12 お嬢様、恋されちゃう?
――お兄ちゃん……。蛍の兄、か。
背が高く、短く刈り込んだ髪。おじさんを痩せさせて、若返らせたらきっとそっくりだ。目が鋭くて、どことなく騎士の雰囲気に似ている。
……そうね、こういう人は、スポーツマン、というのね。何かスポーツをしている人。
「ただいま。……お、凌久、来てたのか」
「いただいてまーす!」
凌久が口いっぱいに頬張りながら、片手を上げた。
名前……名前なんだっけ?
その人が私を見て、驚いたように目を見開く。
蛍の兄、ということは円華の幼馴染みだ。つまり、私の顔は知っているはずだけれど? 何に驚いているのか、私を凝視している。
凌久が横から小さく囁いた。
「純、兄ちゃん」
ああ、そうか、純さんね。
「こんばんは、純さん」
「へ!? だ、誰!? 蛍の友達!?」
凌久が、慌てて小さくつけ加えた。
「姉ちゃん、違う……! 『さん』じゃなくて、『くん』だよ……!」
――ああ、思い出した。純さん……じゃなくて、純くん、だ。円華はいつもそう呼んでいた。
蛍のひとつ上の兄。野球部だ。
「何言ってるの、お兄ちゃん。円華ちゃんだよ?」
「え! ま、円華!? いや、まさか!? ま、またまた~」
私に近づいて、まじまじと顔を見る。
……まあ、変わったわよね、確かに。ただ、幼馴染みでしょう? わからないほどかしら?
私がにっこり笑うと、彼の顔がカーッと真っ赤になった。
「ね、姉ちゃん、青海苔ついてる!」
「あら、そう? 失礼……おほほ」
優雅に口を隠して取りました。失礼。
「ま、円華だ! ど、どうしたんだ、その顔!? ていうか、そんな顔だったっけ!?」
真っ赤になりながら、妹の方に助けを求めるように顔を向ける。
「どうよ? 私の力作は!」
ふふん、と蛍が胸を張る。
「特殊メイクか!?」
「違うっ! 円華ちゃんは、もともと素材がいいんだって!」
「いやでも変わりすぎだろう!? お前、何した!? 整形でもしたのか!?」
「医者じゃないんだからするわけないでしょ? 髪切って、ちょっとメイクしただけじゃん」
「あのヤバいメガネは!?」
「もともと伊達眼鏡だってば。クリストフォロス行くからお嬢様っぽくしてみたよ! どうだ、お兄ちゃん! 惚れたでしょう?」
はーっと息を吐いたまま、純くんは言葉もなく、私を見つめている。
……ま、まだ青海苔ついてる?
「ほ、ほれたって……? あ、いや、ちが……っ!」
「あれ? まじかー。まじ惚れちゃった?」
「いや、違うって! うるせえな、黙れよ、蛍!」
「ほら、見なさい凌久くん、うちの兄を。たとえ青海苔ついてたって、恋に落ちる時は落ちるのよ。青海苔ついてるくらいで幻滅するような男はろくでもないわ」
「落ちてないからッ、こここ恋なんて……!」
「蛍ちゃん、なんか嫌な思い出でもあるの? 青海苔に」
「別に……」
「聞けよ! 落ちてないからな!」
真っ赤になって否定している純くんを、二人は無視して話し続けている。
……カオスだ。
「いい加減にしなさい、あんたたち! 他のお客様に迷惑でしょう!? 静かにできないなら上行きなさい!」
おばさんに叱られてしまった。
そして、純くんだけぽかり、と拳骨を落とされている。
「いてっ! ……なんで、俺だけ!?」
「あんたが一番うるさいからよ! さっさと着替えて食べたら洗い物手伝って!」
「うるせぇのは、そっちじゃねぇか……」
ぶつぶつ文句を言いながら、店の奥に行く。
階段の方に向かいながら、靴を脱ぐ前にチラッとこちらを見るので、にっこり笑って見せたら、カーッと真っ赤になってダダダダッと階段を登っていった。
「純、うるさい! 静かに登れないの!?」
そして、またおばさんに叱られてるのだった。
お好み焼きを食べ終わって、食器を厨房に凌久と運ぶ。
洗い場には言われた通りに純くんが入ってガシガシ食器を洗っていた。
「あら、ありがとう! いいのに、置いといてくれれば」
「御馳走様でした。――あの、洗い物、やらせてもらえませんか?」
「え!?」
洗い場にいた純くんとおばさん、おじさんまでもびっくりした顔で私を見る。
「ど、どうした、円華!? 熱でもあるのか!?」
純くん、その驚き方は失礼ではないですか?
