第27話 俺はフウカをどうしたい?
次の日の朝。
「うわぁ!」
そんなフウカの声とともに鈍い音がキッチンから聞こえてきて、俺はベッドから跳ね起きた。
――いったい何が起きたんだ?
そう思って大急ぎでキッチンに駆け付けると、床に倒れ込んでいるフウカと目が合う。そんなキッチンはいろんなものがひっくり返るわ、フウカは粉まみれだわ、もう散々な惨状を呈していた。
「あはは、失敗しちゃった。全く、慣れない料理なんてするもんじゃないね」
悪びれた様子もなくフウカはそう言ってくる。
あの後。粉まみれになったフウカにはお風呂に入ってもらって、その間に俺はキッチンの掃除をした。そしてフウカが風呂から出てくる頃にはキッチンは元の秩序を取り戻しつつあった。
「なんでフウカがキッチンに立とうなんてしたんだ? おまえ、料理なんてできないだろ」
「おほう? それはあたしが見るからに料理ができない女、と言うことですかな」
おどけた様子でフウカに言われてからはっとする。1周目の世界の知識にあるフウカをイメージして話してしまったけれど、2周目の世界では出会ったばかりの俺がフウカの料理の腕を知っているのはおかしい。
うなじに冷や汗を垂らしながらも、俺は他ならないフウカが出してくれた助け舟に乗っかって「そうだよ」と思ってもないのに答えてしまった。
「でも、本当に料理できないんなら、なんで朝からキッチンなんかにいたんだ?」
「それは……このお屋敷、こんなに広いのにあたししか使用人がいないみたいだからさ。だったら朝ごはん作るのもあたしがやった方がいいのかなー、とか思って」
フウカのその答えに、俺は複雑な気持ちになる。
1周目の世界での俺とフウカの新婚生活で、炊事は殆ど俺の担当だった。理由は自由奔放なフウカに炊事は壊滅的に向いていなかったから。
興味を持ったことにはとことん熱中するフウカだけれど、それは裏を返せば興味を持てないことにはすぐ飽きて注意力散漫になる。そんなフウカにとって調理に数時間かかるとか、数十分火の面倒を見なきゃいけないなどの調理は絶望的に向いていない。今日みたいに材料をひっくり返すとかならまだ可愛いもので、最初の頃、フウカに料理をさせようとしたことで何度家が燃えかけたかわからなかった。だからそんなフウカに自発的に料理をさせようとする状況を作ってしまったのは一生の不覚と言うかなんというか。
「料理に関してはあんまりフウカが気にする必要ないよ。――と、いうか、フウカを雇ったのは別に家事をしてほしかったわけじゃないし。掃除も洗濯も、無理にしてもらう必要はない。大体、俺自身この屋敷に帰ってくることは殆どないからな」
こめかみに手を当てながらも俺はなんとかそう伝えると。フウカは何を思ったのか自分の両手で自分のことを抱え込むようなポーズを見せる。
「と、いうことはあたしって実はえっちなことをさせるつもりで雇われたの?」
らしくもなく真っ白な頬を赤らめて言うフウカ。そこで俺もはじめてその可能性に気付き……。
「ち、違う! 別にそう言うことじゃない!」
必死になって俺が否定した途端、フウカは口を大きく開けて笑い出す。
「あははは、今のはほんの冗談だよ。昨日まで王都の真ん中で職探ししている時、ワンチャンそう言う需要であたしのことを買う輩がいるかもなぁ、と思ったけれど、ケインくんはそんなことするような人じゃない気が、最初からなんとなくしてたもん。昨日の夜だって思春期の男女が2人きりでお屋敷の中にいるって言うのに、ハーブティー飲み終わったらすぐに自分の部屋に帰って寝ちゃったし」
「それは信頼されていると取るべきなのかなんなのか」
「信頼してるっていうより、ケインくんには女の子を襲う度胸なんてなさそう、って言うだけの話だよ?」
