11 お嬢様、悪魔の食べ物ふたたび
階下に降り、店に行く。
「そこ座って待っててね! すぐ持ってくるよー!」
一番店の隅にある鉄板に火を入れて、蛍は厨房の方へぱたぱたと行ってしまう。
座敷に上がって、温まり始めた鉄板の前でバッグの中を漁ると、財布が出てきた。
「……姉ちゃん? なにやってるの?」
凌久が不思議そうに見る。
私はテーブルの端に財布の中身をあけた。
「いち、に、さん……ひゃくろくじゅうにえん……?」
百六十二円とは、これ如何に。
まさか、これが全財産だろうか?
もやもやっとした記憶で、なんだかお金のありかがわかりそうな感じもしたが、頭の中を何かが必死にブロックするような感じがした。
――ああ、円華が教えまい、としている。
これは、どこかに貯めてるのがあるな……。
そうは思ったけれど、ここは円華の意志を尊重しよう。あなたのお金には手をつけないわ。財布の中身は許してもらうけれど、ね。
私の全財産は、百六十二円だ。
これを、どう増やすかは急務だ。
「無銭飲食……」
私がぼそり、と呟けば、凌久が渋い顔で「ああ……」と呻いた。
「ここは、好意に甘えるってことでいいんじゃない?」
こそっと、凌久が呟く。さらに付け加えた。
「よくご馳走になってるし」
「そうよ、円華ちゃん! 何を気にしているの!? 他人行儀な!」
ドンッと丼がふたつ、目の前に置かれる。
目を上げると、頭に三角巾をし、エプロンをつけた中年の女性がいた。
蛍に良く似ていて、可愛らしい人だった。
「退院、おめでとう、円華ちゃん。凌久ちゃんも、大変だったわね」
「おばさん……。こんばんは」
凌久が気まずそうにぺこり、と頭を下げた。
「そうだよ、円華ちゃん、凌久くん! 今さら二人からお金取ろうなんて、思ってないよ! ひどいよ!」
おばさんの後ろからちょっと怒ったように、蛍ももうひとつ丼を運んでくる。
「お邪魔してます……。申し訳ございません。有り難くいただきます」
私も丁寧に頭を下げた。おばさんが、ぽかん、と、私を見た。
「ど、どうしちゃったの、円華ちゃん……。打ちどころが、悪かった?」
「お母さん、失礼だよ。円華ちゃん、クリストフォロス行くから、言葉遣い気をつけてるんだって! そうだよね、凌久くん?」
「そ、そうです! まあ、打ちどころ悪いってのは間違いじゃないけど……。すいません、なんか起きてからいろいろ変で」
「いや、ごめんごめん。あんまりおしとやかになっちゃったから、どうしたのかと思って。髪型のせいかしらねぇ……。それにしても綺麗になったわねぇ。うちの娘、なかなかやるわね?」
おばさんはからから笑って、私の背中をバンバン叩いた。
「そうでしょ!? ……って、お母さん! もう、いいからあっち行ってて!」
「あら、そう? まあ、二人とも、ゆっくりしていってね!」
私はその背中を見送った。なんか、豪快な人だ。
はー、と溜め息を吐いて、蛍が私たちの向かいに座った。
「ごめんねー、遠慮がない人で」
「いいえ、こちらこそ。ご馳走になります」
私が言うと、蛍はおばさんとよく似た表情でぽかん、と私を見てから少し笑った。
「……ほんと、慣れないね、その話し方。円華ちゃんじゃ、ないみたい。でも、そんな話し方も悪くないね。今の髪型によく似合ってる」
「……ありがとう」
「さ、鉄板もあったまったし、焼こう焼こう! はい、凌久くんはいつもの『さきイカ玉天もちチーズトッピング』で、円華ちゃんは『豚玉海鮮ミックス』ね! 凌久くん、自分で焼く?」
「うん、ありがとう。姉ちゃんのは焼いてやって? 焼き方、たぶん忘れちゃってるから」
「そうなの?」
「記憶障害出てるんだって。ところどころ、ぽこっと記憶が抜けてることがあって。……姉ちゃん、焼き方覚えてる?」
凌久に訊かれて、私はふるふると首を振った。
ずいぶんドロッとした白っぽいものが丼に入っている。
――これが、あの、おいしいお好み焼きに?
「よし、いいよ! 見ててね!」
蛍はまず、鉄板に油を敷く。ヘラで薄く全体に伸ばすと、割り箸を一本取って、パチリと割った。
海鮮と豚の薄切り肉が乗った丼から、豚だけペロリとはがして、鉄板の隅に置く。よく暖まった鉄板がジュウッと音を立てた。
「豚肉はよく火を通した方がいいから、先に焼くの。で、その間に丼を混ぜまーす。ふわっとね、空気入る感じで。で、混ざったら鉄板にあける! あんまり広げちゃうとひっくり返すとき大変だから、小さめの円にして、厚めにした方がふっくらするよ。ここ重要ね!」
「ほぅほぅ……」
真剣に見ながら頷いたら、蛍が「ぶはっ!」と吹き出した。
「おっさん臭いねぇ、円華ちゃん……!」
なんですって? 失礼な! うら若き乙女よ!?
