〈閑話〉母さん、娘を見守る(2)
数日後、凌久と円華の入学式の日。
「おはよう。……あれ、円華ちゃんと凌久ちゃん、今日が入学式かい?」
バタバタとアパートの階段を降りた私たちに、掃き掃除をしていた大家さんが声をかけてくれる。
越してきた頃からおばあちゃんだったが、最近はますます小さくなってしまった。古いアパートだが、大家さんが良い方なので、あれこれと世話をしてくれて、住みやすい。
「おはようございます。そうなんです」
「そうかい、おめでとう」
「ありがとうございます」
円華と凌久も声を揃えて、答える。
「航さんも、ずいぶんめかし込んじゃって」
「そりゃあ、そうですよ! 入学式ですから!」
航くんは凌久の入学式に一緒に行くことになっている。年度初めでものすごく忙しいようだが、これだけは何ヶ月も前から休みの申請を出していたため譲れない、と意気込んでいた。
私は、と言えば当然休めなかった。結果、円華はひとりで高校の入学式に参加することになる。
「円華、本当にひとりで大丈夫?」
「ええ、父さん、心配しなくても高校はすぐそこだから」
「あぁ、でも、娘の晴れ姿を……! 見に行きたい……!」
「……別に、来ても何もないと思うけれど」
「あっ、大家さん! 記念に写真撮ってもらえませんか!?」
ひとりテンションの高い航くんが大家さんに、カメラを渡している。円華が産まれた頃中古で買ったデジタルカメラだ。今売っているものよりずっと大きく、機能は少ないが、未だになんとか動いている。
「えぇと、私にわかるかねぇ……?」
メガネをかけながら航くんに操作方法を聞いた大家さんが、アパートを背後に記念写真を撮ってくれることになった。
「じゃあ、並んでー。はい、チーズ」
カシャリ、という音がして、笑顔の四人がカメラに収められた。
「どうどう? あっ、ばあちゃん、うまく撮れてんじゃん!」
デジタルカメラを覗き込んだ凌久がはしゃいだ声を上げた。祖父母のいないこの子たちは、大家さんが本当の祖母かのように懐いていた。
「ほらほら、あんたたち、時間いいのかい?」
「あっ、ヤバい! 父さん、時間!」
「気をつけて、行ってらっしゃい」
「ありがとう、ばあちゃん! 行ってきます!」
凌久と航くんが慌てて手を振り、駆け出す。凌久の中学よりも学校が近くにある円華は、余裕を持って優雅に会釈した。
「私も。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
大家さんに見送られて、私は円華と並んで歩き出した。途中までは一緒の道を歩く。
「円華、ごめんね、ひとりで行かせて」
「高校の入学式くらい、皆さんひとりで参加するのではないの? 大丈夫よ、母さん」
わかれ道で、微笑んで円華が手を振った。
聖クリストフォロス学院の制服のスカートが翻り、サラリとした長い髪が風に流れる。すれ違う若い男の子が、幾人も円華を振り返る。
どこからどう見ても、良家のお嬢様に見えた。
「気をつけて。行ってらっしゃい」
「はい。行ってきます」
すっと伸びたその背筋を見送る。
曲がり角に消えるのを見送って、私は足早に駅へ向かって歩き出した。
病院で目覚めて以来、私の娘は何かが変わったように思う。
ただ、あの晩、はっきりと「大丈夫」と言った娘は、やはり私の娘だと思う。
あの子が、どんな高校生活を送るのかはわからない。
航くんが言ったように、私も何かあるなら全力で守ろう。
私の不安など、些細なことだ。それよりも重要なのは、あの子が毎日を楽しめること。
滅多に助けを求める子ではないから、私にできることなど、ただ見守ることくらいかもしれない。それでも、願わずにはいられない。
――どうか、楽しい毎日があの子に待っていますように。