「おまえ!」
「おお、怖!」
そう言っておどけて逃げる振りをしてみせるフウカ。でも、それは長くは続かなかった。次の瞬間、フウカは寂しそうな表情を見せる。
「でも、家事でも性欲処理でもないならケインくんはなんのためにあたしのことを雇ったの? あたしに対する同情? それはなんか一方的に施されてる気がしてちょっともやもやする」
「……フウカは興味のないこと以外、やりたくないんじゃなかったのか」
うまく答えられずに質問を質問で返してしまう。するとフウカは寂しそうな表情のまま
「そりゃやらなくていいことはやりたくないし、自分を曲げることはイヤ。でも、誰かから理由なく一方的にもらうのは、なんか人間じゃなくて愛玩動物か何かみたいでもっとイヤ」
と答える。そんなフウカを見ていると、段々と答えをはぐらかすのは不誠実なように思えてきた。
「――お前が、俺以外の誰かのものになるのが嫌だったんだ」
「えっ?」
唐突に語りだす俺の顔をフウカは不思議そうな表情で覗き込んでくる。
「さっきえっちな理由でフウカのことを雇ったんじゃない、って言ったよな。あれ、半分は本当だけど、半分は嘘なのかもしれない。フウカに性的な役割を期待するのであれ家事を期待するのであれ、フウカが誰かの者になったり、誰かに雇われたりすることを想像しただけで、なんか俺はイヤだと思っちゃったんだ。だから、何のプランもなく、フウカをここに連れてきちまった」
「それって、あたしに対する独占欲があった、ってこと?」
慎重に言葉を選びながら言うフウカに俺はうなずく。
自分で言っておきながら自分てヤバい奴だな、と思う。確かに1周目の世界でフウカは専業主婦だったから、誰かに雇われたことなんてなかった。だからと言って誰かの所有物になったり、それどころか自分自害の誰かのために働くことすら縛ろうとするなんて、とんだモンスターハズバンドもいい所だ。第一、フウカは独立した1人の女性であって、今も昔も、一度たりとも俺の『所有物』なんかであったことはないのに。
そう思うと自然と自嘲が口から洩れる。
「あはは、気持ち悪いよな、俺。フウカさえよければ今すぐこんな俺から離れてもらっても……」
俺はその言葉を最後まで言うことができなかった。なぜなら、フウカが俺に肩をピタッとくっつけてきて、俺は意識が飛びそうになる。
「フウカ、一体何を? 」
「よくわからないけれど、ケインくんはあたしに『何か』――『運命』みたいなものを感じちゃったんでしょ? そして、あたしのことを自分の傍に置いておかないと不安になっちゃったんでしょ? だとしたらあたしに求められているのは1つだけ――自分の意思であなたの傍に居ること。家事なんかより、ずっとわかりやすくていいや」
「う、運命ってそんな大袈裟な……」
そんなロマンチックなものじゃない。正確に言えば、俺はもう戻らない過去に囚われているだけ。なのに。
「違うよ!」
と、フウカに強い調子で言われ、俺は口を噤んでしまう。
「あたしもね、気の赴くまま、『興味』が湧くままにいつも生きてるからわかるんだ。この世界には『運命』や『直観』っていうのが絶対にある、って。それがあたし達を結びつけたなら、あたしはそれを、少なくともこの熱が冷めるまでは一緒にいたい。なにより――」
そこでフウカは一呼吸おいてから、満面の笑みを浮かべてきて言う。
「あたし自身、君のすく傍に居るのは嫌いじゃないみたい」
またこいつは人を勘違いさせそうなことを平然と言ってのける。でも。
それを否定するような気はやっぱり起きなかった。
「でもでも! やっぱ何もしないでヒモって言うのもやっぱ嫌だなぁ」
「それじゃ、俺と一緒に朝ご飯でも作るか」
「うんっ!」
フウカの元気の良い返事がキッチンに響き渡った。




