第35話 スノウとケインの初デート②
それからも俺とスノウのデートは続いた。スノウは俺を楽しませようといつもの明るい声に戻っていろいろな話題を俺に対して振ってくれた。でも俺はずっとどこか上の空で、せっかくスノウが話しかけてくれているのに生返事しかできていなかった。
そして水槽を眺めると頭をよぎるのは3年前のレインとのデートの時のことだった。水槽を眺めながらレインと交わした会話、本当は俺と肌が触れるのなんて怖かったはずなのにレインの方から組んできた腕の感触、ふとした瞬間に目にした、俺の隣を歩くレインの横顔――。と、その時。
「ケイン、ケインってば!」
「ひゃいっ!」
レインが俺を呼ぶ声が聞こえた気がしておれは変な声を出してしまう。そして声の聞こえた方を見るとそこにはレイン……ではなくスノウがいたずらっぽい笑みを浮かべてこちらを見てた。
「ふふ、さてはケインさん、今お姉ちゃんに呼ばれたと思いましたね。まあ、あまりにもケインさんがぼーっとしてるからちょっと揶揄ってあげようと思ってあえてお姉ちゃんのフリをして呼んでみたんですけどね。意外とお姉ちゃんの声と似てるでしょ、わたしの声」
「スノウ、お前なぁ」
溜息を吐いてしまう俺。でも、スノウとのデート中にここにいないレインのことを考えてしまった俺が100%悪いことはわかっていたから、言おうかと思っていたスノウに対する恨み節を俺はぐっと飲み込んだ。
水族館を一通り見終えた後も俺たちは何か所かデートスポットを巡り、気づけば辺りはすっかり暗くなっていた。そろそろ帰らないとな。そんな風に思いながらもスノウに「最後の一か所」と言われて案内されたのは、教会からほど近くにある天文台だった。
「今日のデートの最後にケインさんと星空を見たかったんです。綺麗でしょ」
夜空を見上げながら話しかけてくるスノウにつられて俺も夜空を見上げると。そこには満点の星空が広がっていた。
「王都に来てから星空なんて気にしたことなかったけれど……王都でもこんなに綺麗に星が見えるんだな」
――レインとこの星空を見たらどんなに楽しかっただろう。レインは好きな星座とかあるのだろうか。
またそんなことが一瞬頭を過って、俺は慌てて頭を振ってその考えを頭から追い出す。すると。
「意外にそうなんですよね。王都だろうが、辺境の地だろうが、星空は平等に美しくて、見えない夜道を儚いけれども確かな光で照らしてくれる。それは、聖女であっても羊飼いであっても、何の力も持たないお荷物にしかなれない、おまけにしかなれない女の子でも変わらない」
しっとりとした声音でスノウが答えてくる。
『お荷物にしかなれない、おまけにしかなれない』、その言葉にはっとする。それはスノウが自分自身のことを評しているように聞こえたから。そして。
「改めて聞きますけど、ケインさんはお姉ちゃんのこと、女の子としてどう思ってますか」
不意にスノウがそんなことを聞いてくる。俺とレインがまだ恋人のふりを続けていた時に1度聞かれ、その答えを俺が出せなかった質問を。
「それは……」
「うんうん、その質問の仕方はある種の逃げですよね。もっとはっきり聞きます。ケインさん、ケインさんは本当は、お姉ちゃんのことが女の子として好きですよね? それは、恋人ごっこが終わった今でも変わらずに、ケインさんはお姉ちゃんの影をふとした瞬間に探してしまっている。今日だけでも痛いほど伝わってきちゃいましたよ。あー、お兄さんは今でもお姉ちゃんのことが好きなんだな、わたしじゃお兄さんの一番に、お姉ちゃんの代わりにはなれないんだな、って」
気づいたらスノウは既に夜空を見ていなかった。夜空から視線を落とし、まっすぐに俺のことを見つめていた。レインとは異なる、黄色と緑色のオッドアイで。
「ケインさんはお姉ちゃんのどこがそんなに気に入ったんですか? 見た目? だったらわたしもお姉ちゃんとそっくりですよ。お姉ちゃんとお揃いの桃色の髪、瞳だってケインさんが求めるならば魔法で青く染めて見せます。声ですか? ちょっと低めに出せばお姉ちゃんと同じような声音が出せますよ。だから、わたしをお姉ちゃんの代わりに恋人にしてくれればよくないですか?」
そう言いながらスノウは何を想ったのか車椅子から立ち上がる。少し足取りがおぼつかないながらも車椅子に頼らず自分の足で立ち、ストレートの伸ばした桃色の髪が月光に照らされた、メイド服に身を包んだ少女。そんな彼女は暗がりではっきりと顔が見えない分、レインとそっくりにも思える。
でも、今の俺にははっきりとわかる。目の前にいる彼女はどんなにレインにそっくりでも、レインとは違う女の子なのだ、と。
「――やっぱりスノウはレインとは違うよ。俺はきっと、レインの容姿や声に惹かれたんじゃない。危なっかしいところもあるけれど、誰よりも妹思いで、そのためなら自分のことも厭わない。そんなレインの優しさにいつの間にか俺は『助けたい』という気持ちだけじゃなくて愛おしさを感じてしまっていたんだ。そんなレインに惹かれて恋人としていて、レインの妹のスノウがいて、アンナがいて。そんな『家族』と一緒にいる時間を一つずつ積み重ねていくうちに、俺はそんな時間が愛おしく思うようになってしまったんだ」
スノウにここまで焚きつけられてようやく、俺は自分の気持ちに素直になれた。
