10 お嬢様、へーんしーん!
「はい、完成ー!」
「おー、すげぇ、蛍ちゃん! これが、あの姉!?」
ざっと切った後、ドライヤーで乾かして、さらに蛍が仕上げのはさみを入れて、完成したものを見せる。凌久がぱちぱちと拍手しながら、感嘆の声を上げる。
ど、どうなの? 私にも見せて!
蛍が鏡を手にして戻ってきて私に手渡そうとして、はっと手を止める。
鏡を放り出し、私の両頬を両手でぐいっと挟んだ。
「円華ちゃん! 何、この肌!?」
「え、は、肌って? 荒れてる?」
「逆よ、逆! ツルツル! 前は手入れもしないで、ニキビだらけだったのが!? え、化粧してないよね!?」
「してないけれど……」
「すごく綺麗になってる! どうしたの!?」
「さあ……?」
特に何もしていない。
「あー、たぶん、病院食が良かったんじゃない? 入院中も退院してからも、姉ちゃんが前によく食べてたスナック菓子類には手をつけてなかったし」
凌久が思い出すようにそう言った。蛍が私の両頬を挟んだまま、勢い良く凌久を振り返る。
「それだー! ま、円華ちゃん、メイクもしていい!?」
蛍の顔は上気して、はあはあ言っている。
ほ、蛍……?
「別に構わないけれど……?」
「ま、円華ちゃんが、メイクを受け入れた!? やった! 待ってて! 絶世の美少女にしてあげるから! うはー!」
だ、大丈夫かしら?
不安な気持ちで見つめていると、蛍は自分の部屋に駆け込んでコスメを抱えてダッと戻ってくる。
「はい、眉毛から!」
「痛っ!」
「黙って!」
いきなり、毛抜きで眉毛を抜かれ、痛さに身を捩ると叱り飛ばされた。
「蛍ちゃん、テンションおかしいよ……」
ずっと面白そうに見ていた凌久も、さすがに珍獣を見るような目に変わってきていた。化粧水、乳液、下地、ファンデーション、と流れるような手つきでどんどん私の顔に化粧を施していく。
眉墨、口紅、チーク。ふわっと乗せられていくその感触が懐かしかった。
「お? おおお? ね、姉ちゃん?」
驚いたような凌久の声がとにかく気になる。
「な、なに、り、むぐっ」
「しゃべっちゃ、だめ! リップ仕上げてるんだから!」
私は慌てて口を閉じた。
「あ、軽く開けて!」
注文多いな。
私はおとなしく、されるがままにされた。
「はい、今度こそ、完成ー! どうよ、私!?」
「すげぇ、すげぇよ、蛍ちゃん! 同一人物とは思えないよ! いっそ、怖いよ、蛍ちゃんのその腕が!」
「おお、ほめてほめてー!」
だから、どうなのよ!?
気になって、そわそわする私を、目を閉じさせて手を引き、蛍が姿見の前へ連れて行った。
「目、開けちゃだめだよ? いい? ビックリするよ? じゃあ、はい、ここ立ってー! じゃーん、どうぞー!」
私はそっと目を開けた。
そこには、見たこともない女の子が立っていた。
艶やかな長い黒髪、血色の良さそうな肌と、ほんのり色づいた唇。
目はパッチリ二重、というわけではないけれど、涼やかな切れ長で、前に蛍が言っていた『アジアンビューティー』というのも頷ける感じだった。
確かにあっさりした顔だが、品の良さは出ていた。
――誰、これ?
「どう、どう!? お嬢様っぽくなったでしょ!? あえてメイクは超ナチュラル風にして素肌感を強調したの! これなら、このまま学校行ってもバレないよ!?」
「うん……。女って怖ぇ……、リップぐらいしかつけてないように見えるよ……やべー、なんだこれ? 俺、この先女の子ってのが信用できなくなるじゃんよー」
凌久がぶつぶつ呟いている。
「なに言ってるの、凌久くん。綺麗な子は努力してるんだよ。キュルキュルしてるくせに『えー、なんにもしてません、ウフフ』とか言う女の子の方が、怖いんだよ? ちゃんと、見極めて!? 女のスッピンが一番美しいとか幻想だから! そんなこと言う男にはならないで! あ、かといって常に身綺麗さを押し付けてもだめよ!」
「どっちなの!? 難しいこと、言わないで!」
「女の努力は認め、なおかつ、たまの手抜きも許す寛容さ、それがいい男ってものよ。凌久くん、あんだけ家事できて、そんなことまでできたらモッテモテのウハウハだよ!?」
微妙におじさん臭いことを蛍が言う。
「お、覚えとく……」
気圧されたように凌久がこくり、と頷いた。
蛍がメイク道具を片付けに部屋に行ってしまい、私たちは散らばった髪の毛を零さないよう気をつけながら、新聞紙を片付ける。
動くたびにサラサラ肩から滑り落ちる髪の感触が気持ち良くてにこにこしてしまう。片付け終わると、凌久に改めて訊いてみた。
「どうかしら、凌久?」
「――いいと、思う。誰か、と思うレベルで別人。……これなら、いけるかも」
「いける?」
「姉ちゃんの、クリストフォロス生活大作戦が」
「……なにそれ?」
私は首を傾げた。
そこで、蛍が戻ってきて、凌久に話しかけた。
「凌久くん、おじさんたち、今日遅いの?」
「あ、うん。二人とも仕事溜まってるから、残業って言ってた」
「夕飯うちで食べてきなよ。二日連続でお好み焼きで申し訳ないけど」
「あ、それは全然構わないんだけど。うちも夕飯昨日のおかずの残りの予定だったから。……でも、いいの? お店の席占領しちゃ悪いし」
「……凌久くんは、もう少し子どもらしくした方がモテるよ。――大丈夫、平日だから空いてるし。『ワーイ』とか言っとけばいいのに」
「じゃあ。ワーイ」
「よろしい」
棒読みで言った凌久に、にこり、と蛍が笑う。
時刻は夕方六時を回っていた。夕飯、と聞くとお腹がぐぅ、と鳴った。
蛍に聞こえたようで、くすり、と笑われる。
私は真っ赤になった。は、恥ずかしい……。
「ありがとう、円華ちゃん。髪切らせてくれて、メイクまでさせてくれて。すごく、楽しかった……。十年来の夢だったから」
「そう、それは良かった。こちらこそ、ありがとう、蛍。すごく、素敵になったわ。またお願いするわね。私の専属は蛍よ」
「うわー、ありがとう、円華ちゃん!」
蛍がふわっと笑って、ぎゅっと抱きしめてきた。私はその背中をぽんぽん、と叩いた。――いい娘ね、蛍って。
「よし! ご飯食べよう! おいしいの、焼くぞー!」
「おー!」
「お、おう?」
拳を振り上げた蛍に凌久が勇ましく続き、私も真似して拳を上げてみた。
そうだ、あの、悪魔の食べ物……ふふ、ふふふふ。今日も食べられるのね……!
軽やかな足取りで階段を降りる蛍に続いて降りながら、何かお礼ができないものかと考えていた。




