根のみある。
風が吹き抜けるそこは、うららかで桜の花びらが吹き込んでいた。
本校舎から特別棟へ向かう廊下の左手は中庭で、見事な庭となっていた。右手は開けた広場。近くに桜の木が幾本もある。桜の木の下は散った花びらで薄く桃色に染まっている。風が吹くたび、ちらちらと花びらが散り、ふわりと地に落ちたそれは再び舞い上がったりする。
前を歩く彼が数歩行き過ぎたところで、立ち止まった私に気づいて振り返った。
「どうかした?」
「……いえ。やはり、お断りします。生徒会役員にはなれません」
「どうして?」
王子に関わりたくない、というのが本音だが、どうして、と突っ込まれると生理的に嫌、としか答えられない。さすがにそれはよく知りもしない相手に対して失礼だろう。
「私、成績優秀者だけが受けられる奨学金を得て通っています。成績を落とすわけにはいきません。――他の活動をしている余裕はないと、気づきました」
嘘、ではない。成績を保たなければならないのは事実だ。
私を見て、彼は静かにふっと笑う。
「……他にも理由があるね」
私は黙っていた。嘘は、つかない。
「何も、無理に入れようなんて思ってない。ただ、話を聞くくらいはいいだろう? そのつもりでついてきたんだろう? ――ほら、さっき、本気で何か部活動に入りたそうな感じだったよ。部活動、やる余裕はあるんだろう?」
――ああ言えば、こう言う。面倒な人だ。
「……ですから。部活動はやりたいので、他に割く余裕がないのです」
「まあまあ、そう言わず」
彼は数歩離れていたところからこちらに戻り、近づいた。
私は、そのままの距離を少し、後退る。
「申し訳ありません。やっぱり、今日は帰ります。ご機嫌よう」
くるり、と踵を返して私は本校舎へ戻ろうとした。
「あ、待ってよ……!」
彼の右手が私の左手首を捕まえた。
「――離して」
私は彼の手から逃れようと、手を引こうとするが、びくともしない。
振り返って、彼を睨んだ。
「勝手に手を掴まないで、と言ったはずですけれど? 失礼よ」
「捕まえておかなければ、君は逃げるだろう?」
「あなたに捕まらなければならない理由はございません。……手を、離して」
「――嫌だ」
「どうして!」
いい加減、苛立って振り払おうとした時、強い風が吹き抜けた。
ザアッと、薄桃色に視界が染まる。
思わず顔を背けた。髪が風に煽られる。
はっと、彼が息を呑む気配がした。きゅっと、私の手首を掴む手に力が入る。
「痛っ」
思わず小さく上げた悲鳴を、彼は聞こえないようだった。
掴んでいないもう片方の手が私の右の二の腕あたりを掴む。
「……それ……」
呟いて、彼は私の腕を強く引いた。
「来て」
「は?」
「いいから! 確かめたいことがある」
「離して!」
私は抗ったが、体力差は歴然としていた。半ば引きずられるように特別棟に入ってすぐの空き教室に連れ込まれてしまった。
ピシャリとドアを閉め、すぐ脇の壁際に、ドン、と追い詰められた。
――なんですか、この状況?