タイムリープに巻き込まれて3年間築き上げてきた家庭を喪ってから。最初はレインのことが見ていられなくて半ばなし崩し的に始まった偽りの恋人生活だった。けれど、そんなレインと一緒の時を刻んで、一緒に様々な問題を解決していく中で、俺は幾度となく彼女の心の清らかさに触れてきた。そしてそれ以上に一途に妹を想うレインに触れてきた。そんな彼女のことが愛おしくなって、いつの間にかレインに対する恋愛感情が『偽り』じゃなくなっていたんだ。
それだけじゃない。恋人役のレインがいて、レインの妹のスノウがいて、俺の補佐官のアンナがいる。そんな4人での疑似家族での生活が、いつの間にか俺にとって居心地のいい『居場所』、俺にとって2周目の世界における『家庭』になってたんだ。
だから。レインと恋人をやめるように言われた時。俺は本当はイヤだった。これまでの居心地のいい『家族』が失われてしまうようで。そして本当は異性として特別な感情を抱いていたレインと『特別な関係』じゃない形に引き裂かれたようで。そんな自分の気持ちに気づかなかった、気づかないふりをしていた俺は、自分から何か言うことができなかった。自分から何か言うことができないのに、そのくせレインも自分と同じ気持ちであることを願って、レインから「こんなのおかしい」と止めてくれることを期待していた。でも、そんな他力本願はもう終わり。俺の選びたい生き方は俺自身が選び取る。
「いくらスノウがレインにそっくりに育ったとしても、スノウをレインと同じように愛することはできないよ。やっぱりレインはレインしかいないし、スノウのことはレインの妹、大切な家族の一員としか見られないから。だから、スノウの気持ちは嬉しいけれど、その気持ちを俺は受け止めることはできない。恐らく、一生。だから、これまでの告白に対する答えは、その、ごめん……」
俺の言葉にスノウは車椅子に座り直す。それからふぅー、っと長い溜息を吐いて、そして。
「ようやく、自分の気持ちに素直になってくれましたね。ほんと、お姉ちゃんもお義兄さんも自分の気持ちに対して鈍感すぎて、だからわたしなんかの荒唐無稽な提案を拒絶することもなく受け入れちゃうんですよ。ここまで焚きつけて、お義兄さんがわたしと付き合おうなんて言い出したらほんとにどうしようかって思ってました」
拍子抜けするようなスノウの言葉に俺は目が点になる。
「……それってやっぱり、最初からスノウは俺のことを好きなフリをしてたってこと? 俺がレインに対する恋愛感情に素直になるために」
「それは正確に言うと違いますね。わたしがお義兄さんのことを異性として気になりだしたっていうのは事実ですし、お姉ちゃんと入れ替わってお義兄ちゃんと恋人になれたらどんなに幸せだろう、って思ってました。だからお義兄ちゃんがお姉ちゃんの代わりとしてわたしと付き合うと言っていたら普通に受け入れていたかもしれません」
「そこ受け入れちゃうんだ!?」
「でも」
そこでスノウは一呼吸置く。
「それ以上にわたしは、お姉ちゃんとお義兄さんが幸せになるのを見るのが好きなんです。これはお姉ちゃんみたいな自分が犠牲になるからわたしだけには幸せになってほしい、とかいうのとは違って、2人が相思相愛になって幸せな家庭を築いて、それを見守ることがわたしにとっての何よりも代えがたい幸せなんです。そして、そんな風にお姉ちゃんを救ってくれる王子様みたいなケインさんだからこそ、わたしはケインさんに『お義兄ちゃん』以上の感情を抱いちゃったんです。だから、わたしの『恋愛』は最初から負けが確定してたんです。お姉ちゃんとお付き合いしているあなただからこそ、わたしは好きになっちゃったんですから」
仄かな月光に照らすスノウの横顔。そんな彼女の表情は「負けた」と言いながらもどこか清々しいものになっていた。
「だからケインさん――いいえ、お義兄さん。わたしなんかに惑わされず、帰ったらお姉ちゃんに本当の気持ちを伝えてあげてください。そして、お姉ちゃんと本当の恋人になってお姉ちゃんを幸せにください。大聖女の力なんかを手にしてずっと一人で戦い続けて、一度は絶望して世界をやり直しさえしたお姉ちゃんは今度こそは、幸せにならなくちゃいけない女の子なんですから。それはお義兄さんにしか頼めないことなんです」
「ああ!」
帰ったらレインにちゃんと俺の気持ちを伝えよう。そして、もしやり直せるならやり直そう。俺とレインの恋人としての生活を。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
スノウとの恋愛パートは最終章に一要素と組み込むことは割と初期段階から決まっていたので、最終章の中にあるスノウ編は短いですが、これにて完結、となります。ケインの本当の気持ちに気づかせるためのイベントという意味合いが強かったスノウ編ですが、少しでもお姉ちゃんの代わりになれない負けヒロインの妹キャラが気に入っていただけたら作者冥利に尽きます。よろしければいいねや感想、↓の☆評価でどうだったか教えてくださると励みになります。
あと、余談ですがtrueエンドでヒロイン二人の話を組み込む、というのは私が大好きな恋愛ADVゲーム原作のアニメ『Kanon』でメインルートで水瀬名雪と月坂あゆの二人をさばいていたのを少しリスペクトしていたりします。
スノウ編も終わったらいよいよ本当にこの物語も最終盤に入ってまいりました。10万字近く続いたケインとレインの恋愛譚の着地点まで見守っていただけると幸いです。