「わ、笑わせないで……」
ヘラで、形を整えたら、蛍はもうひとつの丼に手を伸ばして、混ぜ出した。
「私は今日は豚キムの気分~。初カット記念だよー。こういう日は好物を!」
真っ赤な白菜の漬け物が混ざった、いかにも辛そうなそれを手早く混ぜて、慣れた手つきで、鉄板にあけて形をヘラで整えていく。
「あ、焼けた豚は上に乗っけて、っと。後は片面焼けるまで待つ! ここで間違ってもギュウギュウしちゃだめだからね!」
「はい。そのまま、待つのね」
「そう、我慢してね。これがふわっとした食感の秘密だよ!」
「なるほど……」
見れば凌久も丼を混ぜ終わり、同じように鉄板に円を作っていく。
「……しかし、いつも思うけど、凌久くん、さきイカって渋いよね。それに、もちって、炭水化物on炭水化物じゃん」
「おいしいよ? もちチーズもんじゃならオッケーで、お好み焼きだと不思議がられるのがわかんないよ。炭水化物というなら、もんじゃもそうじゃん」
「いや、おいしいのはわかってる。なんならカットトマト混ぜてもうまいよ?」
「あ、いや、それは遠慮します……」
「なんで? イタリアンっぽくなるって!」
「えー? いつものでいいや」
「たまには冒険しろ、若者よ!」
「いいってば、蛍ちゃん!」
蛍がつんつんつついてくるお好み焼きを、凌久はヘラで必死で守ろうとし、それを見た蛍が吹き出した。何やってるのよ、二人とも。
しばらくそんな攻防戦をしてから、蛍が再びヘラを持つ。
「そろそろいいかなー」
蛍がお好み焼きの下にヘラを入れて、少しだけ浮かして裏側を覗く。
「お、いい感じ。じゃあ、いよいよひっくり返します!」
膝立ちになると、両手にヘラを持ち、両側からお好み焼きの下にヘラを差し込んで、手前にひっくり返した。
「ほっ! どうだ!?」
こんがり焼けた反対側が綺麗にペタン、と上に来た。
「おおー! すごい!」
私と凌久は思わず拍手して、感嘆の声を上げた。
「ふっふっふ。伊達に十年以上お好み焼き焼いてないよ!」
凌久も同じようにして、自分の分をひっくり返した。
ぺしゃッと少しだけ、形が崩れたが、ヘラで整えれば問題なさそうだった。
「わ、私もやりたい……!」
「いいよ、やってみる?」
思わず言うと、蛍がヘラを渡してくれた。蛍が食べる予定の、豚キムチ玉天をひっくり返させてくれると言う。場所を変わってもらって、お好み焼きの前に座る。
――手順は見てたわ……! ちゃんと、頭に入ってる!
できるわ、円華、やるのよ……!
「えい!」
ぺしゃッと音を立てて、豚が散乱し、お好み焼きが半分に折れる、という無残な姿になってしまった。
――な、なぜッ!?
くくく、っと蛍が笑いながら、折れたお好み焼きを広げ、豚を拾い集めて広げたお好み焼きの上に改めて、ぽん、と置いた。
「……円華ちゃん、成功したためしがないねぇ。ま、そのうちうまくできるようになるよ!」
励ますように言われたが、私はしょんぼりだった。
「ごめんね、蛍……。綺麗に髪切ってもらった上にこんな……」
「いやいや、お好み焼きくらいどうってことないでしょ? 大丈夫だよ、ほら。味は変わんないって――あっ! 凌久くん! ギュウギュウしちゃだめだって!」
ヘラでお好み焼きを押さえていた凌久がビクッと肩を震わす。
「あ、でも、すぐ焼けるかなって……」
「ふわカリ感がうちの売りなんだって! 表面はカリっと! 中はふんわり! そのためには押さえちゃだめ!」
「も~、うるさいな~。味は変わんないって今言ったばっかじゃん。いいだろ、どんな食べ方したってー」
「凌久くん!」
「……はい、ごめんなさい」
「わかれば、よろしい」
偉そうな蛍と、ふてくされた凌久が面白く、つい笑ってしまった。
「さあ、もう少しで焼けるよー。ソース塗って~、マヨネーズかけて~、青海苔と鰹節たっぷり! 歯にくっつくの気にして青海苔かけない女子とかくそくらえだわ!」
言いながら、青海苔と鰹節をどっさりかけている。
あまりの遠慮ない発言に、私は蛍もあのお母さんの娘だな、と納得した。
可愛らしい顔してるのに、どうなのかしら。ただ、豪快さは不思議と気持ちがいい。
背中合わせにしたヘラをカチャカチャ言わせて器用に円を四等分してくれる。
ふたつのお好み焼きを手早く切り分けると、私にヘラをひとつ渡してくれた。
「はい、円華ちゃん、焼けたよ! 食べて食べて! あ、凌久くんは自分でやってね」
「うん、大丈夫」
凌久も器用に切り分けていた。
――この子、基本的に器用よね。できないことってあるのかしら?
「では……」
食べる準備が整った。私と凌久はごくりと喉を鳴らして、手を合わせる。
「いただきます!」
「どうぞー!」
蛍がにっこり笑ってお皿と箸を渡してくれた。
切り分けた一かけを皿に乗せ、箸でひとくちサイズにし、はむっと口に入れる。
「あふっ……!」
口の中を火傷しそうなほど、熱々だ。
豚がカリカリで、お好み焼きはふんわり熱々……!
なにこれ、昨日も悪魔の食べ物だと思ったけれど、できたてはなお美味しいなんて……! ああ、私、もう毎日お好み焼きでもいいわ!
「おいひい……」
はふはふ食べていると、ガラガラと店の戸口が開けられ、大きなつるりとした黒いバッグ――ああ、スポーツバッグね――を持った詰め襟の制服を着た男性が入ってきた。
「母ちゃん、腹減ったー!」
「あんた、何よ。帰ってきて挨拶もなく、一言目がそれ?」
呆れたようにおばさんが溜め息を吐きながら小言を言う。
「お帰り、お兄ちゃん」
お好み焼きを食べながら、蛍が言った。