まるで、私が何もできないみたいに。
洗い物もちゃんと覚えてるわよ?
「……なんにもお返しできないので、何かできることがあれば、やらせてもらえませんか?」
「円華ちゃん、いいよ、そんな、気にしなくって!」
鉄板の片付けを終え、私たちの後から厨房に入ってきた蛍も言う。
――しかし、そういうわけにはいかない。
何かを得るには正当な報酬を渡す義務がある。
髪を切ってもらって、美味しいお好み焼きまでいただいてしまった。
私には、百六十二円しか、返すものがない。……とても、足りないのだ。
「円華ちゃん、今日のは退院祝いだと思って食べといたらいいのよ。本当に気にしないで」
おばさんはそう言ってくれたが、私は首を振った。
「退院祝いはもう昨日、いただいています」
するとおばさんは困ったようにおじさんと目を合わせた。
……どうしよう、困らせてしまった。
「姉ちゃん、今日はそうさせてもらおう……?」
凌久も私の服の袖を引っ張り、小さくそう言う。
しかし、そういうわけにもいかない。すると、純くんが思いついたように声を上げた。
「――なら、バイトすればいいんじゃね?」
「バイト?」
私たちは揃って聞き返す。
バイト――そうか、アルバイトだ。労働のこと。
「や、やります! やらせてください!」
お店も手伝えるし、労働すれば報酬ももらえる!
全財産、百六十二円から脱することができるわ!
「ほら、三月で、学生バイトの佳代さん、学校卒業して引っ越したから辞めちゃったじゃん。バイト募集しなきゃ、って言ってただろ、父ちゃんも」
「あ、まぁ、そうだけど……」
どうする? というようにおじさんとおばさんが目を見交わす。
うーん、とおばさんも腕組みする。
「お兄ちゃん、そんなこと言って、ただ円華ちゃんに会いたいだけじゃないの~?」
「ち、ちげぇよ! だいたい円華、しょっちゅう入り浸ってるじゃねぇか! バイトしなくたって会うだろ」
純くんが、真っ赤になって否定する。
「そうじゃなくって! 俺だって、学校本格的に始まったら部活も忙しくなるし、そんなに手伝えないからさ。やりたいって言ってんだし、やらせればいいだろ?」
「まぁ、そうかもなぁ。そりゃあ、円華ちゃん来てくれたらこっちは助かるけど。中学卒業したから、働いてもらうのも問題ないしなぁ……。どうする?」
おじさんに訊かれておばさんも頷いた。
「そうねぇ。でも円華ちゃん、勉強大変なんじゃないの? クリストフォロス、結構レベル高いでしょう?」
私は王妃になるため、ありとあらゆる教育を受けている。それにどうやら、円華も成績は悪いわけじゃないらしい。なにしろ、成績優秀者しか受けられない奨学金を受けているのだ。――まあ、その奨学金を受け続けるには、成績を維持しなければならないけれど。なんとかなるだろう――いや、してみせる。
「大丈夫ですわ!」
私は力強く言った。
「……うーん。じゃあ、あなたのお母さんたちに相談してみるわね。ご両親の許可がでたら雇うわ」
「あ、ありがとうございます! よろしくお願いします!」
「じゃあ、今日はとりあえずいいから、遅くなる前に帰りなさい。――あ、これ航さんと澪さんに渡してね」
結局、お土産までいただいてしまった。
私と凌久はぺこり、と頭を下げてありがたくいただいて帰った。
「あっ、待って! 送ってく!」
エプロンで泡だらけだった手を拭きながら、純くんが飛び出してくる。
「く、暗いから!」
「えー、じゃあ、私もー」
蛍もついてきて、四人で家路についた。
「ありがとう、純くん」
すぐにアパートの前について、私がにっこり笑うと、夜目にも純くんが真っ赤になった。
「べ、別に! いつものことだろ!?」
「……アルバイトのことも。純くんが言ってくれて助かったわ。ありがとう」
「いや、まぁ、おじさんたち、許してくれるといいな」
「えぇ。――蛍も今日はありがとう。今度、必ずお礼をするから」
「えー、いいよぅ、そんなの。こっちこそ、髪切らせてくれて、メイクまでできて、本当に楽しかった! またやらせてね!」
「えぇ、もちろん」
「じゃあ、おやすみー」
「おやすみなさい」
帰りがけ、蛍がシャンプーとコンディショナーを少し分けてくれた。蛍からはもらってばかりだ。……明日から、大切に使おう。
私と凌久は夜道を帰っていくふたりに手を振った。




